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十七 百千代と真山戸

 首里城の東に弁ケ嶽(べんがだけ)という霊峰れいほうがある。そこを源流として那覇の海へと流れゆく安里川あさとがわは、首里・那覇間を繋ぐ主要水路だ。


 本来なら忙しなく人やモノが行き交う大動脈だが、本日はずいぶん閑静だ。先日から王府が那覇港を統制し始めたことで、必要以上に盛んだった流通が途絶えてしまったからだ。


 安里川沿いに店を構え、交易で儲けを得る問屋、輸入品を主商材とする商人、そして商人相手の飲み屋の従業員たちは、揃って暇を持て余している。


 そんな人々にとって、安里川を下る小舟サバニから颯爽と飛び降りた美少年と、彼に抱きかかえられた姫君は、ひときわ神々しく映った。

 普段は騒々しい河川かせんが穏やかなのは、彼らを丁重に運ぶための神の采配だったのかと錯覚してしまうほどだ。


「ありがとうございました。もう降ろしてくださって大丈夫です」


 真南風は困惑した。声をかけたのに、百千代は川岸に立ったまま微動だにしない。まじまじと真南風を見下ろし、艶めいた声で囁いた。


「――あなたを放したくないと、この両腕が私の言うことを聞いてくれないのです。これほど可憐な少女に触れたことがないので無理もない。どうやら私の腕は、あなたの身を支えることに生きる意味を見出したようです」


「楽童子二番手の百千代さまの腕は、踊るためのものじゃないんですか?」


「あなたと共にいられるなら、いつでも楽童子を辞する覚悟です」


「私は男なんです」


「先程は邪魔が入りましたが、改めて私と二人で――なんだと?」


 百千代の艶やかな表情ががらりと変わった。真南風の背中を支えている右手が卑猥に動く。


「――ひゃ!」


 真南風は思わず奇声を上げ、猫のように飛び降りた。いつでも走り出せるように中腰で距離をとる。


「んー、痩せすぎていて身体からはよく分からねえな。男だとすれば俺の琉歌や口説き文句に反応しなかったことは納得できる。だがその可愛さには説明がつかねえ」


「私は今日から楽童子になる予定の真南風と申します」


「真南風……、楽童子だと? ってことは今日の集まりはお前の顔合わせか?」


「そう聞いています」


 百千代は腕を組んで真南風をまじまじと見つめ、考えた。


 士族で見た目の良い男児なら一度は楽童子の勧誘を受ける。真南風ほどの可憐さなら多少は教養不足で踊りができなくても囲いこむ意義はあるだろう。


 とはいえ、この見た目と身なりから滲み出る身分の高さは、何かしらの噂になっていないとおかしい。街で女性と接する機会の多い百千代はあらゆる噂に精通しているが、真南風の名は今日まで聞いたことがなかった。


「どこの家の者だ?」


 百千代の怪訝な問いかけに、真南風は動揺を胸に隠し、与那原よなばる親雲上ペーチンと王妃と共に()()()()生い立ちを話した。


「……私は与那原親雲上の遠縁にあたります。末子のため北部の端にある小さな村で育ちましたが、門中もんちゅうの伝手から噂を聞きつけた与那原親雲上が見出してくださり、楽童子になるべく首里に上りました。この衣服も彼が用意してくださったものです」


「なるほど……」


 それは百千代にとって納得のいく答えだった。与那原親雲上は由緒正しき王家の傍系、しょう氏門中だ。彼らは恵まれた血統を存分に発揮し、琉球の中枢から端々まで血の情報網を張り巡らせている。


 さらに琉球北部を統括する今帰仁城なきじんグスク監守の実弟でもある。原生林が広がる北部はほぼ未開の地で、首里の人間にとっては離島よりも離れているが、伝手のある与那原親雲上であれば情報を得られるだろう。


 彼が楽童子の勧誘のため阿国と共に遠征していたのは聞いていたので、久しぶりに招集があった今日、見知らぬ美少年が突如として首里に現れ、楽童子の新顔を自称するのは辻褄が合う。


「信じて頂けたようでよかったです」


 真南風は胸を撫で下ろした。疑いは晴れたとはいえ、百千代は真南風の一瞬の綻んだ表情に不思議と胸がうずいた。同性には感じないはずの感覚だった。


 そんな二人に声をかけたのは、目の前に軒を構える茶屋の女中だ。


「士族のお兄様方。立ち話もなんなので、お茶でもいかがですか?」


 商売あがったりな人気ひとけのない昼下がり。女中は見るからに裕福そうな真南風と百千代を何としても客にしたかった。


「ぜひお邪魔させていただきたい」


 女性向けの爽やかな表情を浮かべ、百千代が二つ返事した。


「百千代さま、アカギの森に向かわないんですか?」


「もう今日は気分じゃない。どうせお前との顔合わせなんだから、俺の用事は済んだも同然だ」


「私は他の楽童子の方々にも挨拶したいのですが……」


「まあまあ、茶の一杯くらいいいじゃないか」


 真南風に興味がある百千代は強引に手を引いた。女中が嬉しそうに「二名様ご来店ー!」と叫んだ。


「百千代……!」


 すると二人のどちらでも、女中でもない、獣が唸るような声が背後の安里川から放たれた。


「――げっ、兄上」


 ずぶ濡れの男が川の中から水飛沫をあげて飛び上がる。先ほど二人を追いかけてきた屈強な男だ。あそこで諦めずに川を泳いで追ってきたらしい。あまりの猛々しい雰囲気に、真南風は思わず悲鳴をあげた。


「お嬢様、百千代に不埒ふらちなことをされてませんか?」


 男が尋ねた。指の骨を鳴らし、びたん、びたんと力強い足音で歩み寄る。


「えーと……身体をまさぐられはしましたが……」


 真南風の返答に、男の額に青筋が浮かぶ。


「落ち着け兄上、こいつは男だ。名は真南風、楽童子の新入りだ」


 男が腕を構えたまま静止する。水を滴らせ、真南風と百千代を交互に見やった。


「……詳しく説明しろ」




 茶屋でさんぴん茶を啜りながら、真南風は百千代に話したのと同じ生い立ちを話した。暇を持て余した野次馬たちが店外から派手な身なりの三人を覗き込んでいる。


 真南風と百千代の説明がひと通り済んだあと、男は頭を下げた。


「愚弟の失礼と共に、女性だと間違えてしまったことを詫びさせて欲しい。私の名は真山戸まやまと。百千代の兄にして、楽童子の花形を担っている」


 意思の強そうな眉目と精悍な顔つきは、百千代とはタイプが違うが決して見劣りしない美少年だ。花形を務めるだけのことはある。


「よろしくお願いします、真山戸さま」


「さて、話も聞いたしアカギの森に向かおうか。与那原親雲上や他の楽童子たちが待ってる。百千代に相応の罰を与えてもらわねばな」


 そう言いながら百千代の耳をつねった。悲鳴が茶屋に響き渡る。


「いただだ! あ、兄上! 真南風を見てみろ! ずいぶん貧相だと思わないか? せっかくだから何か食おう!」


 見え透いた時間稼ぎだが、食べ物に目がない真南風は鋭く反応した。


「食事ですか!?」


「確かに一理あるな。楽童子の稽古は過酷だ。食事はとっておいた方がいい」


「でも、私はお金を持っていません」


「俺もないぞ。でも兄上は持ってるだろ?」


「川を泳いだときに巾着袋が流れてしまった」


「なんてこった。茶代すら払えない」


 途方に暮れる三人に、これぞ商機とばかりに女中が声をかけた。


「お話は伺っておりました。お三人方は楽童子とのこと。お代は結構ですので、よろしければ私の演奏で踊りを披露して頂けませんか?」


「それで良いならお安いご用意です」


 百千代が立ち上がると、聞き耳を立てていた店内の客や外の野次馬たちがわっと沸いた。しかし真山戸が「待て」と制する。


「楽童子が身勝手に市井しせいで踊るわけにはいかない。我々は物乞い芸人ではないのだ。ここは無銭飲食の罰を受けよう」


「おいおい、真面目にもほどがある。そんなことしても俺らも店側も得しねえだろ」


 真面目すぎる真山戸に、百千代は呆れて肩をすくめた。しかし真南風を見て思いついたように言った。


「そうだ、こいつが踊るならいいだろ? 今日の集まりで楽童子として紹介されるってことは、その集まりまでは正式な楽童子とは言えない。


「む、確かに……そうとも言える」


「そしてあの踊奉行おどりぶぎょうの与那原親雲上がわざわざ北部から連れて来たほどの逸材だ。俺たちほどじゃないにしても三杯の茶代には充分だろ?」


「……え?」


 不意を突かれた真南風が目を丸くする。真山戸がうむ、と頷いた。


「そうだな……実は私も気になっていた。北部の踊りに興味がある。一足先にお手並み拝見させてもらおう。私たちの不始末を尻拭いさせて申し訳ないが、ここは頼んだ」


 百千代と真山戸が了承したのを皮切りに、外から覗いていた野次馬が店内になだれ込んできた。茶菓子やツマミや泡盛が飛ぶように売れ始め、奥から三線を持ってきた女中は女将に配膳を指示されたので、代わりに真山戸が演奏することになった。


 演目選びのために真山戸が真南風に何曲かのさわりを演奏して聴かせる。踊ったことのある『天川あまかー節』が流れ、それを選んだ。


「あの子が踊るらしいぞ。あの見た目で男だそうだ」

「ウチの小倅とは似ても似つかない」

「お前の息子なら当たり前だ。鏡を見たことがあるか?」

「なんだと!」


 見物客たちが騒がしい。もはや真南風の立ち姿だけで観衆の酒が進む。三杯の茶代などは一瞬で稼ぎ終え、絶対に踊りを観たい女中と一刻も早く酒の買い出しに行かせたい女将が激しく口論している。


 百千代はさんぴん茶を喉に流し込んだ。胸に手を当てる真南風を一瞥した。


 花形の真山戸、二番手の百千代。二人は押しも押されぬ楽童子の二枚看板だ。多くの場数を踏み、過酷な稽古に励んできた。どれほどの逸材かは知らないが、北部の密林ジャングルで育った新入りなど、我々の足下にも及ばないだろう。


 ――そうたかを括っていた百千代は、三線の音を奏でた刹那、雷が落ちたような衝撃が走った。


 人混みの後方から湯呑みが割れた音がした。真南風に見惚れた誰かが落としたであろうことは、見ずとも分かった。


『天川の池に 遊ぶ鴛鴦おしどり

 思ひ羽の契り 与所よそや知らぬ』


(天川の池で遊ぶおしどりの思い羽は、愛の契りだ。私たちも同じように愛し合っていることを、誰も知らない)


 かつて八重山で踊った天川節は、真南風の見た目が洗練されたことでよりいっそう破壊力を増した。


 真南風は繊細な指遣いで、愛しい人への想いを描く。袖で口元を隠し、見上げる視線に熱を込める。誰にも知られてはいけない、密やかに紡がれる恋の踊り。


 観衆には愛し合う男女の湿った吐息と天川のせせらぎが聴こえてくるようだった。恋人同士の密会を覗いてしまったような罪悪感に胸を痛めた。


 踊り終わった後の拍手がまばらなのは、感動と共に後悔が押し寄せたからだ。こんな踊りを観たら、おしどりのように寄り添い合う二人の行末が気になって仕方がない。


 真南風がお辞儀した。呼吸を整えながら、踊っている最中に()()()()()に動揺していた。


 八重山で踊ったときは相手役に顔のない男性を思い浮かべたが、今回、その相手の顔が六郎だったのだ。そのせいで余計に緊張してしまった。真南風は赤くなった頬に両手を当て、顔を冷やした。


「――こんなの『天川あまかー節』じゃない」


 百千代が言った。真南風は苦笑する。


「与那原親雲上にも同じことを言われました」


 百千代は表に出すまいと必死に無表情を装ったものの、内心はひどく混乱していた。踊っている最中の真南風はどう見ても女にしか見えなかったが、今はそんなことはどうでもよかった。


 踊りの稽古は多くの時間を技術向上に費やす。踊りが基礎教養ともいえる琉球で、その頂点に君臨する楽童子の高い技術は誇りであり"責任"だ。技術を極めることこそが踊りの道だと信じている。


 真南風のでたらめな振り付けの踊りに技術はないが、とうてい真似できない感情表現があった。


 どれだけ技術的な部分にケチをつけようと、百千代が真南風に魅了された事実は揺るがない。まるで頂きを目指して登る山の隣に、妖術か何かで今まで隠されていた別の峰が出現したような得体の知れなさに襲われた。


 ――そして何より不安を掻き立てるのが、そちらの山の方が青々として美しく見えたことだ。


 百千代は縋るような思いで真山戸に視線を送った。稽古に明け暮れた楽童子としての日々が否定された気がしたので、同じ山を登っている真山戸に説得力のある意見で真南風を否定して欲しかったのだ。


 真山戸は三線の演奏を終え、正座したまま微動だにしない。目を瞑って何かを思案している。


 彼にとっても真南風の踊りは衝撃だったに違いない。眉間に皺を刻み、額に青筋を浮かべている。真山戸の周囲だけ空間が歪むような異質感が漂う。


「え……私、何かしてしまったんでしょうか……?」


「兄上、怒ってる……のか?」


 真南風と百千代がおそるおそる尋ねる。真山戸の腕に力が入りすぎて、あまりの握力に三線のさおと爪が渇いた音で砕けた。


 思い思いに感想を交換し合い、酒を酌み交わしていた客たちが一斉に静まり返る。


 真山戸はゆっくりと目を開け、質問した。



「――真南風、今の踊りはどういうつもりだ?」



 真山戸の眉は吊り上がり、握りしめる両拳の甲には太い血管が浮かんでいた。

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