十八 器たる所以
「――真南風、今の踊りはどういうつもりだ?」
真山戸が膝をついたまま言った。俯いているので真南風からは表情が見えないが、ひどく剣呑だ。両拳が小刻みに震えている。
酒盛りをしていた客たちがしんと静まり返る。自前の三線の棹と爪を砕かれた女中も声をかけられずにいる。とても弁償してくれなどとは言えない雰囲気だ。
百千代は嫌な予感がした。長兄の真山戸は辟易するほど真面目で勤勉な男だ。奔放な振る舞いで度々周囲を困らせる百千代を叱ることが多いため、第三者からは難儀な弟を持つしっかり者の兄だと思われている。
ところが、実はそうではないことを百千代はよく知っている。真山戸は集中すると極端に視野が狭くなる。特に激昂したときは手がつけられない。先程、橋の欄干を引き抜いたのもその一例だ。若い兄弟のうち、子どもの悪戯では済まされない惨事を起こすのはいつも真山戸の方である。
「……真南風、逃げろ」
「一体、真山戸さまはどうされたのですか?」
「お前の踊りがよっぽど気に入らないようだ。あんな天川節を踊っちまったんだから無理もねえ。琉球舞踊を馬鹿にしたようなもんだ」
真南風は両手を頬に当て、青ざめた。初めて人前で踊って以来、真南風が踊ると誰もが褒めてくれた。自分の踊りが誰かを怒らせるなんて考えたこともなかった。
「ごめんなさい……私、まだ踊りを習ってなくて、ちゃんとした舞踊を観たこともほとんどなくて……」
「――今の踊りはどういうつもりかと聞いているんだ!」
慌てて謝罪する真南風に、真山戸が声を張り上げて詰め寄った。真南風の頭ひとつ分背が高い彼に間近から見下ろされ、真南風は今にも泣き出しそうだ。
「兄上、殴ってはダメだ。真南風の華奢な体じゃ兄上の拳骨ひとつであちこち折れちまうぞ」
間に入ろうとした百千代を、真山戸が目で制する。
「殴るわけないだろう。楽童子の体は琉球の財産だ」
「俺は何度も殴られてるんだが……」
「私は知りたいだけだ。真南風、なぜ天川節を切ない恋の踊りにした? この歌は『恋の成就に歓喜する乙女の歌』だ。そうだろう、百千代」
「あ、ああ。そういう振付だ」
「先程も言った通り、私は踊りや歌の知識が全くありません。なので、曲を初めて聞いたときにそういうふうに感じたから、としか言えません……」
真南風の恐縮した返答に、真山戸は目を閉じて呟いた。
「……それが真南風の節情思入というわけか」
節情思入とは、琉球音楽におけるテーマの解釈のことだ。現代でいう曲想と同義である。
「そんな大層なものか。要は素人の思いつきってことだろ」
百千代は真山戸が怒っていないことに安堵したと同時に、真南風の踊りを受け入れつつあるのが気に食わない。
琉球舞踊には先人たちが積み重ねてきた厳密な解釈がある。もし楽童子の誰かが与那原親雲上の前でこの踊りをしたら、六尺棒で尻をメッタ打ちにされるだろう。
「いや、あながち馬鹿にはできない。俺たちのように伝統に染まってないということは、まっさらな気持ちで音曲に反応できるということだ。そもそも、天川節には続きがある。百千代、伴奏を頼む」
真山戸はそう言って三線を差し出したが、百千代は呆れた様子で受け取らない。真山戸は不思議に思い、右手に持つ三線を見下ろした。
「……なんだこれは?」
今さら棹と爪が砕けていることに気付いたようだ。
「なぜ壊れているんだ! 楽器を粗末に扱うなんて許せん! 一体誰の仕業だ!?」
真山戸は犯人を探そうと周囲を睨みつけたあと、ハッとして女中に頭を下げた。
「……申し訳ない。どうやら我を忘れて壊してしまったようだ」
「いえ、安物でしたので……」
「それなら良かった。では別の三線を貸してくれ」
女中は険しい顔をしたものの、店の奥から二丁目を持ってきた。この場にいた百千代以外の人間もそろそろ真山戸の変人ぶりに気付いてきたが、当の本人は堂々と言う。
「天川節は真南風が踊った部分の後、舞台を下がる際の踊りがもう一節ある。そこで試してみたいことがある」
「兄上、楽童子は外で気安く踊っちゃいけないんじゃなかったのか」
「一刻も早く体で試さないと頭の中にある情景が逃げてしまうのだ。上達の機会は何ものにも代え難い」
こうなった真山戸はテコでも動かない。百千代は観念して、『天川節』の続きの一節を奏でるため、三線の調弦を確認した。
真南風も客たちも、どこか抜けているこの青年に振り回され、彼が楽童子の花形であることをすっかり忘れていた。
思い出したのは、三線の澄んだ音の粒が茶屋に反響した直後だ。
次の瞬間、鍛え上げられた肉体美を誇る精悍な青年に、朗らかな乙女が憑依した。
「別れても互に 御縁あてからや
糸に貫く花の 切りて退きよめ」
(いつか別々に過ごすことになっても、系で貫いた花が散らないように、この縁が切れることはない)
真南風は思わず目を擦る。客たちも呆気にとられた。
今の今まで散々周囲を振り回していた青年は影も形も消え失せた。
目の前にいるのは、天川のほとりを軽快な足取りで歩く一人の少女だ。
真山戸が両手を胸の前で交差した。目の前にいる愛しいひとを抱きしめる振付だ。頬を染める表情が何とも愛くるしい。
まるで地に生えているかのように寸分のブレもない体幹、肩から始動して指先が遅れて付いてくるしなやかな腕使い。真南風はその洗練された所作にただただ感動した。動きの一つ一つ、指の各間接の力の入れ具合に至るまで、途方に暮れるような研鑽が窺える。
「真山戸さまが言った通り、動きも表情も、可愛らしい恋の踊りだ。確かに私のとは違う。これが正しい振付なんだ。……でも」
真山戸は、天川節の正しいテーマを「恋の成就に歓喜する乙女の歌」と表現した。喜色をたたえる表情や軽やかな動きはまさにその通りだが、見逃せない違和感がある。
「どこか寂しそうに見える……」
一方、すでに天川節の正しい振付が体に染みついている百千代は真っ先に変化に気付き、鳥肌が立った。
「重心の位置を変えている!」
真山戸は振付はそのままに、踵重心でいつもよやりやや腰を下げて踊ることで、歓喜する少女の胸の内にある一抹の不安を表現したのだ。
真山戸は以前から天川節の歌詞、曲調、振付の三要素がどこか噛み合ってないように感じていた。
必要以上に二人の絆を強調する歌詞。重厚な曲調。その割には歓喜する乙女の所作を表現した軽やかな振付。
三つの要素は明らかにミスマッチである。
しかし、真南風の切なさをテーマとした踊りを観て、真山戸は改めて天川節の少女の気持ちに想いを馳せた。
――きっと、少女は怖かったのだろう。
なぜなら恋の喜びは実った瞬間が頂点であり、そこから先は気持ちが冷める下り道しかないのだから。少女は不安を押し殺すために恋に浮かれたふりをし、虚空を抱きしめるのだ。
真山戸は踊りながら、立ちすくむ真南風を尻目にとらえる。
――まさに『与所や知らぬ』だ。そんな不安は誰にも――自分にも――知られてはいけない。乙女の心情に気付いた真南風の女性的感性は見事。私にはない資質だ。
百千代は歌声と三線の音が震えるのを必死に堪えた。普段稽古している天川節に比べて、明らかに芸術作品としての深みが増している。
「伝統の振付は変えずに喜びの中に潜在的な不安を表現したことで、少女がより人間らしく感じられる。これと見比べると、切なさをまっすぐ表現した真南風の天川節は伝わりやすいが、それゆえに一意的で、物足りない気がしてしまう」
百千代は真南風の踊りを観てただただ嫉妬したが、真山戸は肥やしとし、パフォーマンスの質を一段上げた。表現者としての姿勢がまるで違う。百千代は己自身の狭量さを恥じた。
「『牛飲水成乳 蛇飲水成毒(同じ水でも牛が飲めば乳になり、蛇が飲めば毒になる)――この素直な向上心こそ、花形の器たる所以か……」
百千代の口角が自然と上がる。困った兄だが、踊り手としての資質と実力は疑いようがない。
真山戸は下手へ移動し、演奏が終わる。これにて琉球一の楽童子の踊りは閉幕となった。
数秒の無言の後、ざわつきが波のように広がる。やがてその声をかき消す割れんばかりの拍手と指笛が巻き起こった。
「少女は別れを意識しながら抱擁してたんだ!」
「そんなはずない! 恋の情熱は冷ややかな不安などかき消してしまうものだ!」
「だから、いつかその情熱を失うのが怖いんだろうが! それが女心だ!」
至るところで客が踊りについて激しく口論している。作品の芸術性が上がるほど、観客の経験や精神状態によって受け取り方が変わってしまうものだ。彼らが観たのは単なる「良い踊り」では済まされない、「解釈を語り合える踊り」だった。
騒ぎを聞きつけた町人が続々と茶屋に集まってくる。真南風たちを招き入れた女中は今夜、上等な三線を三丁は買える程の特別ボーナスを手にすることになるのだった。
「琉球舞踊の真髄に一歩近付いた気がする。真南風、感謝する」
「とんでもないです。自分の未熟さを痛感しました」
頭を下げ合う二人に、百千代が横からまとめて肩を組んだ。
「堅苦しいやり取りはよそうぜ。俺たちは楽童子の仲間同士なんだからな。さあ、次はどの曲を踊る?」
先程までの嫉妬心は消え失せ、百千代は上機嫌だ。その耳を真山戸がつねりあげた。
「茶屋への対価は充分に支払った。早く楽童子の集まりに行くぞ。まだ日暮れ前に間に合うかもしれない」
「いたたた! 時間を食ったのは兄上のせいでもあるだろうが! それに楽童子の体は琉球の財産だろ!?」
「つべこべ言うな」
そうして三人は集合場所であるアカギの森に向かった。
百千代はぶつくさと文句を言いながらも、真南風が加わって新体制となる楽童子の行く末が楽しみでたまらない。真南風という劇薬が刺激となり、伝統と先進性を両立した最高の踊り子集団になるはずだ。
多少の波乱はあろうとも、花形として申し分ない真山戸が引っ張っていれば問題ない。
――そう思っていた百千代は、自分の見込みがまるで甘かったことを思い知らされる。
アカギの森にて、与那原親雲上は真南風を含めた楽童子全員の前で宣言した。
「来年の冊封式が終わるまで、楽童子の花形は真南風に務めてもらう」
百千代は頭が真っ白になった。横に立つ真南風も、国家式典の責任者である踊奉行の決定を飲み込めずにいる。
「与那原親雲上、私より真南風の方が上ということですか?」
表情を変えない真山戸の質問に、与那原親雲上ははっきりとした口調で答えた。
「貴様は花形の器じゃない」
津波が来る前の海岸のように、百千代の血の気が一斉に引いていく。困り者の兄であり、最も尊敬する踊り手である真山戸に浴びせられた残酷な言葉が頭の中で反芻する。
アカギの木々が草地に長い影を映す。まもなく夕陽の下弦が西の水平線に触れる頃合いだ。東の空から徐々に夜の帳が下りてゆく。




