上限月 秘密のお散歩
「はぁ〜……暇ですわ...…ノックスは、今日、王の業務で一日中忙しいみたいですし。週刊コスモは明日発売だし...…」
上弦の月の夜。月の塔で天女が暇を持て余していた。
「仕方ありません。散歩でもしますか...…」
◇
厩舎の前を通ると、ヒヒーンという馬のいななき声が聞こえた。ふと目をやると、ひときわ大きい黒い馬がルナのことをじっと見つめていた。
「まぁ...…!ホマムではありませんか!わたくしのことを覚えていてくれたのですね....…!」
そう言ってホマムにかけより、首を優しく撫でてやる。赤い目を細めて気持ちよさそうだ。
つややかな馬の毛の感触で、光の世界に残してきた愛馬サダルバリのことを思い出す。
「サダルバリ...元気にしているかしら……」
その寂しさを感じ取ったのか、ホマムが頬に鼻先をこすりつけてきた。
「ふふ、くすぐったいですよ、ホマム……」
ふと、ノックスが一日中会議で、王宮から出てこないことを思い出した。
ルナは周りをキョロキョロする。誰もいない。
「少しくらいなら、良いですわよね....…?」
ホマムは赤い目をキラキラさせながらルナを見つめ、軽く前脚をカッカッと踏み鳴らし始めた。
ルナは手際よく馬装を整え、ホマムにひらりと跨がる。
「前も思いましたが…サダルバリよりずっと大きいですわね」
手綱を握り、北門へと駆け出す。風を切って走る懐かしい感覚—―
「ああ…この爽快感!! たまらない!! ノックスに乗せてもらうのもいいですが、一人も悪くありませんわ!!」
◇
ルナは夢中で駆け抜け、気づけば街の方へ来ていた。
「あれ? 天女様じゃない?」
「ホントだ、すごいかっこいい馬……!」
民が集まってくる。見覚えのある顔ばかりだ。
「ルナ様、この前は妻を治してくださってありがとうございます…これ、さっき採れた闇人参です。馬の大好物なので」
「まあ、ありがとうございます」
ホマムは嬉しそうに、コリコリと闇人参をかじる。
その様子を九歳ほどの少年が憧れの目で見ていた。
「いいなぁ…乗ってみたい」
「こら、ルナ様を困らせるな」
「じゃあ乗ってみますか?さあ」
少年を抱き上げ、前にまたがせて市場を一周。
「わあ、高い! すごい!」
無邪気に喜ぶ少年。ふと、ルナは光の世界にいたときのことを思い出す。
(私も昔、よく父上に馬に乗せてもらいましたわね……)
ルナは少し感傷的になるも、笑顔で少年を地面に降ろし、「また困っている人がいたら教えてくださいね」と会釈し、ルナはホマムと一緒に王宮へと帰っていった。
◇
北門から厩舎に戻り、馬具を外してホマムを元の場所に戻す。
「ホマム、今日のことは、わたくしとあなたの秘密ですよ。」
そう言って黒馬のたてがみを優しくなでる。ホマムはうなずくように、首を上下に振り、月の塔へ帰るルナをじっと見送った。
◇
その頃、会議を終えたノックスは伸びをしながら回廊を歩いていた。
「おい、ちゃんと聞いていたのか? 船漕いでたの知ってるぞ」
隣のアルトが小言を言う。
「まあ優秀な参謀がちゃんと聞いてるから大丈夫っしょ」
「まったく、お前というやつは...」
厩舎の前を通りかかったので、愛馬の様子を見に行く。
「よう、ホマム、元気か?」
尻尾をぶんぶん振って大喜びするホマムを見て、ノックスは首をかしげた。
「なんか今日は……やたらとご機嫌だな」
その理由は、ホマムだけが知っている。
◇
数日後――
「よし、今日はノックスもいないはず……」
ルナは厩舎でホマムに馬装を施し、こっそり跨ろうとしていた。
「――何やってんだ」
背後から低い声。
振り返ると、ノックスの青い片目がじっとこちらを見ている。
「……お散歩ですわ」
「ホマムと二人きりでか?」
「ホマムは馬ですよ...…?」
ホマムが赤い目を輝かせ、「ヒヒーン」と鳴く。その声は、どこか笑っているように聞こえた。
ノックスはため息をつき、手綱を取った。
「……俺も行くよ。どうせ乗るなら二人で行ったほうが楽しいだろ」
ルナは一瞬目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「……ふふ、仕方ありませんわね」
二人はホマムに跨がり、ゆっくりと北門の外へ走り出した。
冷たい風と馬の足音が、静かに広がっていった。




