最終話 満月 知ってますわよ(上)
奪炎の儀から約一年後――
ノックスは王の政務室に座っていた。
「おい、闇の王。この前の報告書にサインしたのか。期限は三日前だぞ」
扉を開けて入ってきたアルトが、いつものように小言を言う。
「あー!忘れてた。これだろ? 今サインしたぞ。いや〜、優秀な参謀がいて助かるわ!」
「……まったく。次からは期限内に出せ」
呆れ顔で書類を受け取るアルト。だが声色は、かつてより少し柔らかかった。
そこへリゲルが現れる。
「ノックス、東門の老朽化が進んでいる。警備兵から修繕の要請だ」
「まずは俺に報告しろ、リゲル。王は忙しいんだ。視察も行かないといけないだろう。」
ノックスはそんな二人を見て微笑む。
アルトは計略と助言に長け、リゲルは制度や予算を現実的に整える。どちらも、自分にはできないことだった。
「よし、奪炎の儀を見てから現場視察に行こう。そのあとカペラの店で飯だ!」
それを聞いたリゲルの赤い瞳がわずかに光る。
「……悪くないな」
「王自ら視察するのか……威厳がまるで感じられん」
アルトは眉をひそめながらも、反対はしなかった。
ノックスが王になったあと、アルトは参謀、リゲルは宰相として仕えている。彼らの才を生かさぬ手はない──そう考え、ノックスが任命したのだ。
◇
満月の夜。
円形闘技場は、闇の民たちの歓声で揺れていた。
「満月の夜に生き残るのは誰だー! 今宵の選手を発表!」
場内に響く声に、若き戦士たちが各々の魔術をくゆらせ次々と武器を構える。
奪目の儀に代わって行われるようになったのは、奪炎の儀。それはもはや生贄の儀式ではなく、民の娯楽であり、未来を担う者たちの力比べの場。王を選ぶときだけは本選となるが、今宵はただの祭りだった。
「さぁー、奪炎の儀、始まります!!」
高らかな合図とともに、闘技場の熱気が爆ぜる。
子どもたちは憧れの歓声を上げている。一人の少年は「いつか俺も出る!」と叫び、隣の親が笑う。屋台からは美味しそうな食べ物の匂いがただよっていた。
(この夜こそ、新しい時代の象徴だ。もう誰も犠牲にならず、ただ生きて笑うことができる。)
ノックスは民の歓声を聞きながら、そう胸に刻んだ。
◇
東門の視察を終えた三人は、カペラの店へ足を運んだ。戸を開けると、香ばしい匂いと人々の笑い声が迎えてくれる。
「お〜、お偉いさん三人、いらっしゃ〜い!」
カペラが温かく出迎える。その腕には、金髪でエリナにそっくりな赤ん坊が抱かれていた。
「トニオ、元気か? 大きくなったな」
アルトが赤ん坊を優しく抱き上げる。長身に高く掲げられ、トニオは声をあげて笑った。小さな手でアルトの眼鏡をつかもうとする。
「すげぇ繁盛してんな。料理上手な嫁がいてよかったな」
リゲルがトニオのやわらかな頬を指で突きながら言う。カペラは胸を張り、にかっと笑った。
「まぁ、この店にはエリナのレシピと、俺の元王候補者って肩書があるからな!」
カペラは「家族といる時間を大事にしたい」と、ノックスの誘いもあっさりと断り、エリナと共に大衆食堂を開いた。身分を問わず味わえる彼女の料理は、闇の民の心をつなぐ場所となっている。
王宮を離れてもカペラはこうして民の中に溶け込み、彼らの声を拾ってはノックスたちに届けてくれる。民と王をつなぐ橋渡し役──その姿に、ノックスは密かに感謝していた。
店いっぱいに人々の楽しそうな笑い声が広がる。商人も兵士も子どもも、身分を問わず同じ席で笑い合い、皿を分け合っていた。トニオの笑い声がそれに重なり、未来へと続く祝福の音のように響く。
ノックスはその光景を見渡し、心の奥で静かに思った。
(三人の力を借りながら、俺はこれからも民の生活を守る。闇の王として。)
「……俺、ルナ呼んでくるわ。先になんか頼んでて」
そう言って、ノックスは笑いながら店を後にし、ホマムにまたがって城へ戻っていった。




