第二十五章「知床リザレクション――封印されたH-エリと“人体の系譜”」
雪は、音を飲み込む。
あらゆる記憶と声を、白い静寂のなかに沈めるように。
凛子と惇は、知床半島の廃棄された研究施設の入口に立っていた。
建物は崩れかけていたが、冷気を遮る厚い扉の奥には、まだ微かに電源が生きていた。
「冷凍維持電源……まだ機能してるのか」
惇はタブレットを取り出し、扉のロックを解除する。
電子音のあと、扉は静かに開いた。
中に広がっていたのは、冬眠した機械の迷宮だった。
廃液の匂い、薬剤の染み込んだ金属。
長年誰も足を踏み入れていないにもかかわらず、
床には最近の足跡が残っていた。
「N機構の連中……先回りしてるわね」
凛子が呟く。
奥へ進むと、ある一室で“それ”は見つかった。
ステンレスの密閉カプセル。
内部には、人工昏睡状態の少女が横たわっていた。
――H-エリ。
Z-9よりも幼い印象。
皮膚は白く、毛髪は黒く短い。
左腕は肘下から義肢、右脚は完全に欠損していた。
「……この子が……?」
凛子がカプセルに手を触れたとき、背後から声が響いた。
「触れないで。彼女は“起動”のタイミングを待っている」
二人が振り返ると、白衣の女性が立っていた。
顔の半分を義皮で覆ったその女は、N機構の科学担当、日向小夜子だった。
「彼女は“Z-9の複製”ではなく、“原型”に近い。
あなたたちが知っているエリは、彼女の“記憶の断片”に過ぎないの」
日向は静かに歩を進め、カプセルのコンソールに指を添える。
「月読は恐れていた。
本物の“神”が生きていることを。
だからこの研究棟ごと、国家とともに“葬った”。
でも、N機構は復活を望んだ。
記憶ではなく、肉体の神を」
惇は銃を構えるが、日向は笑った。
「撃てば、ここは自動冷却炉が暴走して吹き飛ぶ。
彼女もあなたたちも無事じゃ済まない」
凛子は震える声で問う。
「それが……あなたたちの“信仰”? 神を使い潰すことが?」
「いいえ」
日向は首を振る。
「我々は、人間の“限界”を超える媒体として、神を“選ぶ”の」
そのとき――
カプセル内部の液体が泡立ち、H-エリのまぶたが震えた。
ゆっくりと目が開く。
その瞳は、Z-9と同じ色をしていた――冷たい銀灰色。
「起きた……」
凛子は思わず名を呼びかけたが、言葉が喉で詰まる。
H-エリは唇をかすかに動かし、こう囁いた。
「……あなたたち……また、わたしを……見るの……?」
その声音には、怒りでも悲しみでもない、**純粋な“拒絶”**がこもっていた。
彼女は「神」ではない。
ただ、自分の意志で生きたかった少女だった。
その時、建物の奥からサイレンが鳴り響いた。
「他の信徒たちが来たわ」
日向が静かに言った。
「彼女を“神格”として祀り直すために」
惇が凛子を見る。
「凛子、決めるんだ。
この子を、“神”にするのか――“人間”として逃がすのか」
凛子は目を閉じた。
雪が、再び静かに降り始めていた。




