第十六章「マルセロの収集室――“記録の本体”と生きた設計図」
その部屋には、音がなかった。
目の前には、まるで生きた博物館のように整然と並ぶ数百の義肢、骨格、皮膚パネル。
それぞれがガラスケースに収められ、付属するQRコードを読み取ると、“元の身体”に関する詳細な情報が表示される。
身長、骨密度、性別、出身国、事故の時刻、感情の変化まで。
この空間を管理するのは、一人の男――マルセロ・グティエレス。
東南アジアのスラムで人体データ密売を経て、日本に渡り、“身体設計の蒐集者”として裏社会に名を馳せていた。
「ようこそ、私の“図書館”へ」
マルセロは流暢な日本語でそう言った。
「ここでは、肉体は“本”なんだ。読むために在る。“Z-9”も、読んだ。美しかったよ、あの脚の配列は……まるで祈りのようだった」
惇が低く睨む。
「お前の“収集”は、命をデータに落とす行為だ。そこに人間はいない」
マルセロは笑う。「それでも私たちは、人間を“構造”として愛する。君たちだってそうだろ?」
***
凛子は、ガラスケースのひとつに引き寄せられた。
そこに収められていたのは、左右非対称な金属製義足。Z-9の“左脚”に酷似しているが、未完成で歪な輪郭をしていた。
「これは……?」
マルセロは肩をすくめる。
「“Z-9が残した試作”。だが、本当の“記録の本体”は、ここにはないよ」
「……どこにあるの?」
「彼女自身の脳皮質に刻まれていたはずさ。**“再構成前の神経スキャン”**が存在する。私は断片しか得られなかった。完全な記録は、君たちの追っている“名古屋のある病院”にまだ眠っているはずだ」
その瞬間、部屋の奥で異音が鳴った。
誰かが“収集室”のセキュリティを解除したらしい。
「……誰だ?」
惇が声を潜めると、白衣の人物が姿を現す。
その顔には、月見草と同じ“義肢中毒者”特有の虚無と陶酔が浮かんでいた。
「マルセロ、Z-9のデータは渡さない。それは“信仰”の領域にある。あなたのような論理屋には、扱えない」
その声は女だった――月見草の妹、カレン。
彼女は、生体義肢の神経接続実験中に錯乱し、自身の腕を切断してしまった元研究者。
カレンは言う。
「Z-9は“偶像”よ。人間と機械の“聖痕”。
その記録を、冷たい数字にしないで。彼女は“祈り”であり、私たちの“神経の記憶”なの」
凛子は、静かにそれに答えた。
「でも私は……“神”にされたくない。“Z-9”が誰だったかを知りたいだけ。忘れられた誰かの、“名前”が知りたい」
その言葉に、マルセロが一瞬だけ表情を変えた。
彼は、腰の後ろからデータスティックを取り出し、凛子に差し出す。
「これは、彼女の神経スキャン断片の一部だ。“言葉になる前”の記憶だ。君なら、そこから“名前”を再構成できるかもしれない」
惇が問いかける。
「なぜ、渡す?」
マルセロはうなずいた。
「私は“読者”でしかない。本を書くのは、君たちの役目だ」
***
部屋を出る直前、カレンが凛子に囁いた。
「……記録を読んだら、壊れるかもよ。
Z-9は、ただ死んだんじゃない。自らその“義足”に、記憶を封じたの。消えないように、壊れないように」
「覚悟はできてるわ」
凛子はそう応え、義足で静かに床を踏みしめた。
データスティックは、彼女のポケットで温かく脈動していた。
Z-9の声が、そこに宿っているかのように。




