第十三章「雪原の仮面、“足を求める男”と灰色の契約」
――すべてが、白だった。
空も、大地も、山の陰影さえも。
そこに色はなかった。ただ、風の音と、身体の感覚だけが現実だった。
惇と凛子は、北海道の士別市郊外にある、ひっそりとした山間の民宿へと身を潜めていた。
“死んだ”ことになった以上、二人に本名はなく、過去もない。
しかし、この雪原の奥には、まだ終わっていない“契約”が存在していた。
***
「……“足を求める男”が、また動き始めたらしいわ」
凛子は、小さなタブレットに表示された暗号掲示板のログを読み上げた。
「義体オークション」「ヒト皮」「リアルクラフト」といった不穏な単語が踊っていた。
「ハンドルネームは《Shuyō(腫瘍)》……たぶん、あのクラブの残党。自分の身体を“構築し直す”ことに執着するタイプ」
惇は目を細めた。
「凛子……あいつが、またお前の脚を“商品”として狙ってるってことか?」
凛子は頷いた。
彼女の義足は、美術的にも構造的にも“完全体”に近い。人工物としての完成度が高すぎるがゆえに、倒錯者たちにとっては欲望の対象だった。
その夜、凛子は夢を見た。
血のように赤い雪が降りしきるなか、自分の脚が分離し、独り歩きしていく夢だ。
その義足はしなやかに跳ね、舞い、やがてどこかの冷たい金属の箱の中に収められる。
箱のフタには《落札済》のスタンプ。
そして、それを見つめる“顔のない男”。
目覚めた凛子の顔は蒼白だった。
「……もう一度、終わらせなくちゃ。あの“クラブ”の残火を」
惇は無言で頷いた。
***
二人はある協力者に連絡を取った。
その人物の名は《御影ユリ》――かつて名古屋の義肢工房で“モデル”となる肉体を提供していた半自傷的アポテムノフィリアの元患者だった。
今は、北海道の更生施設で作業療法士として働いている。
ユリは静かに言った。
「あなたたちを受け入れる代わりに、ある“映像”を手に入れてほしいの。
北見の私設研究所に残された、クラブ最期の“生体分離実験”の映像よ」
惇はその依頼を受けた。
理由は明白だった――そこに凛子の“本当の義足元データ”が含まれている可能性がある。
つまり、凛子の“脚の原型”になった少女の最期の記録だ。
***
夜の北見。
二人は廃工場跡地に造られた地下研究所に潜入する。
内部には、血の跡はない。だが、不自然に整ったベッド、無人のモニター群、そして真空保存された義足型の鋳型が残されていた。
その奥、冷凍庫の中から出てきたのは――“記録媒体”に偽装された、皮膚のようなUSBメモリだった。
「これは……人皮を素材にした記録デバイス……?」
凛子は震えながらも、デバイスを懐にしまう。
「行こう、凛子。ここはもう“終わった場所”だ」
だがその背後、非常灯の光の中に、マスク姿の男が立っていた。
顔はわからない。だが、目だけが異様に爛々としていた。
「“義足の女”――ついに、手に入る……」
男はそう呟き、片手に持ったノコギリをゆっくりと持ち上げた。
凛子は即座に背負っていたスプレー缶を取り出し、火花を浴びせた。
簡易火炎放射――男は叫び声をあげ、地下室の奥へ逃げ去る。
「Shuyōだったのか?」
惇が問う。
「違う。あれは“模倣者”……クラブの思想に感化された“偽者”よ」
凛子はきっぱりと答えた。
その背後で、かつての研究台が溶けるように崩れ落ちた。
まるで、この場所そのものが――倒錯者たちの亡霊ごと、消えていくかのように。
***
帰路。
雪の上を歩く凛子の義足は、少しだけ軋んだ音を立てていた。
「この脚は……わたしの罪だと思ってた。でも、違う。これは、生き残った私そのものなのね」
惇は微笑んだ。
「凛子、もう脚なんてなくてもいい。“お前が生きてる”なら、それで十分だ」
けれどその直後、凛子のポケットの中のUSBが、突然熱を持ち始める。
デバイスの裏側に、小さなコードが浮かび上がった。
《Z-9:供与記録未確認》
そこには、もう一人の“義足の女”の存在が示されていた――
“凛子の原型”になった少女は、まだ生きているのかもしれない。




