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大喧嘩!

26、落書き


 

次の日の放課後、ユタに彼の「お宝」を返す為、私は自習室に戻った。

自習室にはリカだけがいた。ヘッドホンを付け、手でドラムを叩く振りをしている。机の上には古典のプリントが広げられてはいたが、勉強しているようには見えなかった。

私はユタのスポーツバッグの中身が揃っているのを確認して、チャックを閉めようとした。中を見てしまったことをユタには隠し通さなければならない。

ふと、一番上に詰まれたエロ漫画に目が留まる。

白い羽を持つ天使の女の子。彼女は長い黒髪を持っていた。リカと、同じ長さ、ヒップラインまで届くロングヘア。漫画の顔とはいえ、顔の造形も何処と無くリカに似ているように思えた。天使は男のエスコートを待つように左手を前に差し伸べている。

その左手に落書きがしてあった。黒いサインペンで描かれた手首は掌を天に向け、中指を立てている。

昨日の放課後、この漫画を見たときはこんな落書きはされていなかった。

私が見ていないうちに、スタディメイトの誰かが落書きをしたのだ。

誰がこんなことを……?

私はリカの視線を背中に感じた。振り向くと、リカは目を合わせまいと視線を机の上のプリントに戻す。

昨晩、リカはこの漫画を読んでいた。

私は、リカが犯人だと直感した。

何故、こんなことをした? 私はユタに「絶対見るな」と言われているのだ。落書きされて戻ってくれば、ユタが私に対して怒り出すだろうということは容易に想像がつくだろうに! 

私は体内から怒りの塊がだんだんと湧き上がってくるのを感じた。

「リカ! ちょっとこれを見て!」

私はリカに漫画を突きつけた。

「この漫画がどうかしたの?」

ヘッドホンを外しながら、リカは白々しく聞く。

「リカが悪戯描きをしたんでしょう?!」

 リカはおおげさに驚いて、

「ひどい! 私は読んでいただけよ! それで私が落書きした証拠にはならないわ!」

「証拠? 証拠がなければ、犯人はわからないとでも思っているの? 直感でわかるよ。リカしかこんなことをする奴はこの自習室にはいない!」

「何故?」

リカは椅子から勢いよく立ち上がる。焦りの為か、怒りの為か、リカは食って掛かる態度に出た。

 私は漫画の後ろの方のページをパラパラと捲ってリカに見せた。わざと優しい声で言う。

「この漫画のラストで、主人公の男がヒロインの天使の長い髪を無理矢理切っているでしょう? リカはこれに怒りを感じたんじゃない?」

 漫画の内容は、Mの気が無い女の子が読めば、ムカムカするようなものだった。男の身勝手な行動で、天使は堕天使になり、天国に戻れなくなる。主人公に従順な元天使はわがままな男の要求を何でも聞いた。最後に自分の自慢の髪をも男に切らせる。それでも天使は笑顔で主人公を受け入れる。Happy Endと書かれたラストのコマ。

 リカが返答に困る様子を見せた。

 間違いない。リカが落書きをした。私の言った事がどうやら的を得ていたようだ。リカは曇るような声で私に聞いてくる。

「あゆみちゃんはこの漫画を読んで怒りを感じないの? ムカつかないの?」

「どうして?」

 リカは少し考えている様子だった。一気に吐き出すように言う。

「男の子達って、身勝手よ! 実際の女の子がこんなに従順になれるわけが無いじゃない! 女の子は物じゃないのよ! 皆、自分の意思があるのに、男の子って自分の理想ばかりを女の子に押し付けるじゃない? 理想と違うと思うと『俺のことを愛してない』って急に冷たくなるの! いつもそうなの! 告白されて付き合い始めても、私のことを理解しようとはしてくれないの! 誰も私の事なんて好きになってくれない! 私から生まれる『幻想』ばかりを愛しているの。男の子達って馬鹿よ!」

 私はかなり面食らっていた。まさかリカが激情に駆られて、こんなにもあっさりと自白するとは思わなかった。

「……だから、落書きをしたの?」

呆気に取られて聞く私に、

「そうよ!」リカは堂々と答えた。

 悪気など微塵も無い様子だ。私はまた腹が立ってきた。私が話し合いたい問題点は、男がどれだけ阿呆な生き物か否かではなく、リカが私の預かり物に勝手に落書きをしたという事実だ。

「身勝手なのはリカだよ! リカは私の事は考えなかったの? リカが落書きを漫画にしたら、困るのは私なのに!」

 リカは黙った。言い返す言葉を捜しているのだ。そして、ボソボソと低い声で言った。

「それ、あゆみちゃんの物じゃないでしょう? ユタ君のでしょう? 問題ないじゃない」

 私の物では無いから困るのだ。もし私の所有物にリカが落書きをしたならば、私がリカに文句を言うだけで事は終わる。しかし、これは私に対する信用問題に繋がるのだ。(まあ、最初からユタの信用をバッサリと裏切った私ではあったが……。)私がユタを裏切ったことが解れば、男子全員の私に対する評価は愕然と落ちるだろう。「南あゆみは、顔だけではなく、性格も『下の下』だ」と言われてしまうだろう。

 リカは私に対して軽蔑的なまなざしを向けた。私は何故彼女がそんな目を私に向けるのかがわからない。リカは静かに言い放った。

「あゆみちゃんは男の子達に媚びているよ!」

 軽く頭をバッドで殴られたかのような衝撃を感じた。

 私が男に媚びている……? そんなわけない! 媚びてなんていない! 

「あゆみちゃんは、悔しくなかったの? 罰ゲームに使われた時にあゆみちゃんは傷ついたはずよ! なのに、何故男子の言うことを聞いてあげちゃうの? あゆみちゃんは今でも武君に優しいし、ユタ君の頼みを聞いてあげるし、それに……どうして健太郎君を赦せるの?!」

 リカの言葉は嫌なことを私に思い出させた。罰ゲーム……、傷ついた。本当に。馬鹿で子供っぽい男子を呪いたくなった。けど、実は女子だって似たような事はやっているのだ。  

よく夜中に集まってはくだらない話で盛り上がる。話題は十中八九、男の子の事だ。正直であることは残酷であることと、イコールで結ばれる。「絶対に付き合いたくない男の子」「気持ち悪い男の子」……男子の買い手市場とはいえ、それでも女の子から全く相手にされない男の子達はたくさんいた。彼らを一人一人話題に取り上げては血祭りにあげて行く……女の子達の神聖な夜はこうして更けてゆく。

「まあ、成り行きというか……、深く考えなかっただけかも……」燃えるように怒るリカに対して、私は曖昧に答えた。どんな返答もリカを納得させる事はできないと感じた。

 リカはまた突き刺すような目をして私を見た。

「あゆみちゃんにはプライドがないの? 自尊心や、自意識がないの?」

 これには私も腹が立った。

「私にだってプライドはあるよ! リカのプライドほど『お高く』は無いけどね! リカは我儘だ!」

「我儘じゃないわ! 私は自分に正直なだけよ! いつも周りに従うか流されるかしかできない人にそんなことを言われたくないわ!」

「私はそんな人間じゃない!」

「そんな人間よ! 自分の髪型だって自分で決められないじゃない!」

「髪は関係ないでしょ!」

「あるわよ! 髪だって自分の一部でしょう? 自分自身のことすら自分で決められないということが問題なの!」

 私は早くもリカのペースに流されている自分を感じて焦った。

 自分のことを自分で決める? 私はできる限りそうしてきたつもりだ。しかし、時には自分を抑えなければならない事もある。リカは自己顕示欲が強すぎるのではないか?

「リカの頭には『協調性』という言葉が無いの? 周りが自分にいつも合わせてくれると思っているんじゃないの? 自惚れ屋!」

「周りに合わせてもらった覚えなんて無いわよ!」

「それはリカが鈍感だからだ! 私達がどれだけリカの髪を守るために努力したかも知らないで!」

 リカは一瞬戸惑いを見せた。しかし、後にはもう引けないと感じたらしい。震える声で言い放った。

「助けてくれなんて……言った覚えはないわよ。あゆみちゃんたちが勝手にやったことじゃない!」

 私はリカを見つめた。リカの顔には「後悔」の色が直ぐに見て取れた。が、もう遅かった。私は自分の怒りを、マグマのように押し寄せる怒りを鎮めることはできなかった。

 机の引き出しを開け、素早くハサミを手に握った。

 リカは髪を背に隠し、壁に背を付けた。目は私の手のハサミに釘付けだ。

「何をする気? まさか……」

 リカは私を強く睨むと、壁伝いに部屋のドアへ近付き、逃げ出した。

 バタンッ!

 リカが渾身の力を込めてドアを閉める。私はハサミを持ったまま立ち尽くしていた。

 


27、夕食


 

 夕食時、リカは食堂に来ていなかった。食堂近くの音楽室からリズム良いドラム音が聞こえる。きっとリカが叩いているのに違いない。

「で、昨日の夜にも幽霊は出たの?」

さやかがタラコスパゲッティに刻み海苔を振りかけながら、正面に座っている武に聞いた。

「いや……昨晩は表れてはいないと思うぞ。……おい、ユタ、そういう噂は聞いてはいないよな?」

武はパンにバターを塗りながら肘で隣のユタをつつく。

 スパゲッティを口いっぱいに入れていたユタは黙って頷いた。

 「期末テストさえなければ、楽しいことばかりなのにぃ……」早苗がヨーグルトに苺を混ぜながらつぶやいた。

 そうなのだ。テストさえなければ、私達はクリスマス会と冬休みのことだけをゆっくりと考えることができるのだ。

 健太郎に告白されてから、まだ一度も彼とゆっくり話をしていない。生徒会の仕事と期末テスト準備が忙しく、それどころではないのだ。健太郎はそのことで私に文句を言ったりしなかった。それは、私にとってありがたい事であると同時に、少し寂しいことでもあった。話ができない事が私にとってはストレスにもなるというのに、健太郎は私と話さなくても別に平気なのだろうか?

 


28、それから……、


 

 一週間が瞬く間に過ぎていった。

期末テスト前。勉強が忙しいせいか、最近では新しいカップル誕生の噂も、幽霊の噂も聞かなくなった。リカのバンド練習も夕食後の一時間のみとなった。

私は自習室での喧嘩以来、リカとは話をしていない。

リカは私を見ると視線をそらす。同じ部屋にいても、私から一番離れた場所に移動する。私を恐れているからか、それとも当てつけのつもりか、とにかくリカは私を極端なほどに避けている。

私は既にユタにスポーツバッグを返していた。落書きについては何も言わず、もしユタが私を責めてきたら「知らなかった」と言い通してやろうと思った。その代わり、「お礼」の「ぶつぶつ苺ポッキー」は貰わなかった。

今のところ、ユタから何も言われてはいない。それは、彼が気付いていないからなのか、理由はよくわからなかった。私はホッとしていた。しかし、同時に不安でもあった。もしかして男子達は影で私の悪口を言っているかもしれない。……食堂で、私の外見を「下の下」を評したように、私が聞いていないはずのところで、私をけなしているかもしれない。そう思うとたまらなかった。

 


29、期末テスト


 

 私は解答用紙を見直して、答えにミスが無いかどうかを確認した。

 ……大丈夫。少なくとも九十点以上は取れる自信がある。

 期末試験も残り二分で終わる。それとともに一時フリーズされた学園生活がまた動き出すのだ。勉強の忙しさにかまけて、最近は目立った事件は何もなかったが、今夜から続々とスキャンダルが学校のあちらこちらで起こるに違いない。

 今学期もあと残り三日だけ。明日は一日中お休み。明後日の昼間に採点された答案と成績表が生徒達に渡される。夜にはクリスマス会がある。そして明々後日の朝に、生徒達は寮を出て実家に帰る。

 テストが終われば、皆の意識は「クリスマス会」へ誰と一緒に行くかという問題にだけ集中する。私は今日の夜にも生徒会があり、明日もきっと準備で忙しくなるだろうと覚悟した。

 ふと、腕時計から目を離し、前の席に座るリカを見る。リカは焦るように消しゴムで答案用紙をこすっている。彼女の手が揺れるたび、長い髪もかすかに揺れた。蛍光灯の光を鋭く打ち返す艶。まるでよく磨かれた日本刀の刃。

 私はこの髪を一度、激情に駆られたとは言え、切ろうとしたのだ。

 リカが扉を閉め、一人取り残された自習室で、私はハサミを呆然と見つめていた。すぐに軽率な行動をとったことを後悔した。しかし、リカの言ったことに心底怒りを感じていたのも事実だ。私はリカが私に謝りに来るのを待った。私から謝るつもりは毛頭なかった。

 リカがあの時私に言っていた事は、恐らく日ごろから抱え込んでいたリカの悩みだろう。

「誰も私の事なんて好きになってくれない! 私から生まれる『幻想』ばかりを愛しているの。男の子達って馬鹿よ!」

 私から言わせれば、これは贅沢な悩みだ。私とリカは違いすぎる。リカは綺麗だ。私は醜い。たかがそれだけのことだ。しかし、きっと私はリカの悩みを理解する事はこれからもできないと思う。そして、リカも私の悩みや卑屈になる心を絶対に理解してくれることは無いだろう。美しい者には美しい者の考え方があり、醜い者には醜い者の考え方がある。

 しかし、それでも私はリカと仲直りをしたかった。

 私は自惚れていたかもしれない。リカは、新入生で、先輩達からの評判も良くなく、多くの女子の嫉妬を一身に受けてきた。リカはこの学校で孤独なはずだった。私やスタディメイトたちが彼女の唯一の「味方」だったはずだ。そのなかでも、私はリカに対してずいぶんと便宜を図ってあげたつもりだったし、リカから信頼されていると思っていた。私はリカに感謝され、必要とされたかったのかもしれない。

 

「終了! 解答用紙を集めます」先生が言ったとたん、教室が騒がしくなった。

 テストが終わったという安堵感と共に、私はわずかな緊張も感じた。ドラマでも映画でも、ラストは物語が劇的に変化するものだ。私の「高校一年生・二学期」という劇も、クライマックスを迎えようとしている。


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