第九章 飛華秘話(九)
建物の外に出ると、南側に長い道があるのが見えた。
道は草原を引き裂くように伸びている。
道の端に、町中で見かけるよりも大きな飛車が待っていた。
五人程度は乗れそうだ。
「こっちがいいでしょう」
梅乗が連れていってくれたのは、道の東にあるやぐらだった。
そこから道を見下ろすと、先程の飛車が走り始めていた。
道の途中で白い翼が浮き上がり、迂峨過都の上空に昇って行く。
「これで見なさい。よく見えます」
言われるままに、やぐらに据え付けてあった台に上った。
そこには白い円筒があり、空に向かって片方の先を向けている。
反対側から覗き込むと、白み始めた空に飛車が旋回しているのが見えた。
乗っている道士の姿もはっきり見える。
私は筒から目を離し、空を見上げた。
こうしてみると、飛車は点にしか見えない。
「これは、どうなっているんですか」
横から筒を覗き込んでいた楊淵季が顔を上げた。
「真ん中が膨らんだ玻璃を使って、物を大きく見えるようにしてあります。像は、球面を切り取ったような形の玻璃などで補正してあるから、綺麗に見えるでしょう。天君が新しい方法を考えたのです。それ以前は像が逆さに見えたのですよ」
もう一度筒を覗きながら、少し背筋が寒くなった。
きっと麓の老人が合図した時も、こういったもので私の姿を確かめたに違いない。
私たちは、透明な糸や、遠くの物が見える道具を作るような男を相手にしている。
勝ち目があるのだろうか。
不安になって、楊淵季を見る。
彼は、やぐらの下を眺めていた。
「おい、陸洋、その筒をこっちに持ってきてくれ」
「わかった」
私が台ごと筒を運ぶ。
彼はそれをやぐらの東端に置き、崖の下に筒の先を向ける。
「あれは何だ」
梅乗がつま先立ってやぐらの下を眺めた。
「砲台でしょう。迂峨過都を出ようとした飛車を撃ち落とすための火薬玉が入っている」
見ると、地面に穴がいくつも空いているのがわかった見えた。
李三の様子をうかがうと、感情を殺した目で、じっと砲台を見ていた。
これで李三の家族もやられた、というのだろう。
胸の奥で締め付けられるような圧迫感を覚える。
「思ったより大きいんですね」
私は目を逸らした。
「砲台ではなく」
楊淵季が私の袖を引いた。
「何かあるのか?」
「覗いてみろよ」
筒を覗くと、暗がりに何かがあるのが見えた。
棒が縦横に走っている。
足場らしい。
いったん筒から目を離し、遥か下を望む。
そこには麓の老人の家があった。
家のそばには竹が何本も積み重ねてある。
「程適だ」
彼が足場を組んで上がってくると言っていたことを思い出す。
しかし、竹は麓にはなかったから、玄都まで取りに行かなければならないはずだ。
そして、玄都への道は、あの河を下るしかない。
――あの男は、それをやっているのか。
視界がかすんだ。
慌てて目を擦り涙を払う。
肩に暖かいものが触れた。
梅乗の手だった。
「いいものでも見えましたか」
うなずくと、彼は軽く肩を叩いた。
「これができてから、いろんなことが証明されました。古の人は水星と金星以外の惑星には月があると言ったが、天君以前の望遠鏡では、せいぜい土星の輪が見えるくらいだったそうです。それが天君の作った望遠鏡では、もっと遠くが見えるようになった」
この筒を覗く天君の姿を思い浮かべる。
あまり似合ってはいない。
あの天君には、夜空などという神秘的なものではなく、もっと鋭い現実の世界が似合う。
「六十歳で天君になるまで、ずっと玻璃を研究し続けていたと聞きますよ。天君も、あなたたちが言ったことと同じように考えた。それで、あの糸を発明した。しかし、織っても中が透けるばかりだったそうです。研究を続けたかったという話ですが、龍鳳洞から研究費が下りなかった。ただでさえ、使いすぎていましたからね。糸の研究は最後まで続けていて、ついには微細な金属を並べて作る糸の開発に力を入れていたといいます。しかし、それに費用がかかって、最後には真有公殿に研究費が下りなくなってしまった。ついに、研究はやり尽くしたと言って、金属を削るという古いやり方で、あの殺人鏡を作った」
「じゃあ、研究費のことで、前の天君に恨みがあったんですね」
すると、梅乗は笑った。
「私は、今の天君を評価しませんが、そんなことでは殺さなかったと思いますよ。もっと、違う大きな目的があった。飛華洞の道士は、そういう者が多いです」
「そうだよ、俺の父さんだって」
李三が言いかけて、口をつぐむ。
そして、そっぽを向いて、やぐらの床を蹴った。
楊淵季はやはり程適を見下ろしたまま、黙っている。
梅乗が、下りようと言った。
李三が先に梯子を下り始めた。
子供のせいか身が軽い。
続いて梅乗が下り、私も梯子に足をかけた。
だが、楊淵季はまだ、手すりにもたれてぼんやり立っている。
「下りるぞ」
声をかけると、つぶやきが返ってきた。
「玻璃でなく、金属」
「は?」
「なぜ、玻璃での開発をやめたんだろう。金属なんか使って、透明になるのかな」
「……なりそうもないけど。そもそも、金属が透明じゃないからな」
「龍鳳古鏡も、結局は金属なんだよな。くそ、糸の研究をしている道士に聞いたほうが早いか」
彼は疲れたように肩を落とし、私についてやぐらを下りる。
それでも思案するように眉を寄せていた。
出入り口に続く廊下を歩いていると、李三が、表の様子を見てくると言って駆け出した。
「梅乗殿」
楊淵季は私のそばを離れると、梅乗の耳元に何かを囁いた。
梅乗が驚いたように顔を上げ、篝火に目を遣った。
「わかった。調べてみましょう」
何のことかと問いかけようとした時、李三が戻ってきて、今なら大丈夫だと言った。
私たちは梅乗と別れ、夜が明けないうちに李三の家に戻った。




