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第九章 飛華秘話(十)

 寝台に横になって蝋燭を吹き消すと、窓を閉めた部屋は真っ暗になる。

 朝の冷たい空気が頬に触れる。

 私は目を固く閉じ、呼吸を整えた。

 懐かしい夢を見た。

 華都の夢だった。

 肉包を喰らおうとしたところで目が覚める。

 体を起こすと、腹が鳴った。

 部屋に李三はいなかった。

 楊淵季はまだ寝台に転がっている。

 じきに、戸が開く音がして李三が戻ってきた。

 抱えた袋を寝台の上にあけると、中から肉ちまきが六つ転がり出た。

「芙蓉棚の近くの店で、おれは一番好きなんだ」

 かぎつけたのか、楊淵季が体を起こした。

 すでに目は覚めていたらしい。

 それぞれにちまきを取り、無言で頬張る。

 肉の香りが米にしみていて美味かった。

 白湯を飲むと、夕方には食べ物を買って戻ってくるからと行って、李三は仕事に出ていった。

 眠っていた鸚鵡が目を覚まし、ちまきの残りをついばむ。

 昼頃になると外でいい香りがした。

 扉が叩かれ、一瞬体を強張らせる。

 楊淵季が外をうかがいに行き、野菜炒めの皿を持って戻ってきた。

「李三?」

「いや、梅乗だ」

 楊淵季が寝台に皿を置くと、鸚鵡が料理に飛びかかってくる。

 それを背中でしのぎながら、腹に野菜炒めを押し込む。

 梅乗が作ったものらしく、あちこち焦げていた。

「朝、梅乗に何を頼んでいたんだ」

「ああ?」

 楊淵季はやけに柄の悪い声を出して睨んだ。

 が、突然、野菜炒めをかき込むと、喉を鳴らして飲みくだした。

 余りに勢いがよかった。

 目を丸くしていると、彼は不機嫌そうに座り直す。

「天君は本当に李三を傷つけたんだな」

 それきり、楊淵季は黙り込んだ。

 いつまで経っても寝台の上で膝を抱え、じっとしている。

 何かを考えているようでもあり、何も考えられないようでもあった。

「どうしちゃったんだろう?」

 李三は仕事から帰ってくると楊淵季の顔の前で手を振ったり、ほつれていた髪をいじったりした。

 反応はない。

「おーい、淵季。水ぐらい飲みなよ。喉かわいてないの?」

 それでも話しかける李三の後頭部を、鸚鵡が蹴った。

「なんだよ、こいつ!」

 李三が鸚鵡をつかまえようと手を伸ばす。

 鸚鵡の方が一枚上手で、巧みに飛んで避けては李三を蹴り返した。

 けっきょく、楊淵季は食事もとらず、水も飲まなかった。


「どうしよう、陸洋」

 翌朝になっても、淵季の様子は変わらなかった。

 李三は水の入った湯飲みを手に、おろおろしている。

「頑固だからな」

 私は、楊淵季が絶食をしていた、というのを思い出しながら答える。

「でも、食べないと弱っちゃうよ」

「菓子があれば、食べるかもしれないけど」

「この辺はお菓子の店がないんだ。東側の連中はおれたちだってわかると高い値段をふっかけるし。おやつっていうと、もっぱら芋で。あと……ああ、ちょっと待って」

 李三が乱暴に戸を開けて出て行った。

 私は楊淵季に近づく。

 鸚鵡が容赦なく私を蹴り飛ばした。

 それを手で払いながら、話しかける。

「おい、淵季。何か食べてもらうぞ」

 答えはない。

「李三が今、甘いものを持ってきてくれるはずだから」

 びくり、と彼の肩が震える。

「いきなり物を食べても喉が痛むだろうから、白湯でも飲んで」

 茶碗を突きつけると、彼は面倒臭そうに視線を逸らした。

 目元には相変わらず淋しい色が浮かんでいる。

「あのな、何がわかったか知らないけど、おまえが死んで済む話でもないだろう」

「死んだら、俺は考えなくて済むだろう。悪くはない」

 悪くはない、だと。

 目の前で軽い破裂音がした。

 見ると、彼の頬が赤かった。私の手の平もしびれている。

 殴ったのだ。

 信じられず、思わず拳を握り直す。楊淵季も驚いたように私の手を見ていた。

「ずいぶんお節介な手だな」

 また、手が動きそうになった。

 それをこらえて、彼を見下ろす。

 言いたいことは山ほどあった。でも、何一つ言葉にならない。

 戸が開いた。

「これ、三軒隣のおばさんがよく作っているやつ。溶き卵に砂糖を入れて蒸したやつで……て何? 殴り合ってんの?」

 状況を説明する気にはなれなかった。

 目の前でそっぽを向いている淵季を見ていると、無性に腹が立つ。

 なぜこんなに腹が立っているのか、自分でもわからない。

 でも、その怒りばかりが、私の気持ちを支配していた。

「李三、それをくれ」

 私は李三から茶碗を受け取る。

 茶碗の中には卵の色をした豆腐のようなものが入っていた。

 添えられていた匙ですくって、一口食べてみる。

「……甘さが足りない! なめらかさもだ……!」

 私は茶碗を持ったまま立ち上がった。

 とにかく、腹が立って仕方がなかった。

「作った人の家はどこだ」

「だから三軒隣の」

「南か、北か、西か、東か」

「西……連れて行こうか」

「こいつが何をするかわからない。見張っていてくれ」

 私は楊淵季を睨むと、茶碗を持ったまま外に出た。

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