第九章 飛華秘話(八)
梅乗は、階段をずっと降りていった。
私と淵季は肩を並べ、あとをついていく。
「なあ、陸洋。さっきのが先代の天君の研究成果だとしたら、今の天君はとんでもない野郎だぞ」
楊淵季が手を止め、つぶやいた。
「どうして?」
「先代の天君と同じ研究をしてはならない。研究室も封鎖。それが、ここの決まりだ。それなのに、同じような、しかも明らかに小さくなって、改良されている可能性がある玉があるということは」
「……規則を破って、密かに研究を続けていた、ということだね」
「おかしいと思っていたんだ。なぜ、今の天君が先代の天君を殺さなければならなかったか」
「自分が天君になりたいからじゃないのか」
「そうかな。禁止されていた研究を密かに続けていたのは、どうしても、その分野で成果を残したかったからじゃないかな。何か、絶対にやりたいことが、今の天君にはあった」
「殺人?」
「どうだろう。ただ……自分の祖父についてこういうのも何だが、変わった人らしいんだ。『術覧』なんかにも、先の天君の助手として、今の天君の名前が出ている。でも、死んだ研究員を解剖したとか、医院の娘――馬英鈴という人だが、その人を妻にしたのも、医院の手術室を自由に使いたかったからだとか、とにかく薄気味悪い記事が絶えない」
「鏡の専門家なんじゃないのか」
「もちろん、鏡の専門家だ。いくつか発明もしている。だが、多くはない」
「鏡以外に光の研究もしていたから?」
「さあ、それだけにおさまっていればいいが。結局、馬夫人も殺してしまって、医者として有能だった林香葉と結婚しているんだからな」
「やけに医療にこだわるね」
「ああ、何かをしたかったはずなんだ。それが、先の天君の研究とつながっていたことはわかった」
「え、いつ」
「さっきだ。あの板、どこかで見たと思わないか。大きさはだいぶ違うが」
私は記憶を探る。
確かに、鏡ではなくて、玻璃でできた大きな板をみたような。
「龍鳳洞だ」
鏡の間の壁の一部が鏡ではなく玻璃がはまっていたのを思い出す。
「そうだ。何か、重要なものかも知れない」
階段は、地下深くへと続いている。
梅乗は、振り返りもせず歩いていた。
私も、足の疲れを感じつつ、踏みはずさないように降りていった。
階段を降りきると、鉄の扉があった。
「飲み食い厳禁」
梅乗が重々しい声で告げる。
扉が右の壁に吸い込まれた。
同時に赤い光が目に飛び込んでくる。
透明な部屋の中で火花が飛び散っていた。
中に道士がいて、顔を金属の盾で覆っている。
右手では気車を組み立てていた。
天井を見上げると、鵬がいくつもぶら下がっている。
「寝泊まり厳禁」
背後で梅乗の声がした。
「麗しくない鍵だな」
楊淵季が振り返り、顔をしかめる。
「ああ、これはさ、研究員がつい、工場に居残りをしてしまうからなんだ。その間、明かりが点きっぱなしで気の無駄遣いだろ。龍鳳洞がうるさくて。それで、規則を鍵にしてあるらしい」
李三は「無駄遣い」という言葉に力を込める。
「そういった目的で鍵を作ってはいけないだろう」
楊淵季は少し傷ついた顔をした。
すると同じ表情で梅乗が近づいてきて、無言で手を差し出す。
二人は互いをいたわるように手を握り合った。
「ああいう感じの人たちばかりだからさ」李三が私の耳もとでささやいた。「規則なんて忘れちゃうだろ」
李三を見ると、あきれ顔で肩をすくめていた。
「こちらでは、今の天君が作った機械も動いていますよ」
梅乗は、こちらを気遣うこともなく、どんどん奥へ歩いて行く。
「今の天君、ですか? 使用禁止にはならなかったということですか」
楊淵季が梅乗と並んで歩きながら、問うた。
「洞主様から聞いた話ですが、あの方は研究を愛していらっしゃったそうです。飛華洞の工場ですでに稼働しているものは、そのままにしてよい、とおっしゃったのですよ」
梅乗は、今の天君の作った装置について、一つ一つ説明を始める。
装置は玻璃にまつわるものが多かった。
玻璃に金属を張りつけ、鏡にする装置、玻璃の表面を一定の形に曲げる装置などで、数人の研究員が動かしている。
鏡が作られる様子を眺めていると、梅乗が肩を叩いた。
「そちらもそうです」
目を遣ると、巨大な糸巻きがある。
それらは物凄い速さで回っていたが、糸を紡いでいるようには見えない。
ただ、時折きらきら光る。
糸巻きの先には巨大な釜があった。
「何も見えないでしょう?」
梅乗が悪戯っぽく言った。
「透明な糸ですか」
楊淵季がはっとしたように糸巻きを見上げる。
「そう。あれをどんどん細くしていって、猫の毛の一万分の一の太さにする。まだ失敗も多いですが。これは、玻璃を溶かして作っているんです。だから、透明になる。天君の、最大の発明品かも知れません」
「これをよりあわせて、糸や縄にするんですか」
「そうです。近頃は、よく芝居に使わていますよ」
「……では、あの糸を布に織り上げたらどうなりますか」
梅乗は一瞬、不思議そうな顔をした。
それから天井を仰ぎ、覚えたばかりの詩を暗唱するように顔をしかめる。
「透明な布になるでしょうね。多分、向こうが透けるでしょう。ただし角度によって、少しは手前の風景も映るかも知れません」
「映る?」
「反射するんです。玻璃ですから。縄にした時でも、完全に向こうが透けているというよりは、ある程度周りのものを反射しているのです」
「でも、そのままでは光に反射してわかってしまうのでは」
「皆、劇に夢中になっていますから。舞台などでも反射はしていると思います。理論上、あれは光に反射しないというより、周りと同じ程度の光を反射し、なおかつ奥のものが透けて見えるために透明に見えるのです」
楊淵季と私は顔を見合わせる。
それならば、空と手すりしかない場所で、姿を消すことができそうだった。
「じゃあ、そうやって作った布を人が羽織ったら」
「意味がありませんよ」梅乗が呆れたような顔をした。「何も着ていないように見えるだけです」
「手前のものが映るとおっしゃったではありませんか」
「そりゃあ、そういうこともあるかも知れませんが。人間というのは凹凸がたくさんあるでしょう。万が一、手前の景色を映して透明に見える箇所があるとしても、全部ではない。必ず中の人間が、もしくは中の人間が着ているものが透けてしまいます」
「そうですよね」
私たちは同時に言って、うなだれる。
「大丈夫?」
李三が心配そうに覗き込んだ。
「ああ。また、考えるさ」
楊淵季の声は明るかったが、多少無理をしているように聞こえた。
「ちょっと外に出ましょうか」
梅乗が、慰めるように言った。




