第四章 郷愁別離(四)
「外だ」
大きな河だった。
岸には街らしき明かりも見える。
振り返ると、月明かりの中、一際暗い穴が見えた。穴からは小さな滝が落ちていて河に注いでいる。
再び前方に目を遣り、明かりを見る。
楼閣らしきものは数軒あったが、少ない。
ここは、華都ではない。
「街に近づいてみよう」
仲興が櫂を水面に差し込んだ。
「運河だろうか」
伯文が河の様子を見ている。
「ありうるな。明け方に出て、夜か。流れにもよるけれど、そんなに華都から離れてはいないだろう。南というと、南安か、安朱か」
仲興が川岸を眺める。
「何で見分けるのだ」
「街の規模だ。南安なら、町中まで運河は走っていない。どちらかというと、華都から大運河を下る商人の宿場として使われている街だから、運河沿いにしか家がないんだ」
「では、安朱なら?」
「町中まで運河が走っていて、華都のように河の左右で商家と楼閣が分かれている」
「街に入り込むのは気が進まんな。役人たちもあの河を下ったはずだ。出口が一つなら、同じ場所に来ているはずだ」
「ああ」
仲興は疲れたように、乾いた笑いをもらす。
船は静かに河面を滑っていた。
河の両岸は石垣で守られている。
目の前に大きく弧を描いた橋が見えた。真ん中だけ橋桁の間隔が開いている。
やはり運河だ。
時折通る大きな船のために道を作っているのだろう。
橋の下には、華都と同じように浮浪者がたむろしていた。腹を空かせている者も、酔っている者もいた。
橋の上はだいたい東から西に人が流れている。どうやら、西岸にあるのが繁華街らしい。
「安朱だな」
仲興がつぶやく。
私たちは東岸に寄り、運河から少し入り込むと葦の陰に船を停めた。
「上陸するのか」
伯文が眉を寄せた。
「いい加減食料を調達しないと腹が間に合わないだろ。おまえ、いくら持ってる?」
「普段、肉包代しか持ち歩いていない」
「陸洋は」
私は懐を探った。と、何かに指先があたった。手を突っ込んだまま考えて、思い出す。例の本だ。
『医療小冊』
信じがたい内容だった。しかし、これに書かれていることが本当ならば、少なくとも医療に長けた仙人の国がどこかにあることになる。
「金がないのか」
伯文が囁いた。
「いや、あるよ」
私は苦笑し、手を懐から引き抜いた。
三人とも、持っていた小銭は似たようなものだった。
船底に並べ、何度も数える。
「これだけか、肉包一つずつが限度だな」
仲興が、いくらかの銭を集めると、残りを私や伯文に返した。
「肉包一つ」
程適が深い溜息をついた。皆が彼を見ると、いえ、めっそうもない、と手を振り、落ち込んだようにうなだれた。
「まあ、肉包があるだけましだ。ここから南に行くと、主食が小麦ではなく米になる。そうなると、あっても肉ちまきだからな。いくら肉包が恋しくても、米を食うんだぜ」
仲興がまとめた銭を懐に放り込んだ。
「旦那方あ、一体、何のためにこんなことしてるんで? 船を盗んだり、地下の河をくだったり」
情けない声を上げ、程適が涙目で私を見上げた。
「仙人を捕まえるために決まっているだろ」
仲興が程適を睨みつけた。
「仙人!」
程適は叫んで腰を浮かす。船が揺れた。
「ごめん、黙って。ぬれぎぬを着せられて困っているんだ」
私は慌てて彼を押さえ込み、口を手で覆う。
程適はしばらく押しのけるように手足を動かしていたが、力がかなわないと知ると、恨めしそうに私を見上げた。
「俺、肉包を買ってくるよ」
仲興が器用に船の上で立ち上がった。
「待て、おぬしが一人で四つも買うのか? 怪しまれるぞ。それに、あの老人の所在は誰に聞くんだ」
伯文が落ち着いた顔で指摘した。
「それもあったな」仲興は頭を掻いた。「まいった、どこかに宿でも取るか」
「どこにそんな金があるんだ」
「ないかな、どこか匿ってくれそうで、しかも情報がありそうなところ」
「そんな都合のいいところがあるのならば、世の中で苦労してる民が怒るぞ」
「いいところは、と」
仲興は構わない様子で腕を組み、葦の先端を見上げている。
「そうだな、あるにはある」
「見栄を張るな。よいのだ仲興。一人ずつ人混みに紛れて」
「船に戻る時に見つかったらどうする。いいから、あるんだ」
あってたまるか、と伯文が顔をしかめた。
「どこにあるんだ?」
私は睨み合った仲興と伯文の間に体を割り込ませた。
「商家さ。安家という。安朱で一番大きいんだ。うちと取引があるから、大丈夫だろう。第一、商人は先にした約束を違えないのが当たり前なんだ。特に、取引先とはな。信用が命だろう。利益だけで動く役人とは違う」
「そこで、いきなり言うのか。匿ってください、仙人の居場所を教えてください、などと」
「安家とは、多少のことをしても許される仲だ。行くぞ」
仲興が陸に上がった。私と程適も続く。
伯文だけが、そんな上手いことがあるか、とつぶやいていたが、しばらくして振り返ると、ついてきていた。




