第四章 郷愁別離(五)
大通りを人混みにそって歩いていく。
じきに、大きな建物が見えてきた。
三階建てで周家に似ている。窓から覗くと、周家と同じように料理を出したり、物を売ったりしている。二階を見上げたが、妓女は顔を出さなかった。そういった店ではないらしい。
二階の欄干に金縁の額がかかっていて、濃い墨で安家楼と書いてある。
仲興はちらりと額を見上げ、路地に入った。
路地は店を囲うように続いている。
そのまま行くと、裏口らしき木戸の前に出た。
「開門」
扉を二度叩き、仲興が小さな声で言った。
「どなたか」
中から男の声がする。
「華都の周仲興だ。父が世話になっている」
すると、扉が内側に開き、恰幅のよい男が顔を覗かせた。
「なんだ、ぼうやか。久しぶりだな」
「張さんじゃないか。ずいぶん太りましたね」
仲興はほっとしたように笑顔を見せ、男の手を取る。
「なに、ぼうやこそ、ずいぶんでかくなって。前に会った時は、確か五つだったかな」
にこにこしている二人の背後で、伯文が、「それで大きくなっておらんのなら異常だ」とつぶやいた。
「何か言ったか?」
仲興がこちらを見た。
「いや、ずいぶん小さい頃から旅に出ていたんだな」
私は無理に笑顔を作り、背中で仏頂面の伯文を隠す。
「ああ、小さいから旅に出ていたんだ。店の邪魔になるだろう。うちは、毎日華都から各地に船を出しているんだ。それで、面倒を見てくれる使用人が船に乗るたびに連れて行かれたのさ。こんな籠に入れてさ」
両腕で丸を作ると、恥ずかしそうに笑う。
「野菜なんかを入れる籠なんだ。三つの頃なんて、使用人がよそ見をしていて、もう少しで野菜と一緒に売られるところだった」
その時、助けてくれたのも張さんさ、とつけ加え、男に向き直る。
「出てきたのがあなたでよかった。ちょっと、匿ってもらいたいんです」
「どうなさった」
張、という男は少し緊張したように、私たちに視線を走らせた。
「友だちがぬれぎぬを着せられたのです。事情はあとで話しますが、それで華都を出てきました」
「逃げているんですか」
「手がかりになる仙人を探しています」
「仙人」
男は少し考えるような顔をした。
「わかりました。ご主人様を説得して来ます。それまで、私の部屋で待っていてください」
そう言うと、うなずいて手招きした。
私たちは身を屈めながら廊下を歩いていった。
張という男が、裏口に近い部屋の扉を押し開ける。
「こちらでお待ちください。決してこちらをお出にならないように」
張の顔には笑顔が張り付いていた。
だが、扉が閉まる瞬間、真顔になるのが見えた。
「ほら、上手くいっただろ」
仲興が囁いた。
「……どうかな。今頃、私たちを役人に売っているかも知れん」
伯文は憮然として、椅子の上に片膝を立てている。
「商人はそんなことはしない。商人が気にするのは商人同士の信頼だ。それに使用人を大切にする。安家にとって張さんは大事な使用人だ」
仲興の声が大きくなった。
伯文が、「しい」と言って声を低くする。
「ではなぜ、商家で働くのをやめる使用人がいるのだ。上手い商売などという言葉があるのだ。どこかで、余分に儲けているから、そうなるのだ」
「うるさいな、何ならおまえ、一人で華都に帰るか」
二人は今にもつかみかかりそうだった。
私は体を割り込ませ、人差し指を唇に当てる。
ようやく静かになった二人に笑顔を見せつつ、私は違和感を覚えていた。
役人に見つからずに安家に潜り込めたのは幸いだった。
上手くいったと仲興が言うのもわかる。
だが、上手く行きすぎているのだ。
すでに安朱には、地下の河を通ってきた役人が到着しているはずだった。当然、安朱で一番大きい店に連絡を入れないわけがない。役人の食料や、厩を借りるためだ。しかし、店の周りには、運良く、役人らしき者はいなかった。
運が良く。いや、良すぎる。
役人の張った罠にひっかかっているかもしれないのだ。
そう待たないうちに、扉が開いた。
私は、筋肉が強張るのを避けられなかった。
見ると、伯文も程適も腰を浮かせている。
落ち着いているのは仲興だけだ。
顔をのぞかせたのは、張だった。
一人だ。
「安家楼の最上階にどうぞ。滅多に人が入らないところです」
張はそう言い、先に立って歩き始めた。
仲興がすぐあとを追って部屋を出た。
私は伯文に視線を遣る。
行くしかあるまい。
視線を交わすと、私たちも外に出た。




