side1:鉤宮進矢 feat. 林原裕理
連投です。
学校を終えた鉤宮進矢は終礼を終えると教室を一目散に抜け出した。部活をやっていない鉤宮は通学用の自転車に跨ると、誰よりも早く校門を後にする。その動きに無駄はない。無駄のない走行で無駄のない道を通り、無駄なくコンビニでビックフランクを購入し、無駄なく駐輪場に自転車を停める。
そして鉤宮が辿り着いたのは、私立鬼社高校から地下鉄二駅分ほど離れたほぼ廃ビルと言っていいほどに古びた五階建てのテナントビルだった。鉤宮は荒い息が整うのを待たずに階段を駆け上がる。エレベーターは蒸し暑い真夏に三時間閉じ込められたその日以降、使用を自重していた。
鉤宮の足音と上がった息遣いだけが各階の廊下に響く。五階に着くまでに誰ともすれ違うことなく、鉤宮はビルの屋上まで走り切った。
廃れたテナントビルの屋上。そこにある、後から増設したのが見て取れるように佇んでいる木造の掘っ立小屋が、鉤宮の目指していた場所だ。後から増設したのにも関わらず、小屋は妙にビルの風貌に馴染んでいる。つまり、小屋もビルに負けず劣らず廃れていた。
鉤宮はポケットからタブレットを取り出して時刻を確認すると深呼吸を数度してから小屋のドアを開ける。
小屋のドアを開けるとカラカラとドアベルが乾いた音を鳴らした。中には観葉植物が所狭しに並べられており、背の高い植物のせいで部屋の奥が見えない。小屋の中は小さなジャングル状態になっていた。鉤宮は玄関先に置かれた箒と塵取りを手に取ると、かろうじて確保された獣道に落ちた枯葉を回収しながら部屋の奥に進んだ。独特な草の臭いが鉤宮の鼻を刺激する。ここに通い始めてしばらく経つが、この匂いは鉤宮の未だに慣れないものの一つだ。
「遅刻だよ、バイト君」
植物の鉢と鉢の間にある狭い隙間に落ちた枯葉に悪戦苦闘した末、やっと辿り着いた部屋の最奥で鉤宮はそこの小屋の住民、林原裕理にそう言われた。林原は質素な折り畳みの椅子に座り、年季の入った四角い机にいつも飲んでいるインスタントコーヒーと各社の夕刊を置き、眼鏡越しに夕刊の一部に目を通している。
林原は鉤宮をバイト君と呼ぶ通り、この小屋の住民でありながら鉤宮を雇っている女店主だ。つまり、この古びた小屋は林原が営んでいる店である。雇い主とアルバイト、それが林原と鉤宮の関係だ。
「十五分前にはもういましたけど、ドアベルの音、聞こえたでしょう?」
事実で林原の言葉を否定しようと鉤宮はいっぱいになった塵取りの中身を見せた。
「バイト君。バイト君はまず店に着いたらその店の店主に挨拶するのが常識だ。それが雇われている側の礼儀というやつだ。それに遅刻した時の言い訳ほど醜いものはない。ビックフランクを買う時間があればあと五分は早くここに着くことができたはずだよ」
そう言うと林原は新聞紙を折り畳み、それを夕刊の山に戻すと、鉤宮が肩に掛ける学生鞄を指さした。
「相変わらずの観察力ですね」
「私は情報屋だ。当然だろう。私がその気になれば君が今までの人生で蓄積した情報の大方を仕事の片手間で一週間もあれば収集できる。まあ、君に隠す気がない事に関しては、だが」
「そうでしょうね。そこには自分も疑いを持ちませんよ」
「君のそういう素直なところは嫌いではないよ。特別に遅刻分の給料の差し引きは無しにしてあげよう」
そういうと、林原は先ほどまで読んでいた新聞とは別の新聞に手を伸ばした。
鉤宮はここで働き始めてすでに半年が過ぎている。林原の観察力、情報収集力、考察力に驚くことは初めて会って以降ない。彼女の能力には素直に尊敬している。鉤宮はそんな林原に魅せられてここ、『情報屋』で働いているといっても過言ではない。『情報屋』は『情報屋』であってそれ以上でもそれ以下でもない。店を構えてはいるものの、『情報屋』という以外に固有の店名はない。それは林原のポリシーみたいなものでわざわざ店名を持って情報を増やす必要はないと理由からだった。情報屋という事を隠す為に他にカモフラージュ的な意味で店名を構えてみたらどうかと鉤宮は林原に提案したことがあるが、情報屋以外に何かをする気はないらしく、林原は看板を構えていない。
「それで、今日は俺、何をすればいいですか?」
鉤宮が林原に指示を仰ぐ。それに対し林原はふむ、と少し考えた後「そろそろいいか」と呟いた。
「今日、帰りが少し遅くなっても構わないかい?」
「別に構いませんけど」
「今日の二十時、ここに一人の男がやってくる。商談だ。それに立ち会いたまえ。何、君は何もしなくていい。私の隣で男との会話を聞くんだ。勉強だよ」
その言葉を聞いた鉤宮はというと、驚きを隠せない様子である。鉤宮がそうなるのも無理のない事だった。この店で働き始めて以降、鉤宮はほとんど観葉植物の世話しかしていない。業務時間中に客が来たことは今までになく、一人で勉強ができるような書類や書籍は一切置いていない。せいぜい林原が読み終わった各社の新聞を読み、世の中の情勢を様々な角度から読み取るくらいだった。しかし、林原は新聞でさえ一度読めばすぐその日のうちに捨ててしまう。それは林原のこだわりのようで、自分の元に自分の得た情報の痕跡は残さないというものだった。一度得た情報は全て林原の大脳皮質に保存されている。それは常人離れした記憶力を持つ林原だからこそできる芸当だ。
つまり、鉤宮は半年近くここで働いていながら、今まで『情報屋らしいこと』は一度もしたことがない。それ以前に、林原が情報屋らしいことをしているのも見たことがない。鉤宮は林原の能力を尊敬してはいる、彼女がどんな情報を扱っているのさえ、未だにはっきり把握していなかった。
だが今回、林原はそれを急に教示すると言い出したのだ。あまりに急な展開に鉤宮は「本当にいいんですか?」などと聞き返してしまう。
「なんだ、嫌なのかい?」
「い、いえ、急に願ってもない話が舞い込んできたので」
「願っていなかったのか」
「いえ、違います! 願っていました!」
林原は慌てる鉤宮を見て「ならいい」と言い、空になったコーヒーカップを持ち、席を立った。鉤宮には林原が少し微笑んだようにも見えたが、気のせいかもしれないとも思った。林原は感情が希薄だった。今でこそ些細な表情に少しは気付けるようになったが、初めは彼女の心情を全く読み取れなかった。
「でも何で急に」
鉤宮はカセットコンロだけが置かれている簡易的なキッチンに向かう林原を目で追いながら問う。
「頃合いというにはまだだいぶ早いような気がするが、まぁ、気分かな」
「林原さんってたまに適当ですよね」
鉤宮は鉤宮の座っていた椅子の向かいに置かれた開きっぱなしの折り畳み椅子に座りながら言う。
「何を言っているんだ。私は大概適当だよ。そうでなければこんな仕事していない。あと、私は君をかっているんだ。なんせ、私に半年間『隠し事』を隠し抜いている」
電気ポットでカップにお湯を注ぎながら林原が言う。確かに、鉤宮は林原に一つだけ秘密にしていることがあった。それは林原だけに隠しているのではなく、誰にも話していない事だった。それ以前に話したところで信じてもらえる話でもないが。
「本当は気付いているんじゃないかと僕は疑ってたりします。林原さんが確信を得られないだけであって」
「残念ながらそれに関してだけは片手間一週間ではわかりそうもない。確信以前の問題さ」
「なら良かったです」と鉤宮は大げさに安堵する素振りをして見せた。
「情報を持っている事をちらつかせながらそれを隠し通すことは実はなかなか難しい。ちらつかされた側がそれを価値のあるものだろうと判断すれば何かしらの手を打ってその秘密を探ってくるだろうし、人間は基本的にお喋り好きだからね。ひょんなきっかけでつい口にしてしまうものさ。だが、君は隠している。それは一種の才能だよ。私は君のそこをかっている。でなければ私が今日みたいな気分になることはないよ。それが理由ということでいいかな?」
今まで、これほどまでに林原から直接的な評価をされたことがなかった鉤宮は、林原がそんなことを思っていたのかと内心驚くのと同時に、少し照れくさくて自分の首筋を掻いた。なんだか久しぶりに誰かに褒められたような気がした。
「あの、もう少し褒めてもらってもいいですか?」
「あまり調子に乗らない方がいい」
調子に乗った鉤宮を一蹴しながら、林原は鉤宮の前にカフェオレの入った赤いマグカップを置いた。
「すみません。あ、ありがとうございます」
さすがに調子に乗ったと自覚した鉤宮はすぐに引き下がり、自分の前に置かれたカフェオレに対し、林原に礼を言う。林原は自分のコーヒーに口を付けながら「ん」と小さく手を挙げて自分の座っていた椅子に座り直すと、再び新聞に目を落とした。
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それはさておき、なろうの投稿ってこんなに難しかったでしたっけ?慣れですかね?きっとそうですね。




