ep.5 遅めの朝食を取りながら
翌朝、セラは街の食堂のテラスで、遅めの朝食を取っていた。
焼いたパンに卵、温かいスープ。昨日は帰りが遅くなったため、今日は少し遅めに出てもいいことになっていた。
通りを眺めながらパンをちぎっていると、隣の卓から話し声が聞こえてきた。
「昨日、街道に竜が落ちたらしいぞ」
「勇者一行が倒したって?」
「いや、助けたらしい」
「どっちだよ」
セラはスープを一口飲んだ。
一晩で、少し違う話になっていた。
「魔獣も出たって聞いたぞ」
「そっちは倒したんだろ?」
パンをちぎる手が止まった。倒してはいない。森へ戻したのだ。
訂正しようかと思って、セラは隣の卓を見る。
やはり、口は挟まなかった。
朝食はまだ残っている。もう一口、パンを食べた。
食事を終えて、王国軍特別遊撃隊の隊舎へ向かった。
執務室に入ると、ブルーノが自分の机で頭を抱えていた。少し離れたところでは、レオンも同じように頭を抱えていた。
ミリアは自分の机で、小さな薬瓶をいくつか並べていた。アルノーとノエルも、それぞれの席にいた。
「……おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
セラはミリアの机を見る。
「それ、昨日のですか?」
「はい。使った薬の分を記録しておこうと思って」
ミリアが空になった小瓶を一つ持ち上げた。
「薬も記録がいるんですね」
「補充しないといけませんからね」
「なるほど……」
セラは自分の机を見る。
何もない。
そのままブルーノの机を覗いた。
「ブルーノさんは?」
「昨日の報告書ですよ」
書きかけの任務報告書が広がっていた。
「書くことが多すぎてね」
「ああ……」
暗渠に、岩角猪に、落ちた竜。確かに多い。
今度はレオンを見る。
「隊長は?」
「俺はこれ」
一枚の紙が持ち上がった。昨日、帰りに乗った乗合馬車の領収書だった。
「行きの馬車は却下されたのに、帰りのこれは経費になるのかなと思って」
「リディアさんに聞きましょうか」
「朝から軍本部だ」
「ああ……じゃあ、帰ってくるまで分かりませんね」
「そうなんだよ」
レオンは領収書を机へ戻した。
その時、建物の前で小さな竜の足音が止まった。
窓の外を見ると、小型の陸竜が一頭、入口の前に止まっている。背には竜人が乗っていた。
「ドラゴン便ですね」
ほどなくして、竜人が箱を抱えて執務室へ入ってきた。
「王国軍特別遊撃隊はこちらで?」
「はい」
レオンが立ち上がる。
「昨日、うちのブラックを助けていただいたそうで、ありがとうございます」
ブルーノが顔を上げた。
「あの竜、ブラックというんですか」
「ええ。今朝にはだいぶ良くなってます」
昨日、森の中で横たわっていた大きな身体が浮かんだ。
飛べないほどの怪我だった。元気になっていると聞いて、少し安心した。
「治療してくれた方にも、よろしく伝えてくれって」
ミリアが顔を上げる。
「元気そうですか?」
「ええ。今朝はもう、じっとしてろって言われて不満そうでした」
ミリアが笑った。
「それなら大丈夫そうですね」
「こちら、竜運からです。皆さんでどうぞ」
箱が机の上に置かれた。
「焼き菓子はブラックが選びました。あいつ、これが好きでして」
レオンが頭を下げた。
「わざわざ、ありがとうございます」
「それでは、失礼します」
竜人は一礼して執務室を出ていった。ほどなくして、外から陸竜の足音が遠ざかっていく。
箱を開けると、中には焼き菓子と、竜運の紋章が入った携帯杯が四つ並んでいた。
セラが携帯杯を一つ手に取る。側面に、竜運の紋章が小さく刻まれている。
「ええ! それ私も欲しい!」
少し離れた机から、ノエルの声が上がった。
アルノーが顔を上げる。
「昨日、来てないだろ」
「それはそれ、これはこれ」
ノエルは杯から目を離さない。
セラは手にしていた杯を差し出した。
「どうぞ。ノエルさん、竜好きですからね」
「いいの?」
「はい」
「ありがとう!」
ノエルは杯を受け取ると、そのまま箱から焼き菓子を一つ取った。
アルノーがそれを見る。
「それも持っていくのか」
「これはみんなの分でしょ」
ノエルは自分の席へ戻り、焼き菓子をかじりながら杯を眺め始めた。
あれだけ喜んでくれるなら、渡してよかった。
もう一つ、箱へ手が伸びる。
「一つもらってもいいかい?」
「どうぞ……あれ、フィンさん」
「ん?」
「いつからいたんですか?」
「最初からいたよ」
「……気づきませんでした」
フィン・ラウゼンは焼き菓子を一つ取った。
「昨日、竜を助けたんだって?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、『勇者一行、竜を助ける』で一曲」
「もう作るんですか?」
「仕事だからね」
フィンはそのまま自分の机へ戻っていった。
しばらくして、軍本部へ出ていたリディアが戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「リディア」
レオンがすぐに立ち上がり、領収書を持っていく。
「これ、経費で落ちる?」
リディアは受け取って目を通した。
「昨日の帰りの乗合馬車ですね」
「そう。行きの貸し馬車は却下されてるから、どうなのかなって」
「大丈夫です。精算できます」
「よかった」
「貸し馬車の借り上げ申請と、通常の乗合馬車の運賃は規定が違いますので」
「なるほど」
「出張精算書を提出してください」
「あ、そうか……そうだな」
「はい。一人ずつ書いていただきます」
セラは自分の机を見た。
書類が来ることが確定した。
リディアの視線が、机の上の箱へ移る。
「それは?」
セラが答えた。
「竜運から、お礼だそうです」
「贈答品ですね」
室内が静かになった。
レオンが箱を見る。
「……こっちも何かいる?」
「受領記録が必要です」
ブルーノまで動きを止めた。セラも箱を見る。
ノエルはもう杯を持っているし、焼き菓子も減っている。
「私が付けておきます」
リディアは送り状を手に取った。
「よかった……」
誰が言ったのかは分からない。
ノエルは杯を眺めながら、焼き菓子をもう一口かじっていた。
それぞれ、昨日の後始末に取りかかった。
セラは出張精算書を書き、ミリアは薬の使用記録と補充の申請をまとめる。ブルーノはまだ任務報告書を書いていた。
途中からアルノーが隣に立った。
「そこまで細かく書かなくていい」
「しかし、竜の件もありますし」
「『負傷した中型竜を発見。竜運へ引き継ぎ』で十分だ」
「なるほど」
「岩角猪も同じだ。経緯は書く。全部再現する必要はない」
「助かります」
セラは出張精算書を書き終えると、机の端へ寄せた。
昨日の街道周辺の地図を広げ、その横に竜脈の流れを記した図面を置く。
ブラックの下へ寄せた場所を確認し、日付と範囲を書き込んだ。
昨日はその場で動かしただけだったが、こうして図面に残すと、改めて仕事を終えた気がした。
「昨日動かした竜脈について、図面の添付も必要なら言ってください」
アルノーが報告書から顔を上げる。
「言われたらつけよう」
リディアもこちらを見た。
「今回は報告書への記載だけで大丈夫です」
「分かりました」
セラは図面を畳んだ。
その横では、ブルーノがまた筆を止めていた。
やがて顔を上げた。
「できました」
完成した報告書は、まずレオンの机へ運ばれた。
レオンが最初から目を通し、何度か頁を戻して、最後に署名する。
「よし。承認する」
今度はリディアへ渡される。リディアも内容を確認し、受領欄へ記入した。
「受理しました」
「……終わった」
ブルーノは筆を机に置いた。
レオンも四人分の精算書を確認し終えると、椅子の背にもたれた。
「……こっちも終わった」
アルノーがブルーノの肩をぽんと叩く。
「ご苦労さん。一杯奢れよ」
「おお、早速今夜行きましょう」
ブルーノが顔を上げた。
レオンが、そのやり取りを不思議そうに眺めていた。
リディアも、ブルーノとアルノーの方を見た。
「小隊長になると、手当が増えるんですよ」
「そうなのか」
「はい。その代わり、任務報告書をまとめるのも小隊長の仕事です」
レオンは、受理されたばかりの報告書を見る。
「……なるほど」
アルノーがミリアとセラを見る。
「二人も来るか?」
「私は今日は教会に寄ってから帰ります」
ミリアが答えた。
「また今度誘ってください」
セラも少し考えた。
酒は嫌いではない。ただ、朝をゆっくり始めたせいか、今日はそのまま静かに帰りたかった。
「私も今日は……帰ります」
「そうか」
ノエルは少し離れた机で、竜運の杯を眺めながら話を聞いていた。
「ノエル」
「何?」
「来るか?」
「行く」
返事は早かった。
ミリアが笑った。つられて、セラも笑った。
ブルーノとアルノーが、今夜どこへ行くかを相談し始める。
ノエルも杯を手にしたまま加わった。
フィンは自分の机で、何かを書いている。
きっと、さっきの歌だろう。
いつの間にか、窓の外は夕方になっていた。
セラは机の上を片づける。
さて。
今日の晩ごはんは、何にしよう。




