ep.2 四人まで
翌朝、ブルーノ・ガードナーは銅貨二枚のことで隊長に呼ばれていた。
机の上には、ブルーノが先日の出張で使った宿の領収証と精算書が並んでいる。
「宿代は銀貨一枚と銅貨八枚」
レオンが領収証を指で押さえた。
「こっちには銀貨二枚って書いてある。この銅貨二枚、何に使った?」
ブルーノは宿に着いてからのことを思い返した。
「ああ。湯代ですね」
「湯?」
「風呂が別料金でした」
「それも宿泊費に入れたのか」
「はい」
隣で聞いていたリディアが精算書を引き取る。
「では、入浴料で分けておきます」
「お願いします」
ブルーノは頭を下げた。
着任初日から新しい隊長が追っていた銅貨二枚は、自分の風呂代だった。
その後も隊舎では、前任者の残した書類を片付ける作業が続いた。
ブルーノの前にも防具の点検記録が置かれている。革帯の傷み具合なら実物を見てもらった方が早いと思うのだが、交換するにはまず紙に書かなければならない。
斜め向かいではノエルが魔術触媒の補充申請を書き、ミリアは医療品の在庫表を確認している。セラは古い地図を机いっぱいに広げていた。
昼前になって、軍務局から一通の封書が届いた。
「隊長、派遣依頼です」
リディアがレオンへ渡す。
ブルーノは点検記録を書きながら、何となくそちらを見ていた。
封を切ったレオンの顔が途中で変わる。
ブルーノはペンを置いた。
「街道に魔獣が出た」
荷馬車が襲われ、御者と同行者の二人が負傷。すでに近隣の村へ運ばれ、命に別状はないという。
現在は地元の自警団が街道を封鎖し、通行人を迂回させている。
依頼は、魔獣の討伐または街道からの排除。
「よし、準備しよう」
レオンは立ち上がると、壁際に置いてある剣へ手を伸ばした。
ブルーノも腰を上げる。
「ブルーノは来てくれ」
「了解です」
前衛が要るなら、自分が呼ばれるだろうとは思っていた。
「アルノーも。相手が魔獣なら見てもらいたい」
「分かった」
「怪我人が出てる。ミリアも頼む」
ミリアが在庫表を閉じる。
「相手が何か分からないなら、ノエルもいた方がいいな」
「いいよ」
どうやら新しい隊長は、最初から自分も行くつもりらしい。
アルノーが席を立ち、依頼書を手に取った。
「どこの街道だ」
場所を聞いたところで、アルノーの眉がわずかに動いた。
「ここなら、竜威香が効いてるはずだが」
街道沿いには、魔獣を遠ざけるための竜威香が一定の間隔で置かれている。ブルーノも何度も通ったことのある道だった。
「切れてたんじゃないのか?」
レオンが聞く。
リディアは依頼書に添えられた巡回記録を確認した。
「三日前の点検では異常なしとなっています」
アルノーは紙を見たまま、しばらく黙っていた。
「なら、セラも連れていきたい」
地図を見ていたセラが顔を上げる。
「私ですか?」
「香が効いてる街道まで魔獣が出てきた。追い払って終わりとは限らん」
「地脈か水脈ですか」
「何か動いてるなら見てほしい」
セラは地図を畳んだ。
「そのあたりなら見られます。戦闘は最低限ですけど」
「それでいい」
レオンも頷く。
「じゃあ、セラも頼む」
「分かりました」
ブルーノはもう一度数えた。
レオン。
自分。
アルノー。
ミリア。
ノエル。
セラ。
六人。
「六名ですね」
リディアも同じ数になったらしい。
「うん」
「出張規定では、通常派遣の場合、最大で四名までです」
レオンの動きが止まった。
「……四人?」
「四名です」
ブルーノは隊長を見た。
どうやら知らなかったらしい。
「馬車を使用する場合は八名まで同行できます」
「じゃあ馬車を――」
「この距離は賃貸基準では徒歩圏です」
「ああ……」
レオンも昨日の書類を思い出したようだった。
前任隊長が出した馬車の賃貸申請。
却下理由は、徒歩で遂行可能。
結局、前任隊長は歩いて現地まで行っている。
「四人か」
レオンは椅子へ戻った。
ブルーノも、自分ならどうするか考えた。
魔獣の種類すら分かっていない。アルノーは外せない。
負傷者が出ているなら、ミリアもいた方がいい。
前に立つ者も要る。
残る一人。
「ノエル」
レオンが顔を上げた。
「今回は残ってくれ」
「了解」
ノエルは気にした様子もなく、止めていたペンをまた動かした。
これで五人。
レオンは依頼書の上に書いた名前を見た。
ブルーノ。
アルノー。
ミリア。
セラ。
それから、自分。
しばらくして、最後の名前に線を引いた。
「……俺が残る」
誰も何も言わなかった。
「ブルーノ、アルノー、ミリア、セラ。この四人で行ってくれ」
「了解です」
ブルーノは答えた。
レオンが行きたがっていたことは、依頼書を読んですぐ剣へ手を伸ばしたのを見れば分かる。
それでも、自分から名前を外した。
レオンはリディアを見る。
「こういう時、現地の責任者は?」
「隊長が同行しない場合は、小隊長を一名指定してください」
「分かった」
四人を見回し、レオンの目がブルーノで止まった。
「ブルーノ。今回は小隊長を頼む」
「自分がですか」
「現地で何かあれば判断してくれ。手に負えなければ戻っていい。増員はその時に考える」
ブルーノは三人を見た。
アルノーは魔獣を追う。
ミリアは負傷者を見る。
セラには、竜威香を越えてきた理由を調べてもらう。
その三人を連れて行き、連れて帰る。
「分かりました。任せてください」
出発までに時間はかからなかった。
ブルーノは防具を着け、盾を背負った。アルノーは弓と短剣。ミリアは医療鞄を持ち、セラはいくつかの細長い器具を革袋へ収めている。
最後にリディアから出張申請書を渡され、小隊長の欄へ自分の名前を書いた。
さっきまで防具の点検記録を書いていた机で、今度は三人を連れて出るための書類に署名する。
隊舎を出ると、レオンが門までついてきた。
「頼んだ」
「行ってきます、隊長」
ブルーノが答え、三人へ顔を向ける。
「行きましょう」
自分の声で三人が歩き始めた。
街道へ出ると、乾いた風が頬を撫でた。
道の両側に続く森は、まだ緑を残しながらも、ところどころ黄色や赤に染まり始めている。風が抜けるたび、色づいた葉が枝を離れて街道へ舞い落ちた。
少し先には刈り取りを終えた畑が広がり、束ねられた麦藁が低い陽を受けている。
空は高かった。
歩くには悪くない季節だったが、風だけは朝から落ち着かない。
ブルーノは自然と三人の位置を見るようになった。
アルノーは少し先を歩きながら道の両側を見ている。ミリアとセラは並んで、その後ろ。
歩く速さを決めるのも、休憩を入れるのも自分だった。
小隊長と言われた実感は、隊舎を離れてからの方があった。
「隊長、来ませんでしたね」
休憩を終えて歩き出したところで、セラが言った。
「四人までだからな」
「ずいぶん行きたそうでしたけど」
「そうだな」
依頼書を読んですぐ剣を取りに行ったくらいだ。
アルノーが前を向いたまま言う。
「隊長だからな」
ブルーノは笑った。
「まあ、そういうことだろうな」
午後も半ばを過ぎた頃、街道から人影が消え始めた。
荷馬車は手前の脇道へ回され、その先へ進む者はいない。
封鎖地点が近い。
ブルーノは歩調を落とした。
「そろそろです。気をつけて」
前方に木製の柵が見えた。
槍を持った男が二人、その前に立っている。
四人が近づくと、そのうちの一人がブルーノへ向き直った。
「お待ちしていました。王国軍特別遊撃隊の方ですね」
「はい」
「現場の責任者の方で?」
「ブルーノ・ガードナーです。今回の小隊長を任されています」
当たっている。
だが、なぜ自分だと思ったのだろう。
ブルーノは隣のアルノーを見た。
アルノーよりも歳上に見えたのかもしれない。
考えないことにした。
「状況を教えてください」
「魔獣は今朝から姿を見せていません。昨日襲われた荷車は、そのまま残っています」
男が柵の向こうを指す。
誰もいない街道の先に、一台の荷車が横倒しになっていた。
片方の車輪が外れ、幌には大きな裂け目がある。
「怪我人は?」
「村で治療を受けています。二人とも命に別状はありません」
ミリアが村の場所と怪我の具合を聞いている間に、アルノーは柵を抜けた。
ブルーノも後へ続く。
横倒しになった荷車まで、あと十歩ほど。
「止まれ」
アルノーが片手を上げた。
ブルーノは足を止める。
「そこ、踏むな」
つま先のすぐ先。街道脇の柔らかい土に、大きな足跡が残っていた。
ブルーノには、大きな獣が通った跡にしか見えない。
アルノーはしゃがみ込み、泥を見た。
「一頭じゃないな」
「二頭?」
「少なくとも」
後ろで、自警団の男が息を呑んだ。
ブルーノは周囲を見回した。
街道の両脇には森が続いているが、この辺りは木々まで少し距離がある。背の高い草も少なく、大型の魔獣が身を隠せそうな場所は見当たらなかった。
それでも、姿がない。
アルノーも同じことを考えたらしい。
「隠れる場所がないのに見当たらん」
周囲を見たまま、自警団の男へ尋ねる。
「竜威香は?」
「さっきも確認しました。火はついていました」
アルノーが黙った。
ブルーノにも、おかしいことは分かった。
森へ戻った様子はない。
竜威香も正常に焚かれている。
「ということは……セラ」
アルノーが呼ぶ。
セラは持っていた杖を地面へ立てた。
トン、と乾いた音がした。
そのまま目を閉じる。
しばらくして、杖の先をもう一度地面へ押し当てた。
「……下ですね」




