ep.1 着任
レオンは子供の頃、勇者とは魔王を討つ者だと教わった。
魔族は人の世を脅かすもの。その頂点に立つ魔王を退け、人々を守る者が勇者なのだと。
昔話にも、兵学校で読んだ戦史にも、そういう勇者がいた。
だから王城の謁見室で、その役目を与えられたとき、胸が高鳴った。
「レオン。本日付をもって、そなたを王国軍特別遊撃隊隊長に任命する」
玉座の前で片膝をつき、深く頭を下げる。
正式には、王国軍特別遊撃隊隊長。
ただし、その名で呼ぶ者は軍の外にはあまりいない。
代々、その職に就いた者はこう呼ばれてきた。
勇者。
「謹んで拝命いたします。必ずや魔王を討伐してまいります」
王はしばらく黙っていた。
「誰もそんなこというとらん」
レオンは顔を上げた。
「……はい?」
「誰が魔王を討てと言った」
「いえ、しかし勇者とは――」
「それは俗称だ」
それくらいは知っている。
だが、勇者になったのなら、魔王を討つものだと思っていた。
「魔界連邦とは、現在も戦争状態にあると認識しておりますが」
「ある。だが、ここ数年は和睦が続いておる。大きな戦闘などほとんど起きておらんのに、そなた一人が張り切って魔王の首を取りに行けば、こちらが困る」
そこまで言われると、反論の余地はなかった。
レオンが頭を下げると、玉座の脇に控えていた軍務局の男がわずかに顔を伏せた。
笑われたような気がする。
見なかったことにした。
「特別遊撃隊の仕事は戦争だけではない。討伐、救援、捜索、災害支援、調査。通常の部隊では手に余る事案に、必要な者を送って対処する」
王はそこで言葉を切った。
「条文は知っておるな」
「悪をくじき、正義を執行するもの」
「そうだ。それを忘れるな」
レオンはまっすぐに頭を下げた。
「詳しいことは軍務局から聞け」
王の視線を受け、脇にいた男が一歩前へ出た。
「着任後の手続き、隊の現況、所属人員については、隊舎の事務官より説明があります。未処理案件についても引継ぎの準備が済んでおります」
「どのくらいあるんです?」
軍務局の男は手元の書類に目を落とした。
「そちらも隊舎でご確認ください」
教えてくれなかった。
レオンが一礼して謁見室を辞そうとすると、王に呼び止められた。
「レオン。勇者になったからといって、何でも自分で斬りに行くなよ」
振り返ると、王は先ほどと変わらぬ顔をしていた。
「そなたは今日から隊長なのだからな」
レオンはもう一度頭を下げ、謁見室をあとにした。
◇
王国軍特別遊撃隊の隊舎は、王国軍本部の敷地内にあった。
レオンは一度、その前を通り過ぎた。
何歩か進んでから戻った。
二階建ての石造りで、横には倉庫があり、裏手には小さな訓練場が見える。
入口の脇に掛けられた木札には、飾り気のない文字で王国軍特別遊撃隊とだけ書かれていた。
間違いない。
歴代勇者の像もなければ、大きな紋章もない。
思い描いていたより、ずいぶん普通だった。
扉を開けると、中にいた何人かがこちらを向いた。
最初に立ち上がったのは、大柄な男だった。
「アルバート隊長ですね。ブルーノ・ガードナーです。前衛を担当しています」
差し出された手を握る。分厚い手だった。
「レオンでいい。頼りにしてる」
「分かりました。レオン隊長」
近くの机には、手入れの途中らしい重装の一部が置かれていた。
その隣にいた女性も立ち上がる。
「ノエル。魔術担当。よろしく」
短い自己紹介だったが、無愛想というほどでもない。
続いて、穏やかな表情の女性が名乗った。
「ミリアです。治癒と支援を担当しています」
離れたところから、年嵩の男が歩いてくる。
「アルノー。山岳行動と魔獣が専門だ。よろしく」
日に焼けた顔に、使い込まれた革の装備。
「山なら、たいてい歩ける」
「たいてい?」
「崖でなければな。崖も場所によるが」
レオンは一拍置いて頷いた。
最後に、短い髪の女性が軽く頭を下げた。
「セラです。竜泉士をしています」
「竜脈を見るという?」
「湯脈、地脈、地下水脈。そのあたりなら。戦闘については最低限です。避けられる戦闘は避けるのが信条です」
「頼りになるよ」
セラが首を傾げた。
「褒められてます?」
「もちろん」
「ほかの隊員は?」
ブルーノによれば、今日は半分ほどが外に出ているらしい。
出張に訓練、休暇。それから斥候のロイは偵察任務中。
実働十五名ほど。事務官や補給担当まで含めれば、二十名ほどになるという。
これだけの専門家を、任務ごとに組み合わせて動かすらしい。
「レオン隊長」
背後から声を掛けられた。
振り返ると、数枚の書類を抱えた女性が立っている。
「事務官のリディアです。本日よりよろしくお願いいたします。早速ですが、こちらを」
差し出されたのは着任届だった。
氏名、階級、前所属、着任日を書いて署名する。
書き終えると、次に機密情報取扱誓約書が出てきた。
その次は隊員名簿の受領確認。
さらに装備管理権限の移管確認。
四枚目を書き終えたところで、リディアが書類を揃えた。
「以上です」
「意外と書くな」
「隊長職ですので」
そう言われると、それ以上言うことはなかった。
「では、執務室へご案内します」
執務室。
王国各地からの報告を受け、地図を広げ、必要な人員を選び、指示を出す。
ようやく、それらしい仕事に近づいてきた気がした。
リディアのあとについて廊下を進みながら、レオンは前任者について尋ねた。
「先代の隊長は?」
「先日、退任されました」
「理由を聞いても?」
「腰を痛めまして」
聞き間違えたかと思った。
「任務中の負傷で?」
「いえ。長年の疲労だそうです。医官からも現場任務は控えるようにと」
歴戦の勇者にも腰痛はあるらしい。
「今は?」
「引退されています。たまに遊びには来ますが」
レオンは返事に困った。
「こちらです」
リディアが扉を開けた。
中には地図があり、本棚があり、隊長机もあった。
ただし、その机の上には書類が積まれていた。
かなりの量だった。
「……これは」
「前任隊長からの引継ぎ分です」
「全部?」
「未処理のものだけです」
レオンは机へ近づいた。
右に一山、左に一山、中央にも一山。中央の山だけが傾いている。
一番上の紙を取ると、出張報告書だった。
その下は装備破損報告、その次は経費精算。
さらにめくると、馬車賃貸申請書が出てきた。
赤い印が押されている。
却下。
「理由は?」
「徒歩で遂行可能との判断でした」
出張先を見る。
山岳地帯。
「……徒歩で?」
「実際、歩いて行かれました」
「行けたのか」
「ええ」
レオンは申請書を元に戻した。
却下した側が正しかった可能性が高い。
「前任は現場によく出る人だったのか」
「かなり。その分、こちらが」
リディアが机の上へ視線を向けた。
腰を痛めた理由の何割かは、この机にもあるのではないか。
椅子を引くと、そこにも書類が置かれていた。
レオンは黙って脇へどけて座った。
「それで、何から始めればいい?」
リディアは中央の山から一枚抜き取った。
「こちらをお願いします」
出張経費精算書だった。
「誰の?」
「ブルーノさんです。前任隊長の決裁が残っています」
レオンは扉の向こうを見た。
「そこにいたよな」
「いますね」
「どこが問題だ」
「宿泊費の合計が合いません」
「いくら?」
「銅貨二枚です」
レオンは精算書に目を落とした。
今日、自分は勇者になった。
悪をくじき、正義を執行する者。
子供の頃から、憧れていた役目だった。
その初日に追うことになったのは、魔王ではなく、銅貨二枚の行方だった。




