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冷徹公爵は私を試しているようですが、全部お見通しです  作者: じょな


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4


 王城の一角にある、軍務省の高官専用サロン。

 分厚い絨毯が敷き詰められた静謐な空間で、俺――レオン・クラインは、目の前の男と盤上遊戯の駒を挟んで向かい合っていた。


「チェックだ」


 低く、抑揚のない声。

 盤面を見下ろすアルフレート・ヴァルターの横顔は、彫刻のように美しく、そしてどこまでも冷たかった。

 銀色の髪が、薄暗いランプの光を受けて微かに輝いている。氷の結晶を思わせる青い瞳は盤上の駒だけを冷静に分析し、一切の感情の揺らぎを見せない。

 社交界で『氷の公爵』と呼ばれるこの男の容貌は、今日も完璧に整っていた。


 俺は小さく息を吐き、自分のキングを逃がす。

 アルフレートとは、幼い頃からの付き合いだ。軍の士官学校時代から今まで、俺はこの男が取り乱したり、感情を露わにしたりする姿をほとんど見たことがない。

 何事においても完璧。計算高く、隙がない。

 それが、ヴァルター公爵家次期当主であるアルフレートの絶対的な評価だった。


 だが、その『完璧な男』が、ここ数日どうもおかしい。


「手元の駒が遊んでいるぞ、レオン。お前らしくない凡ミスだ」


「お前の攻めが単調だから、少し付き合ってやってるだけさ。それよりアル。お前、ここ数日ろくに寝てないだろ。目の下に薄く隈ができてるぞ」


 俺が指摘すると、アルフレートは盤上から視線を上げることなく、淡々と答えた。


「軍務が立て込んでいるだけだ。魔獣の動向調査に、国境警備の再編。それに加えて、来月の式典の準備もある。睡眠など必要最低限で十分だ」


「へえ。てっきり、新しくできた『婚約者殿』の対応で頭を悩ませているのかと思ったが」


 俺がその単語を口にした瞬間。

 ナイトの駒を動かそうとしていたアルフレートの指先が、ほんの数ミリだけピタリと止まった。


 ごくわずかな反応。普通の人間なら絶対に見逃すほどの微細な変化だ。

 だが、長年の付き合いがある俺の目は誤魔化せない。


「……シュタルク侯爵令嬢のことか」


 アルフレートは駒を置き、静かに俺を睨みつけた。


「彼女は関係ない。私はただ、自分の計画を淡々と進めているだけだ。三ヶ月後、彼女の方から婚約解消申請を出させるための、完璧な計画をな」


「あの『試し行動』ってやつか」


 俺は手元のグラスを揺らし、琥珀色の酒を一口含んだ。


 ヴァルター公爵家には、ひた隠しにされているある『秘密』がある。

 アルフレート本人が固く信じ込んでいる、血の呪い。愛した者を必ず不幸にするという、馬鹿げた言い伝えだ。

 俺はその真実について思うところがあるが、今は言わない。問題なのは、アルフレートがその呪いを恐れるあまり、自分に近づく女を徹底的に遠ざけようとしていることだ。


 今回の政略結婚もそうだ。家同士の決定を覆せなかったアルフレートは、相手の令嬢に自ら婚約を破棄させるよう仕向けている。

 冷たく突き放し、心を折る。

 わざと嫌われるような態度をとり、完璧な冷血漢を演じ切る。


「計画は順調か?」


 俺が尋ねると、アルフレートは涼しい顔で頷いた。


「ああ。極めて順調だ。顔合わせの席では、この婚約は家の利益のためだけであり、彼女には何の感情も抱いていないと明確に伝えた。先日の茶会でも、心など通わせるつもりはないと念を押してある。普通の令嬢であれば、プライドを傷つけられ、とっくに実家に泣きついている頃合いだ」


「なるほど。で、そのシュタルク侯爵令嬢は泣いて帰ったのか?」


「……いや。まだ、屋敷に留まっている」


 アルフレートの眉間に、わずかに皺が寄った。


「彼女は少し、鈍感なところがあるようだ。あるいは、侯爵家からの重圧で簡単には引き下がれないのかもしれない。だが、時間の問題だ。私の冷遇に耐えきれなくなる日は近い」


 自信満々に語る親友の顔を見て、俺は思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えた。


 こいつは、本当に分かっていない。

 自分の演じる『完璧な冷徹公爵』の仮面が、あの小柄な令嬢の前では、紙切れ一枚ほどの防御力も発揮していないことに。


「おい、アル。お前、自分の演技が完璧だと思ってるだろ?」


「当然だ。私の表情筋は完全に統制されている。言葉のトーン、視線の動かし方、どれをとっても冷酷な婚約者そのものだ。誰が見ても、私が彼女を疎んじているとしか思わないはずだ」


「ありえないな。お前の演技は、彼女には全く通用してないぞ」


 俺が断言すると、アルフレートは不快そうに目を細めた。


「どういう意味だ」


「そのままの意味だよ。お前の嘘は、あの令嬢に全部バレてるってことだ」


 アルフレートは鼻で笑った。


「馬鹿げている。私の心理を読める人間など、この国には存在しない」


「じゃあなんで、彼女はお前が冷たい言葉を吐き捨てた直後に、あんなに楽しそうにニコニコしてるんだ?」


 俺の言葉に、アルフレートの動きが完全に止まった。


 数日前の、ヴァルター公爵邸での茶会。

 俺は偶然本邸を訪れており、二階のバルコニーから庭園の東屋をこっそり見下ろしていた。

 そこには、完璧な所作で紅茶を飲むアルフレートと、向かいに座るエリーゼ嬢の姿があった。


 声までは聞こえなかったが、アルフレートが何を言っているかは想像がついた。いつものように、突き放すような冷たい台詞を並べていたのだろう。

 普通なら、あんな氷のような視線を向けられれば、令嬢は萎縮するか、怒って席を立つ。

 だが、エリーゼ嬢は違った。


 彼女は、アルフレートが何かを言い切るたびに、小さく首を傾げたり、なぜか安堵したような顔を見せたりしていた。

 しまいには、心底可笑しそうにふわりと微笑んでみせたのだ。

 あの時のアルフレートの動揺ぶりといったらなかった。肩の線がわずかに強張り、紅茶のカップを持つ手が不自然に止まっていたのを、俺は上からしっかり見ていた。


「……ただの強がりだろう。見栄を張って、平気なふりをしているだけだ」


 アルフレートは低い声で反論した。


「強がり? お前、本気でそう思ってるのか? 強がりで出るような笑顔じゃなかったぜ。まるで、不器用な子供の嘘を見守るような、底抜けに優しい顔だった。お前が『君のことなど何とも思っていない』とか言うたびに、彼女は『この人、また嘘をついてるわ』って顔をしてたんだよ」


「っ……!」


 アルフレートが、盤上のビショップを強く握りしめた。

 その顔には、彼自身も気づいていない焦りがはっきりと浮かんでいる。


「昨日の夜のことも聞いたぞ」


 俺は畳み掛けるように言葉を続けた。


「深夜の執務室に、彼女が夜食を持って現れたそうじゃないか。お前、普段なら使用人が部屋に入ることすら嫌がるくせに、彼女が淹れたお茶を大人しく飲んだらしいな」


「それは……彼女が、勝手に置いていっただけだ。冷める前に処理したに過ぎない」


「言い訳が苦しいぞ、氷の公爵殿。お前、彼女に『自分に関わるな』って言ったんだろ? 完璧に冷酷な男を演じているなら、その場でお茶を床にぶちまけて追い出すくらいできたはずだ。なぜしなかった?」


「……」


 アルフレートは沈黙した。

 握りしめられたビショップの駒が、カタカタと小さく震えている。


「お前は、彼女を傷つけたくないんだよ。遠ざけようとしてわざと悪ぶっているが、根が真面目すぎるから、その『嘘』に悪意を込めきれていない。彼女はそれを感覚的に見抜いている。お前がどれだけ冷たい言葉を並べても、その裏にあるお前の本質的な不器用さに気づいてるんだ」


「そんなはずはない……私の、計算では……」


「お前の計算はとっくに破綻してる。お前は彼女を試しているつもりだろうが、実際には、彼女の手のひらの上で踊らされてるのはお前の方だ」


 俺はグラスの残りを飲み干し、盤上のクイーンを真っ直ぐに進めた。


「チェックメイトだ、アル」


 アルフレートは盤面を見つめたまま、微動だにしなかった。

 彼のキングは、完全に退路を断たれていた。いつの間にか、俺の仕掛けた単純な罠にすら気づかず、自ら死地へと駒を進めてしまっていたのだ。


 完璧な男の、ありえない凡ミス。


 それは盤上だけの話ではない。現実の彼もまた、エリーゼ・シュタルクという完全に計算外の存在によって、これまでの絶対的な論理を崩されかけていた。


「……ありえない」


 長い沈黙の後、アルフレートが絞り出すように呟いた。


「私の演技は完璧なはずだ。彼女を遠ざけるための、完璧な虚勢。それが、なぜ」


「だから言ってるだろ。バレてるんだよ、最初から全部な」


 俺は立ち上がり、軍服のシワを伸ばした。

 これ以上、俺から言うことはない。あとは彼自身が、自分の感情と彼女の存在にどう向き合うかだ。


「せいぜい頑張るんだな。三ヶ月後、泣きを見るのは彼女じゃない。お前の方かもしれないぜ」


 サロンの出口に向かって歩き出し、最後に振り返る。


 アルフレートは一人、薄暗い部屋の中で盤面を見つめていた。

 その横顔には、もはや『氷の公爵』の完璧な冷たさはなかった。

 あるのは、未知の数式に直面して混乱する、等身大の不器用な青年の姿だけだ。


「……あの女、何者だ」


 アルフレートの唇から漏れたその小さな呟きは、誰に宛てたものかもわからず、深夜の静寂の中に吸い込まれていった。

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