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冷徹公爵は私を試しているようですが、全部お見通しです  作者: じょな


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2


 分厚い羊皮紙に押された、深い青色の封蝋。

 そこに刻まれているのは、空を舞う鷹の紋章だ。


 あの日、氷のように冷たい顔合わせを終えてから三日。

 ヴァルター公爵家から、私宛に一通の招待状が届いた。

 『婚約者として、我が家の庭園での茶会に招待したい』という、簡潔で、しかし断ることなど許されない文面だった。


 王都の中心部へと向かう馬車の中で、向かいに座るミアナはずっと落ち着かない様子だった。

 膝の上で何度も手を組み直し、時折、恨めしそうに窓の外を睨んでいる。


「お嬢様、やはりおかしな話です。あんなに冷たい態度をとっておきながら、三日後に茶会へ招待するなんて」


「婚約者同士の顔合わせとしては、一般的な手順よ。家同士の繋がりを示すためにも、外に向けた体裁は整えておかないと」


「それはそうですが……。あのアルフレート様ですよ? 何か、恐ろしい企みがあるのではないでしょうか」


 ミアナの心配も無理はない。

 私自身、この招待状を受け取ったときは少し首を傾げた。

 あれほど明確に私を拒絶し、遠ざけようとしていた彼が、自ら茶会を催すなんて。

 けれど、あの日の胸の痛みが、ずっと私の記憶に張り付いている。

 家同士の都合だと言い放った彼の言葉は、嘘だった。

 なら、彼の本当の目的は何なのか。それを確かめるためには、彼に会うしかなかった。


 馬車が緩やかに速度を落とし、ヴァルター公爵家の広大な敷地へと入っていく。

 高くそびえる鉄柵を抜け、美しく刈り込まれた並木道を進むと、やがて視界が開けた。


 本邸の裏手に広がる庭園。

 そこは、まるで別の世界に迷い込んだかのような美しさだった。

 白と青を基調とした花々が、幾何学的な模様を描くように配置されている。計算し尽くされた配置は、一糸乱れぬ軍隊のようだ。

 甘い花の香りが風に乗って、馬車の窓からふわりと入り込んできた。


 馬車が止まり、御者が扉を開ける。

 ミアナの手を借りて石畳に降り立つと、そこにはすでに迎えの者が立っていた。


「お待ちしておりました、エリーゼ嬢」


 低く、静かな声。

 庭園の奥、硝子張りの美しい東屋の前に、彼がいた。


 アルフレート・ヴァルター。

 今日は軍服ではなく、濃紺の仕立ての良い上着を羽織っている。

 陽の光を浴びた銀色の髪が、風に揺れてきらきらと輝いていた。氷の結晶のような瞳は、相変わらず何の感情も映していない。


 私はドレスの裾を軽く摘み、優雅にカーテシーをした。


「お招きいただき、ありがとうございます。アルフレート様」


「顔を上げてくれ。今日は正式な場ではない。どうか、楽にしてほしい」


 アルフレート様は静かに歩み寄り、私の手を取った。

 そのまま、革手袋越しに私の手の甲へと唇を落とす。

 絵画のように美しい、完璧なエスコート。

 先日の冷え切った態度が嘘のような、洗練された貴族の振る舞いだった。


 東屋の中には、すでに白いテーブル掛けが敷かれ、繊細な意匠の茶器が並べられていた。

 アルフレート様が自ら椅子を引き、私を座らせる。

 向かいの席に彼が腰を下ろすと、控えていた使用人たちが音もなく近づき、カップに琥珀色の紅茶を注いでいった。

 ベルガモットの爽やかな香りが、鼻腔をくすぐる。


「私の見立てで用意させた茶だ。君の口に合うといいのだが」


「とても良い香りですわ。ありがとうございます」


 カップに口をつける。

 温度も、渋みも、完璧だった。


「先日は、少しばかり無作法な真似をした。婚約の顔合わせという場で、あのような態度をとったこと、詫びさせてもらおう」


 アルフレート様は、姿勢を正したまま静かに言った。


「君を歓迎していないわけではない。ただ、私は嘘をつくのが嫌いでね。事実だけを伝えておくべきだと判断したまでだ」


 ――ちくり。


 不意に、胸の奥で小さな棘が跳ねた。

 私は、カップを持つ手をほんの少しだけ止める。


 嘘をつくのが嫌い。

 それが、嘘。


「気に病む必要はない。君はヴァルター公爵家の婚約者として、私が完璧に保護しよう。必要なものはすべて用意する。ドレスも、宝石も、何不自由ない生活を約束する」


 淡々とした口調。

 そこに温度はない。ただ、決められた台本を読み上げているかのようだった。


「この婚約に、私は満足している。君のような落ち着いた令嬢であれば、将来、公爵夫人としての役割を十分に果たしてくれるだろうからね」


 ――ちくり。


 まただ。

 心臓に見えない針がすっと差し込まれるような感覚。

 痛い。けれど、呼吸が乱れるほどではない。


 この婚約に満足している、という言葉が嘘。


 私は静かにカップをソーサーに戻し、彼の目を見つめた。

 氷のように冷たい青い瞳。彼は私を見返しているようで、どこか遠くを見ているような気がした。


「それは、光栄ですわ。ですが、アルフレート様はご自身の感情についてはどうお考えですか?」


「感情、とは?」


「家のため、役割のため。それは理解いたしました。ですが、私に対して、何か思うところはございませんか」


 私の問いかけに、アルフレート様の眉がわずかに動いた。

 ほんの数ミリ。それだけの変化。

 彼はゆっくりと瞬きをして、再び完璧な冷たさを取り戻した。


「ないな」


 即答だった。


「私は、君のことは何とも思っていない」


 ――ちくり。


「私たちは、家のための契約で結ばれた関係だ。そこに個人的な感情を挟むつもりはない。愛や恋といった不確かなものは、我が家には必要ない」


 ――ちくり。ちくり。


 連続して、胸の奥が痛む。

 奥歯を噛み締める。

 どうしてだろう。


 彼は、私のことを何とも思っていないわけではない。

 個人的な感情を挟むつもりがない、というのも嘘。


 言葉と、体を通って伝わってくる真実が、まるで噛み合っていない。

 彼は今、自分の意志で、私に対して冷酷な婚約者を『演じて』いる。

 前回はただ突き放すだけだった。今回は、完璧な婚約者としての振る舞いを見せながら、心だけを切り離そうとしている。

 物理的な距離ではなく、心の距離を徹底的に遠ざけようとしているのだ。


 お茶菓子として出された、色鮮やかなマカロン。

 アルフレート様はそれには一切手をつけず、ただ静かに私の様子を観察している。

 私が怒って席を立つか。

 それとも、傷ついて涙を流すか。

 彼が待っているのは、きっとそういう反応なのだろう。


「……私の言葉が、不満か?」


 沈黙が長くなったせいか、アルフレート様が静かに尋ねてきた。


 私は、小さく息を吐き出す。

 胸の痛みは、波のように引いてはまた寄せてくる。

 でも、やっぱり不思議だった。

 これだけたくさんの嘘をつかれているのに、どうしてこんなに痛みが浅いのだろう。

 相手を貶めようとする嘘じゃない。

 自分自身を縛り付けるような、不器用で、どこか悲しい嘘。


「不満だなんて、とんでもない」


 私は、ふんわりと微笑んでみせた。


「アルフレート様は、とてもお優しい方なのですね」


「……何?」


 氷の仮面に、はっきりと亀裂が走った。

 彼の目が、わずかに見開かれる。完璧な姿勢が、ほんの一瞬だけ崩れた。


「私を気遣って、これほど美しいお茶会を開いてくださった。私のために、完璧な環境を用意するとおっしゃってくださった。十分すぎるほどですわ」


「君は、私の話を――」


「聞いておりましたわ。個人的な感情はない、と」


 私はマカロンを一つ手に取り、小さくかじる。

 甘い苺の香りが、口の中に広がった。


「でも、言葉だけで人のすべてがわかるわけではありませんもの。私は、ここで過ごす時間をとても楽しみにしていますわ」


 アルフレート様は、絶句していた。

 口をわずかに開いたまま、私の顔をまじまじと見つめている。

 彼の中で、何かの計算が大きく狂った音がしたような気がした。


「……君は、変わっているな」


 絞り出すようにこぼれたその言葉には、嘘の痛みはなかった。


「よく言われます」


 私は笑って、再び紅茶に口をつける。


 午後のお茶会は、その後も続いた。

 アルフレート様は時折、私を遠ざけるような冷たい言葉を口にしたけれど、そのたびに私の胸は小さく痛んで、彼が嘘をついていることを教えてくれた。

 彼は完璧に振る舞っているつもりなのだろう。

 冷徹で、感情を持たない氷の公爵。

 でも、私には全部見えている。彼が言葉を重ねれば重ねるほど、その裏にある不器用な素顔が透けて見えてくるようだった。


[* * *]


 日が傾き始めた頃、私は公爵家の庭園を後にした。

 帰り際、馬車に乗り込む私を、アルフレート様は最後まで見送ってくれた。

 その顔には、やはり何の感情も浮かんでいなかったけれど。


 馬車が動き出す。

 遠ざかっていく鉄格子の門を窓から見つめながら、私は自分の胸元にそっと手を当てた。


 今日の彼は、嘘ばかりだった。

 完璧な態度で、完璧な嘘をつき続けていた。

 でも、だからこそ知りたい。


 どうして、あそこまでして私を遠ざけようとするのか。

 この胸の痛みの奥にある、彼の本当の理由を。

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