13
「教えてくださいませんか。あなたがそこまでして、私から逃げなければならない理由を」
私の問いかけが、ひっそりとした応接室に吸い込まれていく。
窓の外では、夕日が王都の街並みを赤く染め始めていた。長く伸びた影が、分厚い絨毯の上に暗い模様を描いている。
アルフレート様は、息を止めたまま固まっていた。
カリン様によってすべての演技を暴かれ、私から真っ直ぐに核心を突かれた。完璧な知能と計算で生きてきた彼にとって、今の状況は完全に未知の領域なのだろう。
青い瞳が、逃げ場を探すように微かに泳ぐ。
「……君には、関係のないことだ」
絞り出すように、彼が言った。
「これは、私個人の問題だ。君を巻き込むつもりはない。だから……私から、離れてくれ」
――ちくり。
胸の奥で、小さな針が跳ねた。
巻き込むつもりはない。私から離れてくれ。
それが、嘘。
「離れませんわ」
私は、静かに首を横に振った。
「あなたが理由を話してくださるまで、私はこの屋敷を出ていきません」
「……君は、異常だ」
アルフレート様は、ひどく疲れたようにソファの背もたれに体を預けた。
天井を仰ぎ見るその横顔は、彫刻のように美しいけれど、痛々しいほどに脆く見えた。
「私がこれほど冷たくあしらっても、君は怒りもしない。私の不器用な嘘を、まるで面白い喜劇でも見るように笑って受け流す。……君には、自尊心というものがないのか」
「ありますよ、人並みには」
私は冷めた紅茶の入ったカップを両手で包み込んだ。少しだけ、指先が冷たかったから。
「でも、自尊心よりも好奇心の方が勝ってしまっただけです。私を遠ざけようとして、ご自分の身を削ってまで嘘をつき続ける。そんな不器用な方の本当の心の内を、覗いてみたくなったんです」
「……」
「アルフレート様。あなたが抱えているものは、そんなに恐ろしいものなのですか?」
彼は答えなかった。
ただ、目を閉じて、深く長い息を吐き出す。
その沈黙が、何よりの答えだった。彼の中には、私には想像もつかないほど重く、暗い絶望が渦巻いているのだ。
「……理由など、ない」
やがて、彼がポツリとこぼした。
その声は、ひどく乾いていた。
「私はただ、君という存在が鬱陶しくなっただけだ。私の完璧な計画を狂わせる君が、目障りで仕方ない。だから、理由など――」
――ちくり。
私は、ふっと笑みをこぼした。
「嘘ですよ」
アルフレート様の目が、見開かれる。
「……何?」
「今のも、嘘です。あなたは私のことを鬱陶しいなんて思っていませんし、目障りだとも思っていません。だから、その言葉は私には少しも痛くありませんわ」
私は彼を見つめて、にっこりと微笑んだ。
アルフレート様は、完全に言葉を失っていた。
少し開いた唇が、微かに震えている。何かを言い返そうとして、でもその言葉すら私に見透かされるとわかって、飲み込んだのだろう。
「……どうすればいい」
うわ言のような呟き。
彼は両手で顔を覆い、前かがみになった。銀色の髪が、指の間からこぼれ落ちる。
「私の言葉は、すべて君に読まれている。私が何を言っても、君は真実を見抜いてしまう。……これでは、私が君を遠ざける手立てが、何一つないじゃないか」
天下の軍務卿が、たった一人の令嬢を前にして、完全に白旗を揚げている。
その姿が、少しだけ可笑しくて、そしてどうしようもなく愛おしかった。
「遠ざける必要なんて、最初からなかったんです」
私は立ち上がり、彼が座るソファの隣へと歩み寄った。
ドレスの衣擦れの音が、静かな部屋に響く。
彼の手がわずかにビクッと震えたけれど、私は構わず、そのすぐ横に腰を下ろした。
アルフレート様が、弾かれたように顔を上げる。
至近距離で視線が絡み合った。
彼の青い瞳の奥にある、強烈な戸惑いと、怯え。
私が彼に触れようとすれば、彼はきっと逃げ出すだろう。だから、私はただ隣に座るだけにした。
「私は、あなたに嘘をついてほしくないんです。ただ、本当のことだけを話してほしい」
「……本当の、こと」
「はい。今日はお仕事、お疲れ様でしたか?」
突然の質問に、彼は目を丸くした。
私の意図がわからず、警戒するように身を硬くする。
「……なぜ、そんなことを聞く」
「嘘をつかない練習です。さあ、答えてくださいな」
私が急かすと、彼は渋々と口を開いた。
「……疲れた。ひどくな。三日分の書類に目を通し、会議を四つこなした」
「まあ。それは大変でしたね。夕食は召し上がりましたか?」
「いや。……食欲がない」
「睡眠は?」
「……五日前の夜から、まともには寝ていない」
――ぽかぽか。
胸の奥に、陽だまりのような温かさが広がっていく。
痛くない。一つも、痛くない。
彼が今、私に全く嘘をつかずに言葉を紡いでくれている。その事実が、私の心をひどく満たした。
「ほら。本当のことを言うのは、そんなに難しくないでしょう?」
私が微笑むと、アルフレート様は複雑な顔で視線を逸らした。
「こんな他愛のない会話で、何になる。君の体質を面白がっているだけだろう」
「いいえ。私はとても嬉しいんです」
嘘ではない。心からの本音だ。
彼が自分自身を偽らず、ありのままの疲れや弱さを私の前に見せてくれたことが、たまらなく嬉しい。
「……君は、本当に変わっているな」
彼が、呆れたように小さく息を吐いた。
その声にも、もう嘘の痛みはない。
「アルフレート様。あなたが抱えている理由を、今すぐ無理に聞き出そうとはしません」
私は、自分の膝の上でそっと手を組んだ。
「でも、いつか必ず教えてくださいね。あなたがご自分で、私に話してもいいと思える日が来るまで、私はずっとお待ちしておりますから」
アルフレート様は、私の横顔をじっと見つめていた。
何を考えているのかはわからない。けれど、かつて私を突き放そうとしていた頃の、あの冷たく張り詰めた空気は、もう彼の周囲から消え去っていた。
「……三ヶ月だ」
不意に、彼が低く呟いた。
「婚約期間は三ヶ月。その期限が来る前に、私は必ず……君を手放す」
――きゅっ。
胸の奥が、小さく軋んだ。
手放す。
それが彼にとっての『嘘』であると、私の体が教えてくれる。
彼は本心では、私を手放したくないのだ。
でも




