第9話 冷たい食卓と、秘密の体温
◇◇◇
セルヴィス伯爵邸の広大な食堂には、息が詰まるほどの静寂と冷気が満ちていた。
シャンデリアの光が眩しく照らす長テーブルには、贅を尽くした料理が並んでいる。
上座に座るのは当主ギルバート伯爵。その隣には夫人ローザリア、そして長男ジュリアスと長女クラリスが並び、最下席にぽつんとエレノアが座っていた。
「ジュリアス、王立学院での魔法の実技で、首席だったそうだな。誇らしいぞ」
「ありがたき幸せ、父上。あの程度の魔法、我がセルヴィス家の血を引き継ぐ者としては当然の嗜みに過ぎません」
「ふふ、クラリスの氷華の演武も素晴らしかったわ。やはり我が家の子供たちは社交界の宝ね」
氷属性魔法の才に長けた長男と長女を、両親は惜しみない賛辞で褒めちぎる。
だが、誰一人としてエレノアに視線を向ける者はいない。彼女の皿の上に料理が置かれても、存在そのものが最初から「ないもの」として扱われていた。
(……いつものこと。私は不浄な土属性で、お父様たちの失敗作だから……)
エレノアは俯き、ぎゅっと膝の上のナプキンを握りしめた。
かつてなら苛立ちと惨めさで皿を叩き割り、叫び出していたところだ。
――だが、今のエレノアの心は、違っていた。
エレノアはそっと視線を上げる。
自分の正面、給仕として完璧な立ち姿で控えている漆黒の執事服の少年――ヴェルスへと。
長旅の傷はすっかり癒え、完璧に仕立てられた服を纏うヴェルスは、給仕の列の中で誰よりも気品を放っている。
エレノアが視線を送ると、ヴェルスは他人に気づかれない絶妙な角度で、彼女だけに伝わる甘く静かな微笑みを返した。
(私には……あの子がいる。私だけを見てくれる、私のお人形が……)
家族からの冷遇という深い孤独の中で、ヴェルスの存在が彼女の心を痛々しいほどに支えていた。
◇
「……お召し上がりになられたお皿をお下げいたします、お嬢様」
料理の切り替わりの際、ヴェルスが静かな歩調でエレノアの傍らに歩み寄った。
洗練された手つきで空いた皿へと手を伸ばす。
その瞬間――
テーブルの影、家族や他の使用人たちからは決して見えない位置で、エレノアの手がそっと伸びた。
ふにゃりと柔らかく、けれど縋るような強さで、彼女の小さな指先がヴェルスの手首に触れる。
ヴェルスは表情ひとつ変えず、自然な動作で皿を受け取りながら、エレノアの指先に自分の指を滑らせ、密やかに握り返した。
一瞬だけ交わされる、熱を帯びた皮膚の感触。
氷のように冷え切った食卓の中で、二人の間だけに流れる秘密の体温。
(大丈夫ですよ、お嬢様。僕はここにいます)
目線とわずかな指先の力だけで伝わるメッセージ。
エレノアは胸の奥が甘く痺れるような感覚を覚え、うっとりと頬を微かに赤らめた。
両親や兄姉がどれだけ自分を無視しようと、もうどうでもよかった。
この完璧で美しい少年は、自分だけのもの。自分の言葉にだけ従い、自分の寂しさを埋めてくれる「特別なお人形」なのだから。
(僕から離れないで……僕だけを見ていてください、お嬢様)
皿を下げるため一歩引いたヴェルスは、うつむくエレノアの後頭部を見つめながら、胸の奥で静かな手応えを感じていた。
家族から孤立し、傷つく彼女が救いを求める相手は、いまや自分しかいない。
少女が自分へ寄せる切実な執着と温度を愛おしく感じながら、ヴェルスは密かに、二人だけの特別な絆がより深く結ばれたことを確信していた。




