第8話 専属執事と、密やかな唇
翌朝、エレノアの部屋を訪れた老執事セバスは、ベッドの上で重なり合うように眠る二人を目にして、露骨に不快そうな皺を額に寄せた。
「お嬢様、いくらなんでも奴隷と同じ床に臥せられるなど……」
「うるさいわね! 私がこの子を気に入ったんだからいいでしょ!」
ベッドの中から叫ぶエレノアの声に、セバスは深々と溜め息を吐いた。
「……では、せめて見た目だけでも整えさせます。いつまでもそのような滑稽なフリル服では、伯爵家の威信に関わります故」
◇◇◇
そうして用意されたのは、ヴェルスの小さな身体に合わせて仕立てられた、上質な漆黒の執事服だった。
これまでの悪趣味なフリルドレス風の服とは異なり、襟元を締め上げる白いクラバットと、体に沿ったシックなベスト。
長旅の汚れが落ち、ツヤを取り戻した漆黒の髪と透き通るような肌にその衣裳を纏うと、まるで物語から飛び出してきた幼き貴公子のようだった。
「まあ……!」
着替えを終えたヴェルスを見た瞬間、エレノアは思わず小さく歓声をあげ、頬を赤らめた。
「すごいわ、完璧じゃない……! 似合ってるわよ、お人形! いいえ……今日からあなたは、私だけの専属執事(お人形)よ!」
「もったいないお言葉です、お嬢様」
ヴェルスは老執事の仕草を自然になぞるように、左手を胸に当て、流れるように美しく深々と一礼してみせた。その所作の洗練されぶりに、側に立っていた老執事セバスすらも一瞬、底知れぬ怪しさに目を細めるほどだった。
◇◇◇
その日の夜。
執事服を纏ったヴェルスは、エレノアの寝室で彼女の傍らに控えていた。
エレノアはベッドの上で膝を抱え、満足そうにヴェルスを見つめている。
「ねえ、近くへ来なさい」
「はい、お嬢様」
ヴェルスがベッドの脇へ歩み寄ると、エレノアは彼のクラバットをキュッと引っ張り、至近距離でその顔を覗き込んだ。
「あなた……本当に不思議な子ね。私の言うことを何でも聞いて、私が欲しい言葉を全部くれる……」
エレノアの瞳には、かつての高飛車で冷酷な陰りはなく、自分だけの宝物に熱中する少女の怪しい情熱と依存が宿っていた。
「私のものになって……誰にも渡さないわ。お父様にも、セバスにも……あなただけは、私だけのものよ」
「ええ、お嬢様。僕は、どこへも行きません。いつだって、あなた様のそばにいます」
そう言ってヴェルスが甘く微笑んだ瞬間――
エレノアは堪えきれなくなったようにヴェルスの首に腕を回すと、彼の唇に、そっと自分の唇を重ね合わせた。
「……ん」
昨夜の頬への戯れのようなキスとは違う、はっきりと意図を持った口づけ。
一瞬、柔らかい唇の感触と、少女の甘い体温が重なり合う。
息を離すと、エレノアは真っ赤になった顔を背け、布団の中へ潜り込んだ。
「……ふふ、今日のご褒美よ。……おやすみなさい、私の可愛い専属執事」
「……おやすみなさいませ、愛しいお嬢様」
ヴェルスは丁寧に一礼し、静かに部屋を後にした。
廊下の闇の中に身を置くと、指先でそっと己の唇に触れる。
そこに残る、少女の甘く切実な体温。
彼女が自分へ向ける視線や行動が、日に日に熱を帯び、自分なしではいられなくなりつつあることを、ヴェルスは理屈を超えた本能で感じ取っていた。
(……これでいい。僕が彼女の『特別』で居続けるかぎり、僕はもう捨てられない)
自分の唇に残る熱を確かめながら、ヴェルスは暗闇の中で、静かに深く息を吐き出した。




