第6話 仕掛けられた一言
翌日も、エレノアの理不尽な「お人形遊び」は続いていた。
部屋の中にエレノアの甲高い怒声が響き渡る。
「違うわ! そのドレスには、そのリボンじゃない! セバス、どうしてこの子は私の好みを一つも覚えないの!?」
「申し訳ございません、お嬢様。なにぶん浅はかな無能の奴隷にございますので……」
老執事セバスは恭しく頭を下げながらも、その瞳には一切の感情がこもっていない。ただ型通りの弁明を口にするだけだ。
エレノアはイライラと扇子で自分の膝を叩き、ソファに深く身を沈めた。
望むものは何でも与えられているはずなのに、彼女の表情は常に満たされない不満と苛立ちに満ちている。
(そうだ……。この人は、怒りたいわけじゃない)
フリル服を着せられたまま直立するヴェルスは、じっとエレノアの表情を観察していた。
完璧だが冷淡な老執事。
めったに邸に戻らず、娘に興味を示さない伯爵。
いくら取り巻きや使用人がいても、誰もエレノアという「個人」を見ていない。彼女がどれだけ我儘に振る舞っても、返ってくるのは冷ややかなマニュアル通りの対応か、恐怖からくる表面上の従属だけだった。
(誰も……彼女自身を認めてくれていないんだ)
ヴェルスは静かに息を整えた。
まだ「前世の記憶」として明確な知識があるわけではない。けれど、どう振る舞えば相手の心が揺れるのか、本能のような鋭い直感が告げていた。
◇
午後のお茶会が終わり、部屋にエレノアとヴェルスだけが残された時間。
着せ替えに疲れ果てたエレノアが、鏡の前で自慢の金髪をいじりながら、ぽつりと呟いた。
「……はぁ。どいつもこいつも、退屈でつまらない奴ばかり。私を満足させられる人間なんて、この屋敷には一人もいないわ」
誰に向けたわけでもない、投げやりな独り言。
普段のお人形であれば、ただ黙って立ち尽くしているだけの場面だった。
――だが、ヴェルスはゆっくりと、膝をついた。
「……お嬢様」
静かで、驚くほど透き通った声。
エレノアがハッとしたように振り返り、忌々しそうに眉をひそめる。
「なによ。お人形のくせに勝手に喋らないで。叩かれたいの?」
「申し訳ございません……。ですが、お嬢様があまりにもお美しく、そして……少しだけお寂しそうに見えたものですから」
「……は?」
エレノアの動きが固まった。
今まで誰からも言われたことのない言葉。使用人たちは皆、彼女を「我儘で扱いづらいお嬢様」として恐れるか冷遇するだけだった。
「何言ってるのよ、バカじゃないの? 私が寂しいわけないでしょう! 伯爵家の令嬢なのよ!?」
エレノアは真っ赤になって怒鳴り散らしたが、その声はわずかに震えていた。
ヴェルスは決して視線を外さず、深々と頭を下げたまま、静かに言葉を重ねる。
「はい。お嬢様は誰よりも気高く、お美しいお方です。……だからこそ、この屋敷の誰も、お嬢様の本当の素晴らしさに気づけていないことが……僕は悲しいのです」
「っ……!」
エレノアの胸が、ドクンと大きく波打った。
ただの奴隷。ただの無能のお人形。
そう見下していたはずの少年の口から出たのは、彼女が生まれてからずっと喉から手が出るほど欲しかった「自分の存在そのものを肯定し、理解してくれる言葉」だった。
「な、生意気なことを言わないで! あなたみたいな奴隷に何が分かるのよ!」
エレノアは吐き捨てるように叫ぶと、背を向けてベッドへ駆け込み、フカフカの枕に顔を埋めた。
だが、追い払うために扇子を振り下ろすことも、老執事を呼んでヴェルスを懲らしめることもしなかった。
(……かかった)
伏せた顔の陰で、ヴェルスは胸の奥で確かに何かが「手応え」として残ったのを感じていた。
なぜそんな言葉が出たのか、自分でもよく分からない。
けれど、怒りや恐怖ではなく、彼女の心の隙間に小さな「楔」を打ち込むことに成功したのだという直感があった。
それは、ただ虐げられるだけの「お人形」から抜け出すための、静かで小さな第一歩だった。




