第51話 夢魔の別れと狂気の花々
地平線から昇った太陽が空高くへと移動し、容赦ない昼前の光が血に染まった荒野を照らし出していた。
憲兵隊と翡翠騎士団による手際よい後片付けはすでに終わり、幾重にも連なる重厚な蹄の音とともに、帝都からの負傷者用と貴族用の豪華な馬車がようやく到着した。
その喧騒の中、大盗賊団『黒血狼』の首が収められた血塗れの木箱が、憲兵隊の担当官へと正式に引き渡された。――その賞金首の分配について、憲兵隊の将校が戸惑いを見せた時、アクアローザ伯爵夫人のクラウミィアが一歩前に出た。
「……手続きは当家が代表して引き受けましょう。 いただいた賞金は、今回被害に遭われた各家へと、私どもが責任を持って公平に分配いたしますわ」
気高く、しかしどこか狂おしい熱を瞳の奥に宿したクラウミィアの毅然とした申し出に、憲兵隊の担当官は深く頷き、一連の引き渡し手続きは滞りなく完了した。
事務的な手続きが一段落したところで、セレシウムから一つの提案が持ちかけられた。
「移動の道中、万が一の襲撃に備えて、我がジェイド・ナイツの飛竜部隊を馬車の上空に護衛としてつかせようと思うけれど……どうかしら、ヴェルス?」
だが、ヴェルスは穏やかに首を横に振った。
「お心遣いは嬉しいですが、姉様、それは控えていただきましょう。……彼女たちは見ての通り、心身ともに深い傷を負っています。上空を飛竜が威圧的に飛び回れば、過敏に恐怖を刺激してしまいます。ここは、穏やかに馬車で移動するのが一番の薬かと」
ヴェルスのその細やかな気遣いに、セレシウムは感心したように柔らかく微笑んだ。
「……さすがね、ヴェルス。そこまで彼女たちの心情に寄り添えるなんて、本当に優しいのね」
(――もっとも、彼女たちの精神が壊れているのは、別の理由――襲われた恐怖の上に、自らの手で奴らを解体した狂気が上塗りされたからだろうな)
心の中で冷徹にそう呟きながら、ヴェルスは表向きは涼やかな笑みを崩さない。
結局のところ、護衛としては翡翠騎士団と憲兵隊の女性たち、そして各家の女性騎士たちが伴って馬車列に同行し、残りの飛竜部隊の大部分は先行して帝都へと戻っていくことになった。
男たちが帝都へと飛び去り、怯える女性たちにもわずかな静寂が戻りつつあった。
その時、ヴェルスの隣にいたナアマの身体が、わずかに淡く発光し始めた。
――ナアマをこの現世に召喚してから、十二時間が経過しようとしていた。
「……あぁ。 もうそんな時間か」
ヴェルスが静かに呟いた瞬間、ナアマの表情に、名残惜しそうな色味が浮かんだ。 彼女はゆっくりと、その大きな身体を屈め、ヴェルスの頬にそっと、蕩けるように甘い口づけを落とした。
「……寂しくなりますわ、ヴェルス様。 あなた様のいない世界は、私にとって、色彩を失った空虚な闇に過ぎませんもの」
その声は、耳元で囁かれる誘惑のように、濃密な色気を帯びていた。 ヴェルスは彼女の腰を強く引き寄せ、その息を呑むほどに美しい瞳を真っ直ぐに見つめ、少年とは思えないほど低く、甘やかな声で囁いた。
「安心しろ、ナアマ。 お前がいない間も、俺の心の中には常に、お前の甘い毒の気配が満ちている。 ……すぐにまた呼ぶ。 次に会うときは、さらに贅沢な地獄を共に味わおう」
その言葉に、ナアマは歓喜に瞳を濡らし、彼の首筋に深くしがみついた。 唇が触れ合うか触れないかの至近距離で、彼女の吐息が熱く、濃密に肌を撫でる。
『――永遠に、あなた様の虜でいさせてくださいませ』
光の粒子となって、彼女の姿がゆっくりと消えていく。 彼女が消えた後も、そこには心まで痺れさせるような甘い残り香が漂い、それを嗅いだ周囲の女性たちの瞳に、激しい羨望と嫉妬の色が濃く滲んでいた。
見送り終えたヴェルスは、静かに振り返る。
そこには、しっかりと手を繋ぎ、穏やかな熱を帯びた瞳でこちらを見つめる令嬢たちの姿があった。
その視線を受け止めながら、ヴェルスはどこか冷淡な響きを帯びた声で告げる。
「出発の前に一つ頼みがある。ロサミィの調子がまだ優れないようだ。帝都までの道中、彼女を補佐できる者を一人、この馬車に寄こしてもらえるか?」
その言葉に、周囲が騒めく中、すかさず一人の貴婦人が進み出た。
「――アクアローザ伯爵が妻、クラウミィアにございます。ヴェルス・グラディス様……それでしたら、当家の侍女ミリアを代わりにお使いくださいませ。十八歳とまだ年若い身ではございますが、気が利く者でございますので、きっとお役に立ちましょう」
「感謝する。 ミリア、よろしく頼む」
ヴェルスの許しを得たミリアは、馬車に備えられていた清潔な予備の衣服へと速やかに着替えると、静かに公爵家の馬車へと乗り込んできた。
ロサミィの隣に腰を下ろした彼女は、緊張に頬を染めながらも、二人の醸し出す濃密な気配に呑み込まれるように視線を彷徨わせた。
「さあ、行こうか姫たち。 帝都ヴェディアが、俺たちを待っている」
ヴェルスの号令とともに、馬車列が再び滑らかに動き出す。
地獄を潜り抜け、狂気を孕んだ花々を従えて――ヴェルス・グラディスの支配と愛執の旅は、真の意味での幕を開けるのだった。




