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『無能』と追放され奴隷に落とされた最強召喚師 ~前世の心理術で伯爵令嬢を手なずけ、裏から世界を支配する~  作者: ラレイラ
第二章:因果逆流の神威――侵食される過去と、裏の支配者

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第50話 悪魔の女王と掌上の戦慄

地平線の向こうが白みはじめ、血に染まった荒野を包んでいた闇が、冷たい夜明けの薄明かりへと塗り替えられていく。


周囲では憲兵隊と翡翠騎士団(ジェイド・ナイツ)が淡々と事後処理を進めているが、帝都から差し向けられた救護用の馬車が到着するには、昼頃まで時間を要する。それまでの間、生き残った令嬢たちは未だに怯えた面持ちでその場に身を寄せ合っていた。


すべてを押し潰すような張り詰めた静寂の中、セレシウムは冷えた空気の中でふと息を白く染め、近くにいたヴェルスへと視線を巡らせて声を投げかけた。


「ねえヴェルス、さっきアルダスが言っていたけれど……アクアローザ伯爵家のシェリルは、あんな精神状態で『ステラリア』へ行けそうなの?」


ヴェルスは少し申し訳なさそうに視線を伏せ、上品に首を横に振った。


「僕も気にはなっていたのですが、皆さんが保護されたばかりで、まだ十分に言葉を交わせていなくて……。ですが、姉様がそこまで案じられるのであれば、本人を呼んで直接お話を聞いてみますか?」


ヴェルスの穏やかな提案に、セレシウムは少しだけ表情を和らげ、静かに頷いた。


「そうね……彼女の精神状態を直接確かめておくためにも、一度呼んでもらえるかしら」


ヴェルスの合図を受け、数歩離れた場所で身を寄せ合っていた令嬢たちのうち、一人の少女と、彼女を支えるように寄り添う年若い侍女、そして凛とした気高さを辛うじて保った女性騎士が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。


土と血に汚れたドレスに身を包みながらも、少女は震える小さな手をぎゅッと握り締め、背筋を真っ直ぐに伸ばす。過酷な恐怖に精神をすり減らしていながらも、名門の娘としての誇りが、彼女に気丈な振る舞いを許していた。


少女は潤んだ瞳をセレシウムに向け、静かに、だがはっきりと通る声で名乗った。


「――アクアローザ伯爵家、次女のシェリル・アクアローザと申します」


その傍らで、主を支えるように寄り添う年若い侍女のミリアは、シェリルの背中にそっと手を添えている。

さらに、その二人の斜め後ろには、女性騎士――フィオナが、視線の先にいる憲兵隊の男たち――アルダスをはじめとする成人男性を警戒するように鋭く目を光らせながら、主を庇うように一歩前に出た。


「……お初にお目に掛かります、ガルドヴァイン様。アクアローザ家の護衛騎士を務めます、フィオナと申します。我が主(あるじ)……シェリル様をお守りできず、このような醜態を晒しておりますこと、深くお詫び申し上げます……」


フィオナが痛む体を抑えながらも毅然と言葉を紡ぎ、深く頭を下げる。


「頭を上げなさい、フィオナ。数千の黒血狼(こくけつろう)の奇襲を相手に、主を守ってここまで生き延びたのなら、それは恥ではなく誇るべき忠義よ」


セレシウムは冷徹な軍服の裾を翻すと、フィオナに柔らかい視線を向け、それからそっとシェリルへと歩み寄った。その凛とした佇まいの中には、同性の令嬢に向ける深い慈愛と気遣いが滲んでいる。


「シェリル嬢、ですね。お怪我はありませんか? ――あんな凄惨な現場を目にして、心身ともにどれほど恐ろしい思いをされたか……」


セレシウムの温かみのある声に、シェリルは揺れる瞳を伏せ、土と血に汚れたドレスの裾をぎゅっと握り締めた。それでも名門の誇りを捨てまいと、震える唇を必死に引き締めて小さく首を横に振る。


「あ、ありがとうございます……ガルドヴァイン様。お気遣い……感謝いたします。身体に大きな怪我は……ございません。ただ……」


そこまで言いかけて、シェリルは言葉を詰まらせた。視線の端に、まだ生々しい血の海や、遠巻きに見える憲兵隊の男たちの気配がちらりと入り、恐怖で小さく肩が揺れる。だが、目の前のセレシウムが同じ女性として穏やかな眼差しを向けてくれていることに救われ、シェリルはかすれながらも絞り出すように言葉を続けた。


「……私、今年から……『ステラリア』への入学を控えておりますのに……こんな状態で……。あんな恐ろしい光景を目の当たりにしてしまった私に……本当に、あの天空の学院へ通う資格なんてあるのか、自分でも分からなくて……」


セレシウムは静かに首を横に振ると、シェリルの肩にそっと手を置き、その瞳をまっすぐに見据えた。


「資格がないなどと、そんな風に自分を卑下する必要はないわ、シェリル嬢。あんな地獄のような修羅場を生き抜き、恐怖に震えながらもこうして気高く前を向いている。それこそが、あなたが『ステラリア』の門を叩くにふさわしい資質を持っている何よりの証拠よ」


その凛とした、しかし深い慈愛に満ちた言葉に、シェリルはハッとしたように潤んだ目を大きく見開いた。


「……私に……そんな強さが……?」


「そうよ。それに、あの学院で求められるのは、平穏な環境で温々と育ったお飾りのお人形なんかじゃないわ。過酷な現実を直視し、それでも自らの足で立ち上がろうとする意志の強さよ」


セレシウムはふっと柔らかな笑みをこぼすと、少女の背筋をそっと正すように力強く告げた。


「――アルヴェディア帝国の代表として、あの学院で大輪の花を咲かせてきなさい。あなたなら、必ずやれると私は信じているわ」


その気高くも温かいエールに、シェリルはこみ上げる涙を堪えるようにしっかりと頷き、震える声で返した。


「……はいっ! ガルドヴァイン様……! 私、頑張ります……!」


傍らで見守っていた侍女のミリアも安堵したように息を吐き、護衛騎士のフィオナもまた、痛む体を抑えながら深々と頭を下げて謝意を示した。


張り詰めていた空気がわずかに和らぐ中、セレシウムは満足そうにうなずき、ふと視線を切り替えて近くに控えていたヴェルスへと軽やかな足取りで向き直った。


「そういえば、さっきアルダスに話の腰を折られてしまったわね。……そう、召喚魔法のことよ。父から聞いたけれど、ヴェルス、あなたもステラリアへ行くのよね?」


セレシウムの問いかけに、ヴェルスは漆黒の瞳に優美な笑みを浮かべて首肯した。


「はい、姉様。ガルドヴァイン公爵閣下からお聞き及びのとおり、僕は幸運なことに『ステラリア』の特待生として招待をいただきました。このような未熟な身ですが、学院へ赴くことになっております」


ヴェルスの物腰柔らかな返答を聞き、セレシウムは少しだけ表情を和らげつつも、どこか引き締まった声音で告げた。


「……召喚士としての適性を見出されての特待入学、ね。けれど、あの学院は帝国や他国の精鋭、そして一癖も二癖もある猛者たちが集う場所よ。……くれぐれも油断しないことね」


セレシウムの忠告に、ヴェルスは静かに微笑んで一礼した。


「ご心配と温かいお言葉、ありがとうございます、姉様。しっかりと胸に刻んでおきますよ」


ヴェルスが涼やかに微笑むのを見届けた後、セレシウムはふっと真面目な表情に戻り、傍らに控える次男のアルダスへと視線を向けた。


「……そういえば、会話に夢中で一番大事なことを忘れていたわ。さっきヴェルスに『誰が始末したのかはさておき』ってうまくはぐらかされちゃったけれど……結局のところ、この惨状を一体誰がどうやって片付けたのか、アルダス、あなた何か分かっているの?」


セレシウムの鋭い問いかけに、アルダスは気まずそうに顔を引きつらせ、兵たちの清掃によって今はもうわずかに残るばかりとなった肉塊へと視線を走らせた。


「それがだな、姉上……。俺もそれを聞こうと、その、なんだ……! ほら、大勢の貴族の令嬢たちが血まみれで怯えていたもんだから、まずはそっちの保護と対応に気を取られちまって、それどころじゃなかったというか……! あ、いや、だからその、俺がさっき話の腰を折っちまったのはだな……!」


「まったく、見苦しい言い訳はそこまでにしておきなさい……。あなたのその女好きには本当に困ったものね」


セレシウムがあきれ顔で小さく溜息をつくと、アルダスは冷や汗を拭いながら誤魔化すように苦笑いを浮かべ、改めてヴェルスへと向き直った。


「――で、どうなんだ、ヴェルス?」


アルダスの真剣な問いかけに、どこか無邪気な笑みを浮かべてさらりと答えた。


「ご質問の答えですが……まぁ、僕の召喚獣がすべて片付けてくれたんですよ」


拍子抜けするほどあっさりと告げられたその言葉に、セレシウムとアルダスは一瞬まばたきをし、それからようやくその意味を理解して息を呑んだ。


「――紹介します。僕のサモンのナアマです」


ナアマの胸元に刻まれた『魔術刻印(スティグマ)』が妖しく熱を帯び、ヴェルスの意図がダイレクトに脳内へと響き渡っていた。


その絶対的な主人の呼びかけに応じるように、離れた場所――恐怖で身を縮こまらせていた令嬢たちの傍らで、静かに座り込んでいた異質な人影が身じろぎした。


ナアマは優雅な仕草で、その浮世離れした長身をゆっくりと起こす。


小さな頭部に、スラリと伸びた美しき手足――ゆうに二メートルを超えるその長身は、華やかな舞踏会に集うどんな貴婦人をも一瞬で霞ませるほど、気品と完璧な造形美を宿していた。


一歩、また一歩と、彼女は滑るような歩みを進める。

漂うのは、甘く狂おしい魅惑の香気。朝靄を切り裂いて吹き抜ける風がぴたりと凪ぎ、黒茶(ダークブラウン)の髪が艶やかに揺らめく。

歩みを進めるにつれ、空間そのものを歪ませるほどの圧倒的な魔圧が、膨れ上がりながらこちらへと迫ってきた。


肌を刺すような、不可避の圧迫感。

薄闇の中から姿を現したのは――その美しさですべてを誘惑し、堕落へと導く悪魔(サキュバス)の女王であった。


「…………っ!?」


真っ先に反応したのは、戦場の最前線で数多の死線を潜り抜けてきたアルダスであった。彼は無意識に腰の剣に手をかけ、後ずさりしそうになるのを必死に堪えた。心臓が早鐘を打ち、肺が凍りついたかのように呼吸が浅くなる。


それは――「召喚獣(サモン)」などという生易しい言葉で片付けられる存在ではなかった。


「……っ、な……なんだ、この化け物は……!」


冷徹な知性で知られるセレシウムさえも、その場に縫い付けられたように硬直していた。彼女は帝国軍の要職として、これまで数多の強力な魔物や魔導師たちを見てきた。だが、目の前の存在が放つ気配は、それらとは根本的に次元が違いすぎる。


本能が警鐘を鳴らしていた。この存在に逆らえば、一瞬で魂ごと塗り潰され、逃げ場のない絶望に突き落とされる、と。


静かに歩み寄ってきたその姿を視界に入れた瞬間、帝都憲兵隊と翡翠騎士団(ジェイド・ナイツ)の精鋭たちの間に、どよめきに似た緊張が走った。


「こ、この魔圧は……っ! 一体、なんだというんだ……!?」


百戦錬磨の騎士の一人が、本能的な恐怖に顔を青ざめさせ、思わず剣の柄へと手をかけた。

周囲の憲兵隊の兵士たちも、訓練された反射で一斉に槍や剣を構えようとする。


だが――。


「――やめなさい、お前たち!」


セレシウムの鋭く凍てつくような叱責が、戦場の空気を切り裂いた。

隊長である彼女の額には冷や汗が一筋伝い、その美しい双眸は信じられないものを見るように見開かれていた。


歴戦の彼女の本能が告げている。 ――あの女性(ひと)に敵対すれば、この場にいる全員が一瞬で肉片へと変えられる。 それほどの圧倒的な格の違いが、その佇まいから痛いほどに突きつけられていた。


「……あ、姉上、あれは……ま、魔族……?」


アルダスもまた、これまでに味わったことのないほどの戦慄に奥歯を噛み締めながら、かろうじて声を搾り出した。


エリートである兄妹が冷や汗を流し、精鋭の兵士たちが武器を構えたまま一歩も動けずにいるその中心で――ナアマは誰の威嚇にも目もくれず、ただ主人のもとへと真っ直ぐに歩み寄った。


そして、その豊満な身体を優雅に屈ませて、愛おしそうに目線を合わせた。

挿絵(By みてみん)

「……ふふ。あなた様の隣こそが、私の唯一の居場所ですわ、主《あるじ》様」


蕩けるように甘く、けれど周囲の人間には刃のように鋭く響く声。 その絶対的な忠誠心と、同時に孕んでいる底知れない魔圧。その二面性に、アルダスとセレシウムは、自分たちが信じていた「権力」というものが、いかに脆く、ちっぽけなものであるかを思い知らされた。


ヴェルスは、彼らの絶望的な表情を楽しみながら、小さく微笑むと、ふと視線を上げた。

呆然と立ち尽くすセレシウムとアルダスへ向け、どこか他人事のように、しかし朗らかに告げる。


「……ふふ、少し個性が強い子ですが……うまく付き合っていただければと思います」


可憐な少年の微笑み。だが、その傍らでナアマの圧倒的な魔圧が、彼らの精神をじりじりと圧迫していた。


それは丁寧な依頼の形を借りた、逃げ場のない【警告】であった。 ガルドヴァイン兄妹は、本能的に理解した。この少年の機嫌を損ねることは、そのまま死に直結することを。


「……ああ。分かった。 分かりすぎたよ、ヴェルス」


アルダスが、絞り出すような声で答えた。その声には、先ほどまでの余裕はなく、ただ純粋な恐怖と、それに対する奇妙な心酔が混じっていた。


セレシウムとアルダスは、自分たちが今立っている場所が、冷徹な理性の世界ではなく、この少年の掌の上――逃げ場のない底知れぬ奈落なのだと悟り、全身の血が凍りつくような戦慄を覚えるのだった。

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