第48話 狂える花々の首狩り、そして甘美な夜宴
――血と肉片にまみれていた地獄の戦場に、絶対的な静寂が訪れていた。
数千人に及ぶ大盗賊団『黒血狼』の群れは、四柱の夢魔の女王が――その一柱、ナアマの甘美な霧と茨、そして絶望から立ち上がった女性たちの手によって徹底的に制圧され、大地には激しい戦いの跡と無数の残骸が残されていた。
冷ややかにその光景を見下ろしていたヴェルスは、ドレスや衣服が汚れながらも佇む、およそ五十名の女性たちへ静かに、そして冷徹に視線を向けた。
「――お前たち、いいか」
ヴェルスの低く澄んだ声が、静まり返った戦場に響き渡る。女性たちはびくりと身体を震わせ、一斉に彼へと視線を向けた。
「……このゴミどもの残骸に、価値があるのは首だけだ。……だが、その回収をご丁寧に我が公爵家の者たちがやる義理はない。首の回収は、お前たち自身の作業としろ!」
その残酷でありながら合理的な指示。普通であれば、恐怖で絶叫して拒絶するはずの命令。しかし女性たちの顔に怯えの色が浮かぶことはなかった。
むしろ――。
「まあ……! ヴェルス様が、私たちに直接ご命令をくださったわっ!」
「ふふっ、嬉しい……。私たちの手で、あの不快な屑どもの首を切り落とせばいいのね?」
驚くべきことに、令嬢や侍女たちは瞳を輝かせ、まるで甘いお茶会に誘われたかのように黄色い歓声を上げた。彼女たちの精神はすでに、ヴェルスへの狂信と狂気によって染め上げられており、愛する神から下された「作業」そのものが、この上ないご褒美のように感じられていたのだ。
「さあ、どれからいきましょうか?」
シルヴィアが汚れたドレスの袖をまくり上げながら、妖艶に微笑む。
「ふふ、そこの憎い大男の首は私がもらうわ。よく見てて、こうして刃を当てるのよ、レスティア」
「さすがはシルヴィア様……。手際が優雅ですわね」
*
「あら、この方の首、ずいぶんお顔が歪んでいますわね。ふふっ、滑稽だわ」
カトリーヌが一瞥し、愉快そうに肩を揺らす。
「本当ですわね、カトリーヌ様。あの方は、もっと綺麗に片付けてあげればよかったかしら」
「そうね、ルイーズ。次はもっと上手にやりましょうね」
*
彼女たちは優雅で上品な口調で軽やかに雑談を交わしながら作業を進めていく。
焦点の定まらない瞳のまま、レヌアはナイフを軽く掲げ、滑らかに優雅な言葉を紡ぎ出す。
「ねえ、ミィール。今度、うちの庭に植える薔薇の品種、何がいいかしら。やっぱり深紅のものが一番映えると思うのよね」
「あら、深紅も素敵ね。でも、白亜の東屋に合わせるなら淡いピンクも上品だわ。今度、我が家の庭師に相談してあげる」
汚れを纏ったドレスを翻し、可憐な笑みを浮かべて雑談を交わす。その様子は、まるでお気に入りの果実や花を摘んでいるかのような、異様な優雅さを帯びていた。彼女たちは、自分たちが今、何を行っているのかさえ忘れたかのように、嬉々として首を袋に詰めていく。
精神的な境界線が消え、狂気が日常へと書き換えられた瞬間。彼女たちはもう、元の世界には戻れない。
その光景を、馬車の中から優雅に紅茶を啜りながら、ヴェルスは薄く笑って眺めていた。
一方、ロサミィは、耐え切れずに馬車から飛び出すように降りると、地面に両手をついて、激しく息を荒げた。
「ひっ……うっ、がはっ……! おえっ、けほっ……!」
足元に広がるただならぬ気配に、彼女はもう立っていられなかった。あんなにも可憐そうな令嬢たちが嬉々として戦後の後始末をしている信じがたい現実と、おぞましい光景に、ロサミィの正気は完全に踏みにじられていた。
◇ ◇ ◇
首の収容が終わると、彼女たちは頑丈な荷車へと積み上げていく。そして、まるで宝物を扱うかのように大事そうに、それをヴェルスのもとへ押し進めてきた。
その一団の先頭に立ち、高貴な伯爵夫人としての美貌を底知れない狂気の笑みに染め上げながら、彼女は恭しくヴェルスへとお辞儀を捧げた。
「――アクアローザ伯爵が妻、クラウミィアにございます。ヴェルス・グラディス様……っ。すべて、綺麗に集めました。私たちのこの忠誠と愛、どうか……これからも証明させてくださいませ……っ!」
ヴェルスは、愛おしげな微笑みを浮かべて彼女たちを優しく労うように告げた。
「……よし、十分だろう。お疲れ様。……まずはあそこの川で身を清めて来い。少し汚れが目につく」
ヴェルスの合図とともに、一行は街道の傍らに流れる、透き通った川へと向かった。
冷たい水に足を踏み入れた瞬間、女性たちの口から小さな吐息が漏れる。破れたドレスの隙間から覗く白い肌に、濡れた布地がぴったりと張り付く。水流の中で汚れが落ち、透明な川の流れがわずかに色を変えていく。
互いの身体を気遣い合い、汚れを落とし、肌に刻まれた緊張を水に流す。男たちの気配がない冷たく清らかな水の中で、女性たちは震える手を固く結び合い、互いの濡れた髪を優しく洗いながら、縋り付くように抱き合う。水面の下で、お互いの存在を確かめ合うように幾度も温もりを分かち合い、狂おしいほどの愛しさを確かめ合っていた。
――どれほど肌を寄せ合っても、心の奥底に巣食う恐怖の影が完全に消え去るわけではない。
それでも彼女たちは、その歪な温もりと、互いに執着し合う泥沼のような絆から抜け出すことができなくなっていた。男たちから受けた絶望を忘れ去るかのように、ただ互いの存在にしがみつき、逃避の快楽に身を焦がしていく。
◇ ◇ ◇
「さあ、腹が減っているだろう。食事を用意しろ」
ヴェルスの指示に、生き残った女性調理師や侍女たちが素早く動き出した。馬車の残骸から回収された高級な食材を使い、彼女たちは手際よく火を熾し、料理を仕上げていく。
「さて。食事の準備の間に改めて、身元の確認をしようか」
ロイドムスが手帳を開き、騎士隊長ベルカイムが生存者の整理を始めた。そこに見る影もなくやつれ、しかし瞳だけを熱く輝かせるおよそ五十名に及ぶ女性たち。
「アクアローザ伯爵家。伯爵夫人クラウミィア様、長女シルヴィア様、次女シェリル様。そして護衛騎士のフィオナ様、侍女のミリア様。……皆様、帝都で開催される『アルヴェディア皇帝主催の舞踏会』へ出席される道中で、あの黒血狼の奇襲を受けられたとのことにございます」
ロイドムスは手帳のページをめくり、さらに他の被害家門の名簿を淡々と読み上げていく。
「レスティア・デリオヴェル様、ミィール・ガレイシフル様、レヌア・ラエール様、カトリーヌ・ヒルフォード様、リアーヌ・ストランド様、ルイーズ・インズロース様、アスット・メロドン様、スタシア・ヴォークス様、シャロット・ランガスター様、エメリア・ヴェルダン様………」
読み上げられる、高貴なる名家の淑女たち。
名を呼ばれるたび、彼女たちは恍惚とした笑みを浮かべ、ヴェルスへ熱狂に満ちた感謝の言葉を告げた。
本来ならば誇り高く、互いに美や血統を競い合っていたはずの令嬢たちが――いまや一人の少年の前で、等しく同じ「配下」として平等を享受し、喜々としてその身を捧げている。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所。白く清潔なテーブルクロスが敷かれ、そこには場違いなほど贅沢な晩餐が並べられた。香ばしい料理の芳醇な香りと、濃厚なワインの香気が、辺りの空気に混ざり合い、倒錯的な静けさを演出する。
「……ど、どうぞ……温かいスープです。口を、つけてくださいね……っ」
青ざめた顔のまま、震える手でロサミィが木の碗を差し出すと、令嬢たちは片方の手でそれを受け取り、もう片方の腕を隣の女性の腰へと回し、ぴたりと身体を密着させながら、恍惚感の中で食事を始めた。
スープの温かさが喉を潤し、生きている実感と、ヴェルスのもとに置かれたという絶対的な安心感が彼女たちを包み込む。
やがて晩餐が終わりを告げ、芳醇な肉の香りと甘いワインの余韻が漂う中、満たされた彼女たちの視線は自然と互いの肌と存在へと注がれていく。
総勢五十名もの貴族女性や侍女たちが、互いの身体を寄せ合い、指先を固く結びながら、甘い吐息とともに首筋や唇へと口づけを交わし、それぞれの家名を囁き合う。それは貴族の茶会のように優雅で、だがどこか狂おしい熱を帯びた、恐怖を塗り潰すための歪な愛の宴だった。
――と、その時。
遠くの空から、地響きのような咆哮が響き渡った。月光を背に、大量の飛竜が舞い降りる圧巻の光景。帝都ヴェディアから派遣された、憲兵隊の到着であった。
降り立つ飛竜たちの翼が巻き起こす強風が、テーブルの上の白い布を揺らす。 憲兵隊が現場の惨状――地獄のような肉の山と、優雅な晩餐を終え、満ち足りた様子で佇ヴェルス一行――を目にした瞬間、そのあまりに異常な対比に、彼らは言葉を失い、本能的な戦慄に身を震わせた。 彼らの目には、地獄の底に君臨し、死と美を同時に操る正体不明の怪物がそこに座っているように見えた。
救済という名の数奇な儀式を終え、ヴェルスは静かに立ち上がった。その傍らでは、赤黒の翼をたたえたナアマが妖しく微笑み、憲兵隊へと冷徹な視線を向けている。圧倒的な威圧感を突きつけながら。
「――さて、憲兵隊に新しい馬車を用意させて、帝都へ向かうとしよう」
絶望から救われた令嬢たちは、もはや元の生活など求めていなかった。彼女たちは、静かな夜気と甘い香りが混ざり合う晩餐の中で、ヴェルスという「唯一の正解」に縋り付き、共に闇へと堕ちていくことを、心から願っていた。




