第43話 白金の指輪と、侍女の恋心
数日後の昼下がり。
白亜の尖塔から注ぐ陽光が、アーチ状の高い窓を通して重厚な執務室の床に心地よい光の帯を描き出していた。
執務机の上には、天空魔導学院『ステラリア』から贈られた白金色の封筒と、そこに同封されていた一枚の羊皮紙――繊細な幾何学模様が刻まれた、特殊な召喚陣シートと手順書が静かに広げられている。
上質な革張りの椅子に腰を下ろしたヴェルスは、深遠なる漆黒の瞳で机上の召喚陣を見つめていた。その傍らには、静かに見守る専属侍女ロサミィの姿がある。
「さて……始めるか」
ヴェルスは短剣を取り出すと、迷いなく自身の指先を微かに傷つけ、赤く艶やかな血の雫を召喚陣の端へと垂らした。
朱色の雫が羊皮紙に染み込んだ瞬間、幾何学模様が微かに青白い光を帯び始める。
ヴェルスは続けて、「適性鑑別の儀」を思い返しながら、あの時と同じ右手を召喚陣の中央へと静かに重ねた。
肌を通して脈打つ魔力がシートへ流れ込んでいくのを感じながら、同封されていた詠唱呪文を低く、澄んだ声で紡ぎ出す。
「――『天空の叡智に連なる者、我の血と魔術の刻印を以て示さん。誓約の扉を開き、認証の印を授けよ』」
静寂の中、ヴェルスの声が響き渡った瞬間、召喚陣から溢れ出た眩い白銀の光が室内を包み込んだ。
右手の掌と召喚陣が同調し、魔力の波紋が収束していく。光が弾けて収まったとき、ヴェルスの右手の薬指には、重厚で美しい一つの指輪――ヴェルス専用の『白金の刻印章』が静かに嵌められていた。
「わぁ……っ! 凄いです、ヴェルス様! 指輪が……浮き出るように召喚されましたっ!」
エメラルドの瞳を輝かせ、ロサミィが思わず小さな歓声をあげる。ヴェルスは指輪の感触を確かめるように微かに指を動かし、満足気に口元を緩めた。
「これが学院生用の『白金の刻印章』か。……なるほど、手紙の通り俺の血と魔力を認証しているな」
刻印章は、世界各国の大都市に存在する『セリオン大聖堂』の内部に設置された『古代の転移魔法陣』を起動・利用するために不可欠な鍵だ。
古代の文明が残した転移陣は、最大宗派である聖輪天環教の専門機関『神代環理機構』の手によって厳重に管理されている。
この刻印章さえあれば、在学中の特定期間に限り、アルヴェディア帝国のセリオン大聖堂から、天空魔術中立国『アルティリス』の首都ステラリアへ――そしてその近郊にある天空魔導学院『ステラリア』へと渡ることが可能になる。
「これで、新天地へ向かうための『門』を開く準備は整ったな」
ヴェルスが息を吐くと、ロサミィが手際よくワゴンから紅茶のカップと、焼きたての甘いスコーンを机の上に並べ始めた。香ばしい茶葉の香りとバターの甘い香りが、心地よく室内に広がる。
「お疲れ様でございました、ヴェルス様! お召し上がりになる頃合いを見計らって、淹れたての紅茶をご用意いたしましたっ」
「重宝するよ、ロサミィ。お前が淹れてくれるお茶は、いつも素晴らしい香りがする」
ヴェルスの甘い言葉にロサミィが嬉しそうに照れるのを見届けると、ヴェルスは対面の椅子へと軽く視線を送った。
「そう立ったままでは話もしづらい。ロサミィ、そこに掛けなさい」
「えっ……! ヴェルス様の御前で座るなんて、そんな……っ」
恐縮して手をもじもじとさせるロサミィに、ヴェルスは優しく微笑みかけ、優雅に手招きをする。
「構わない。俺の専属侍女なのだろう? これは主命令だ」
「っ……はい! ありがとうございますっ……!」
小さく恐縮しながらも、ロサミィは嬉しさを隠しきれない様子で対面の椅子へ浅く腰掛けた。
その姿を眺めながら、ヴェルスは改めて彼女の装いに視線を滑らせる。
一新された帝国式のメイド衣装は、スタンドカラーの胸元に繊細な白フリルとリボンタイがあしらわれ、フロントの金ボタンと右肩の金鎖付き紋章ワッペンが上品な格式を醸し出している。ウエストを飾る可憐な白エプロンと相まって、洗練された優雅さが際立つ装いだ。
「――それにしても、ロサミィ。それが新しい専属侍女の衣装か? 深藍の格式高さとお前の可憐さが完璧に調和していて、実に似合っているな」
甘く耳を撫でるようなヴェルスの言葉に、ロサミィは恥ずかしそうにはにかんだ笑みを浮かべた。
「ふふっ、ありがとうございますっ……! ヴェルス様にお褒めいただけて本当に嬉しいです! 私もこの衣装、凄く気に入っているんですっ」
「ところでロサミィ。屋敷の者たちは、最近の俺や父上たちの様子をどう言っている?」
紅茶を一口嗜み、ヴェルスが柔らかな笑みを浮かべて問いかけた。
「あ、はいっ! 使用人たちの間では、もう持ちきりですっ! 当主様や若様方が、ヴェルス様を自慢の息子や弟として誇らしげに語られている姿を見て、『やはりヴェルス様は隠れた大天才だったのだ』と、みんな手のひらを返したように尊敬しておりますっ!」
(フッ……完璧な傀儡劇だな。母とエリス以外は、この歪な真実には微塵も気づいていない)
心の中で冷笑を浮かべつつ、ヴェルスは優雅にスコーンにジャムを伸ばした。
「他国の動きなどは何か耳に入っているか?」
「ええと……はい! 他国ではないですが公爵家の騎士たちの噂によりますと、我が帝国の第2皇女である『ヴィクトリア・ファ・アルヴェディア様』も、ヴェルス様と同じくステラリアの特待生として招待されたとか……! ヴェルス様にはご存じのことかと存じますが、この国においてミドルネームの『ファ』は、皇族のみに許された高貴な血統の証……。噂では大変にお美しく、ですが大変に苛烈で『帝国の雷姫』と恐れられている方だそうです……っ」
「へえ、第2皇女か……」
ヴェルスは漆黒の瞳を密やかに細めた。自国・アルヴェディア帝国の頂点に咲く一輪の華――そしてその側近たち。天空の学院へ向かう前に、実に甘美で上質な獲物が現れたというわけだ。
「色々と教えてくれてありがとう、ロサミィ。……お前以外の侍女など、もう考えられないな。――これからも俺の側で、ずっと支えてくれるな?」
逃げ場を無くすような甘く男らしい低音で囁き、ヴェルスは彼女の小さな指先をテーブル越しにそっとすくい上げて優しく握りしめた。
その漆黒の瞳に射抜かれ、いつもは嬉しそうに言葉を弾ませていたロサミィは一瞬、息を呑む。
あまりの熱量と圧倒的な男としての包容力に、彼女は言葉を失い、顔を真っ赤に染めながら、重ねられたヴェルスの手を震える指先でぎゅっと握り返した。
「っ……! ヴェルス様……っ!」
耳元をくすぐる甘い声と、まっすぐに見つめられる瞳、そして重ねられた手の温もりに、ロサミィは感動のあまり涙ぐみながら、繋がれた手にぎゅっと力を込めた。
「私、どこまでもヴェルス様について参りますっ! ステラリアでも、一生懸命ヴェルス様をお支えいたしますからっ!」
かろうじて搾り出したその声には、先ほどまでの賑やかさが嘘のような、震えるほどの深い忠実と恋心が籠もっていた。
妖しいまでの美貌と男らしい頼もしさ、そして甘美なスキンシップによって、少女の心と身体は完全に手なずけられていた。
手元で静かに光る『白金の刻印章』を見つめながら、ヴェルスは次なる舞台――天空の城塞へと密かに思いを馳せるのだった。




