第41話 プラチナの招待状と歪な祝福
白亜の尖塔が、抜けるような蒼穹を鋭く穿ち立っていた。
アルヴェディア帝国が誇る最高峰の威光――グラディス公爵邸。
朝露を孕んだ風が吹き抜けるたび、広大な敷地に咲き誇る濃紺の薔薇が優雅に揺れ、甘く重厚な香気を撒き散らす。
整えられた庭園の噴水からは涼やかな水音が響き、昇り始めた朝日を受けて細やかな虹を描いていた。磨き抜かれた石畳を歩けば、朝の澄んだ静寂の中に硬質な靴底の音が心地よく反響する。
どこを見渡しても気品と隆盛に満ちあふれている。
こここそが、帝国屈指の魔法の名門――グラディス公爵家である。
◇
朝の爽やかな光が差し込む大食堂。高窓から注ぐ温かな黄金色の陽光のもと、長卓には公爵家の誇る最高峰の朝食がズラリと並べられていた。
香ばしく焼き上げられたクロワッサンやカンパーニュからは、芳醇な発酵バターと小麦の香気が湯気とともに立ち上る。指を添えて割ればサクッと心地よい音を立て、中はしっとりと旨みを湛え、口に運べば濃密な風味が舌の上でとろけていく。
その傍らには、絞りたての濃厚なミルクと季節の野菜をじっくり煮込んだ、温かみのあるクリーム色のポタージュ。一口含めば、野菜のまろやかな甘みと豊かなブイヨンの旨味が喉を優しく滑り落ちていく。
メインの皿に盛られているのは、きつね色に香ばしく焼き上げられた最高級魔獣のソーセージ。パンパンに張った皮に刃を立てれば、ジュワッと弾ける肉汁とともにスパイスの爽やかな香気が立ち上る。添えられたハーブソルトの塩気が肉の濃密な甘みを引き締め、食欲を強烈に刺激した。
贅を尽くした朝のひととき。だが、そのテーブルを包む空気には、目に見えない不気味な違和感が静かに漂っていた。
「さあヴェルス、冷めぬうちに口に運ぶといい」
上座に佇む当主ヴァルター・グラディスが、かつて一度として見せたことのない、心からの慈愛を宿した眼差しで三男ヴェルスに語りかけた。
「うむ……かの天空魔導学院『ステラリア』から特待生として贈られた、プラチナの招待状か。実に素晴らしい……我がグラディス家の歴史に刻むべき、最高の誇りだ」
「父上のおっしゃる通りです。ヴェルス、お前の召喚の才はまさに規格外だ。我が家の誰よりも誇らしく、頼もしい弟だよ」
頼もしく頷き、温かい笑みを向ける長男のレオン。
「へへっ、ヴェルス! お前ならステラリアに集まる世界中の連中を、あっと言わせてくれるって信じてたぜ! ……ん、なんだ? 俺の顔に何か付いてるか?」
豪快に肉料理を頬張りながら熱弁を振るう次男に、ヴェルスは苦笑しながら口元を指し示し、ナプキンを差し出した。
「あ、ソースか! わりぃわりぃ」
そう言ってナプキンを受け取り口元を拭うと爽やかに笑い、親愛を込めてヴェルスの肩をポンと叩くのは、次男のジークだ。
厳格な当主と完璧な長男が並ぶ食卓において、彼のこの自由さと明るさは、グラディス家に漂う温かな空気そのものであった。
「――ありがとうございます、父上、兄上たち」
三男のヴェルス・グラディスは、深遠なる漆黒の瞳に優美で穏やかな笑みを浮かべ、静かに頭を垂れた。
だが――その微笑ましい光景を前に、母セレスと長女エリスの手が、ピタリと止まっていた。
(……なにか……おかしいわ……)
母セレスは、手に持ったスープスプーンを指が白くなるほど強く握りしめ、背筋を伝う冷や汗に身体を凍らせていた。
攻撃魔法こそが全てのこの国において、ハズレとされる『召喚魔法』の適性を示したヴェルス。
ほんのわずか前まで、この夫も、二人の息子たちも、彼を「我が家の恥」「無能の出来損ない」と激しく蔑んでいたはずだった。地下牢に閉じ込め、容赦なく暴力を振るい、冷酷な言葉で罵倒していたはずの男たちが――
なぜ、これほどまでに自然に、何の屈託もなくヴェルスを溺愛し、称賛しているのか。
「……セレス、どうした? 食が進んでいないようだが」
ヴァルターがゆっくりとこちらを向き、優しく微笑みかけてくる。
その表情、声のトーン、醸し出す雰囲気……どこをとっても、長年連れ添ってきた「夫ヴァルター」そのものだ。だが、その瞳の奥の完璧すぎる穏やかさに、セレスは得体の知れない薄気味悪さを感じて寒気を覚えた。
「え、ええ……なんでもないわ、あなた。ヴェルスの活躍が……あまりにも嬉しくて……」
セレスはひきつった笑みを浮かべ、強張る喉に冷や汗を流しながらポタージュを流し込んだ。
隣に座る長女エリスもまた、青ざめた顔で、震える指先で紅茶のカップを握りしめていた。
(ジーク兄さん……あんなにヴェルスを殴って蹴飛ばしていたのに……? レオン兄様だって、あんなに冷たい目で見下していたのに……。どうして二人とも、あんなに優しい目で見ているの……? まるで、最初からヴェルスを愛していたみたいに……)
あまりにも完璧すぎる「手のひら返し」。違和感を追及しようにも、男たちがあまりにも堂々と、かつ合理的にヴェルスを褒めちぎるため、口を挟むことすらできない。セレスとエリスの胸の中に、歪な恐怖と不気味な疑問が重く沈んでいく。
その母と姉の怯えと困惑を、ヴェルスは漆黒の瞳の奥で冷ややかに見つめていた。
(無理もない。目の前にいる男連中が、かつての記憶も自尊心も全て残したまま、脳の深層に『絶対服従』の刻印を打たれた傀儡だとは、夢にも思うまい。本物と何一つ変わらぬ性格のまま、俺を愛するように縛られた完璧な『影武者』なのだから……)
影武者のヴァルターが、満足そうにグラスを傾けながら言った。
「そうだヴェルス。ステラリアへの旅立ちにあたり、お前の身の回りを支える従者を手配しておいた。我が家に仕える忠実な執事と、手際の良い侍女だ。お前の手足として不自由なく仕えさせる故、後で面会しておくといい」
『――我が主。二人とも身元の確かな生身の人間でございます。怪しまれる懸念はございません』
脳内に直接響くヴァルターの念話を冷静に受け止めながら、ヴェルスは優雅に頷いた。
「――はい、父上。お心遣い、感謝いたします」
ヴェルスは完璧な貴公子の所作で、深々と頭を下げた。
傀儡の男たちが紡ぐ歪な祝福と、真実を知らぬ母姉の怯えが交錯する――それこそが、彼にとって極上の朝餐であった。
完璧に整えられた舞台の上で、ヴェルスは静かに次の一手へと思考を走らせるのだった。




