第4話 お人形として買われた日
長い長い旅の終わりは、あまりにも唐突だった。
馬車が止まったのは、隣国オルディニア王国・セルヴィス伯爵領の中心地にたたずむ、豪奢な館の裏庭だった。
鉄格子の扉が開けられ、泥と汗、そして乾いた血に塗れたヴェルスたちは、商品のように一列に並べられる。
「しゃきっと立ちやがれ、ガキども。これからお前たちを買い取る『お客様』のお見えだ」
見張りの男たちがヘラヘラと笑いながら鞭の柄でヴェルスの背中を突く。
擦りむいた膝と足枷の重みに耐えながら、ヴェルスは静かに視線を上げた。
豪奢なドレスの裾を揺らしながら歩み寄ってきたのは、黄金色の髪を綺麗なロール状に巻いた少女だった。
年齢は十八歳。後ろには厳めしい顔つきの老執事と数人の護衛を従えている。
セルヴィス伯爵家の令嬢――エレノア・セルヴィスである。
「まあ、汚らしいわね。こんな豚小屋みたいな匂いのする子供たちを私に選ばせる気? もっと綺麗にしてから連れてきなさいよ」
エレノアは扇子で鼻腔を覆い、心底不快そうに顔を歪めた。
彼女にとって、ここに並ぶ子供たちは人間ではない。自分の欲望を満たすための、使い捨ての玩具に過ぎないのだ。
エレノアの冷徹な視線が並ぶ奴隷たちを舐めるように走り――そして、小柄で華奢な美少年のヴェルスの前でピタリと止まった。
「……あら?」
エレノアが小さく声を漏らす。
ボロボロの服を着て膝を腫らしてはいるものの、ヴェルスの顔立ちは公爵家の血を引く気品に満ちており、なによりその黒い瞳には、周囲の子供たちのような「恐怖」や「絶望」の色がなかったからだ。
エレノアは扇子を閉じると、その角でヴェルスの顎をくいっと持ち上げた。
「顔だけは悪くないじゃない。……ふうん、いいわ。この子を買い取るわ」
「お嬢様、このような身元の怪しい子供など……」
「黙りなさい、セバス! 私が気に入ったと言っているのよ。私のお人形にしてあげるわ」
エレノアは高飛車に言い放つと、一度も振り返ることなく館の中へと消えていった。
◇
金で買い取られたヴェルスは、館の地下にある作業部屋へと連行された。
冷たい水を容赦なく頭から浴びせられ、長旅の泥と汗を削ぎ落とされる。擦り傷に染みる痛みに耐え、あつらえられたのは――フリルとリボンが過剰にあしらわれた、まるで生きている人形のような、滑稽で華美な服だった。
「さあ、こちらへ。お嬢様のお部屋へお連れいたします。……くれぐれも、愚かな真似をしてお顔を汚さぬよう」
白髪の混じった眉をぴくりとも動かさず、老執事は冷ややかな視線で見下ろすと、ヴェルスの華奢な手首を骨が軋むほどの力で締め上げ、歩き出した。言葉遣いこそ慇懃だが、その扱いは生き物に対するそれではない。
老執事に引きずられるようにして辿り着いたのは、高級家具とフリルで埋め尽くされた令嬢の部屋だった。
ふかふかのソファに腰掛けたエレノアが、着せ替えられたヴェルスを見て、くすくすと満足そうに笑う。
「ふふ、見違えたわ。本当に私のお人形みたい! さあ、そこへ立ちなさい。私が飽きるまで動かずに直立不動でいるのよ」
◇◇◇
そこから、ヴェルスの屈辱的な「お人形」としての日常が始まった。
エレノアの気まぐれで何時間も着せ替え人形のように扱われ、彼女のお茶会の傍らで飾りのように立たされ続ける。
少しでも体勢を崩せば、「お人形のくせに勝手に動かないで!」と容赦なく手元の熱い紅茶を浴びせられ、扇子で頬を叩かれた。
「ほら、お腹が空いたでしょう? 拾って食べなさい」
エレノアがテーブルから落とした焼き菓子の屑。
床に落ちたそれを、ヴェルスは屈辱に震えながら、膝をついて拾い集めて口に運ぶ。
悔しさと惨めさで視界が滲む。かつて公爵家の愛された息子だった面影はどこにもなく、今の自分は我儘な令嬢の玩具でしかない。
(負けるものか……。こんなところで……僕は……!)
夜、フリル服のまま暗く冷たい物置部屋に押し込められ、膝を抱えて震える日々。
食事は冷え切った残飯だけ。全身の打撲と心の傷に耐えながら、ヴェルスは必死に歯を食いしばっていた。
……だが、そんな過酷で屈辱的な日々が続く中で。
極限まで追い詰められたヴェルスの意識の深いところで、ごくわずかな「異変」が起き始めていた。
(……なんだろう、この感覚……)
エレノアが自分を叩く時の、彼女の微細な眉の動き。
自分をなじる時の、瞳の奥にちらつく焦りと孤独。
なぜだか理由は分からない。けれど、エレノアが自分を痛めつければ痛めつけるほど、彼女の「心の隙間」や「求めているもの」が、理屈ではなく感覚的に手に取るように分かってしまうのだ。
まだそれが何なのか、ヴェルスには知る由もなかった。
ただ、理不尽な屈辱に耐える瞳の奥で、何かが静かに、確実に蠢き始めていた。




