第12話 氷の令嬢と、甘い従属
セルヴィス伯爵邸の、長く静かな廊下。
エレノアのすぐ後ろを静かに歩いていたヴェルスの視線の先に、数人の侍女を従えた一人の令嬢が現れた。
黄金色の髪を優雅に流し、隙のない洗練された仕草で歩みを進める、凛とした気品を纏った美少女――セルヴィス伯爵家長女、クラリス・セルヴィス十九歳である。
「あら……エレノア」
クラリスは足を止め、妹へ冷淡な視線を向けた。
「ごきげんよう、クラリス姉様」
エレノアはいつものように身を縮こまらせる……かと思いきや、ヴェルスの手元を静かに握りしめ、どこか余裕のある笑みを返した。
自分には、誰よりも美しく、自分だけを愛してくれる「完璧なお人形」がいるという優越感からだった。
その一瞬の態度を、クラリスの鋭い瞳は見逃さなかった。
(……おかしいわね)
いつもなら自分の前で惨めそうに俯くはずの妹が、妙に落ち着いている。
そして、その背後に控える黒い執事服の美少年――。
長旅の汚れは綺麗に落ち、その佇まいは下等な奴隷などではなく、どこか怪しい色気を放っていた。
「……エレノア。その奴隷、……ずいぶんと気に入っているのね」
「ええ、クラリス姉様。この子は私だけの『専属執事』ですもの」
「ふうん……」
クラリスは胸の前で細い腕を組み、品定めの視線で小柄で華奢なヴェルスを頭から足先まで舐めるように見つめた。
いつも自分の前で怯えているはずのエレノアが、なぜあの少年の前でだけこうも変わるのか。
完璧主義で知的なクラリスの胸の中に、不気味な違和感と、密やかな『好奇心』が芽生え始めていた。
(ただのお人形にしては、見た目が整いすぎているわ。……一度、私の方で引き取って調べてみようかしら)
クラリスは扇を静かに閉じると、冷ややかに唇を吊り上げた。
「エレノア。その奴隷、今日から私の専属として引き取るわ。能力のないあなたに任せておくより、私の側で使った方が有益でしょう」
「な……ッ!? なにを言っているの、クラリス姉様! ヴェルスは私の専属執事よ! 姉様には関係ないじゃない!」
エレノアは顔を蒼白にし、ヴェルスをかばうように前に立ちふさがった。
「い、嫌……やめて! 渡さない! ヴェルスは私のものよ! 私だけのものなのよ――ッ!」
なりふり構わず叫び、ヴェルスにしがみつこうとするエレノア。
だが、クラリスの目配せを受けた侍女たちに強引に取り押さえられ、突放されて床に崩れ落ちた。
クラリスの侍女たちが、無抵抗のヴェルスの背や腹を荒々しく押さえつける。
「くっ……!?」
小柄で華奢な身体に容赦なく加えられる衝撃。床に伏せるヴェルスの髪を、侍女たちは強引に掴み上げて引きずり始めた。
「さあ、さっさと立ち上がりなさい! 逃げる場所も行く当てもない下等奴隷のくせに、クラリス様に気遣いをさせるんじゃないわ!」
「ヴェルス! 嫌ぁぁぁぁぁッ! 私のヴェルスを傷つけないでぇぇぇッ!」
目の前で押さえつけられ、惨めに引きずられていく「自分だけの宝物」。
助け出せない己の無力さと、奪われていく絶望に狂乱し、エレノアは涙に濡れた顔を歪ませ、石畳に指を這わせながら、悲痛な叫びを上げていた。
◇
廊下の喧騒が遠のき、重厚な木製の扉が重々しく閉ざされた。
クラリスの自室。
外部の光を遮る厚手のカーテンが下ろされ、部屋の中には冷徹で静謐な空気が満ちている。
『カチャリ……』
背後で、内側から重い錠が静かに下ろされる金属音が響いた。
外界から完全に遮断された、二人きりの密室空間。
床に倒れたヴェルスの整った顔立ちには小さく擦り傷がつき、その体は緊張と痛みに小刻みに震えていた。だが、その射すような瞳だけは、底知れない怪しい色気を孕んでクラリスを見つめていた。
「ハぁ……ッ、あ……っ」
廊下にいた時からずっと胸の奥で渦巻いていた暗い情動と執着が、クラリスの中で爆発した。
言葉による尋問も、挨拶すらもなく。
クラリスは荒い吐息を漏らしながら、床に横たわるヴェルスの胸元へとしなやかな手を突き、その小柄な体に重なるように深く覆いかぶさった。そして、湧き上がる支配欲に任せるように、彼の無垢な唇を自身の唇で強く奪った。
「んむ……ッ!? っ……ふあ……っ」
冷たく熟した少女の唇が容赦なく重ねられ、吐息を奪う強引なキス。
逃がさないと言わんばかりの激しい拘束。
やがて荒い息を吐きながら唇を離すと、クラリスの頬は朱に染まり、ドロドロとした嗜虐と所有欲の熱に冒されていた。
「ふふ……っ、本当に……なんて生意気で、ぞくぞくする顔をしているのかしら……ッ」
クラリスはすっと手を掲げ、凛とした声で詠唱を紡ぎ始めた。
「――大気を凍らせる永久の冷気よ、我の意に従い、不遜なる者を縛り上げよ。『極氷の鎖』!」
瞬間、紡がれた詠唱に応えるように室内に凍てつく冷気が渦巻き、極寒の氷の鎖がいくつも生成される。
『ガコンッ!』
「あぐっ……ぁぁッ……!?」
ヴェルスの両手首と両足首、そして首元がキンと冷えた極寒の氷鎖によって締め上げられ、冷酷な氷の壁へと無慈悲に宙吊りにされた。
氷鎖が触れる肌から体温が奪われ、小柄な体が凍えるような冷たさに小さく跳ねる。
「くっ……う、あ……ッ!」
「はっ……ぁ、はぁ……ふふ、良い声で鳴くじゃない……」
宙吊りになり苦悶する少年を見つめ、クラリスはうっとりと熱を帯びた吐息を漏らした。
氷のように冷徹だったはずの瞳にドロリとした加虐の悦楽が宿り、興奮で細い肩が大きく上下に揺れる。
「はっ、ふふ……下等な追放奴隷のくせに……っ、ずいぶんと生意気な顔をして私を見返すのね……っ」
愛くるしい美少年が自らの手で縛られ、屈辱に喘ぐ姿——その光景だけでゾクゾクとした快感がクラリスの背筋を駆け抜け、抑えきれない熱い呼吸となって唇からこぼれ落ちていた。
クラリスは細い指先に、青白く冷たい『氷の針』を幾本も形成させた。
うっとりと濡れた瞳でそれを見つめると、張りつけにされたヴェルスの胸元や首筋、柔らかい頬へと、肌をかすめるようにじわじわと突きつけて冷気を浴びせていく。
「ひぃっ……冷た……っ! やめ、……っ!」
「はっ、ぁ……そうよ、もっと声を聞かせて……ッ」
ゾクリとする冷たさと恐怖にヴェルスが小さく悲鳴をあげかけると、クラリスは歓喜に身を震わせ、そのまま猛烈な勢いでヴェルスの唇を再び強引に塞ぎ込んだ。
「んんっ……!? む……っ、ん……むぐっ……っ」
冷気による身震いと、熟した令嬢の唇がもたらす強烈な圧迫。過剰な二つの刺激を同時に叩き込まれ、ヴェルスの小柄な身体がびくんと大きく跳ね上がった。
やがて唇を離すと、クラリスは荒い吐息をヴェルスの耳元に吹きかけ、とろんと蕩けた瞳で嗜虐的な笑みを深めた。
「はっ……ぁ、ふふ……もう余計な言葉なんていらないわ……ッ。泣いても叫んでも……絶対に、逃がしてなんてあげない……っ。エレノアのことなんて、この私があらゆる手を使って……全部、綺麗に忘れさせてあげる……っ」
首筋に顔を寄せ、必死に抗おうとするヴェルスの肌に甘く吐息を吹きかけながら、クラリスは支配の深淵に酔いしれる。
「これから私の手で……たっぷりと、私色に……私だけの可愛い人形に調教してあげるわ……っ」
冷酷な氷の魔術が与える圧迫と、執拗な拘束。
支配と恐怖で少年の肉体と精神を屈服させていく感覚に、クラリスは欲望に濁った瞳を怪しく輝かせていた——。




