表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神代の縁  作者: 榊 雅樂
第一章
12/16

第十二篇 行きたくない

「来たぞーって、あれ? 詩織は?」


 竜也が水月の家に行くと、そこに詩織の姿はなかった。大体は詩織が一番に来ることが多いが、今日はいない。


「まだ来とらんな」


 水月が答えると同時に襖が開く。そこに立っていたのは、詩織だった。彼女はとても暗い表情のまま部屋に入り、左手をついてゆっくりと腰を下ろす。

 すると、何かに気がついた水月は、詩織の右手をバッと掴んだ。


「どうしたんじゃ、これ」


 それを見て、湊と竜也も目を見開いた。


 彼女の右手のひらは、これでもかと言うほど荒れていた。皮は向け、ところどころに血が滲んでいるではないか。


「なぜ手当もしとらん!」


 大きな声にも動じず、詩織はそっぽを向いて答えようとはしない。かと思えば、ゆっくりと口を開き、ポツリと呟く。


「だって、手当なんてしたらバレるじゃないですか」


 声にはいつもの覇気はなかった。彼女の声とは思えないほど、低く沈んだ声。

 手のひらがこんなことになっているのはきっと、家で鍛錬をしていたのだろう。恐らく、休憩すらも挟まずに。


 ちゃんとした手当もしないまま、守人の仕事などできるはずもなく、水月は待ってろとだけ言い残して、手当のできる道具を取りに行った。


 沈黙が流れる。


 ついこの間まで、守人という役目に重きを置いていたというのに、なぜこんなことになっているのか、まるでわからないのだ。

 竜也は話しかけるか迷う。だが、声をかけたところで、彼女が答えてくれるとは思えない。


 無言のまま時が過ぎ、やがて水月が戻ってきた。彼女は何も言わず前に座り、包帯を取り出す。

 包帯を巻いている間も、会話がされることはなかった。気まずい時間だけが流れていく。



 あの後、特に黄泉がえりが出たという情報が舞い込んで来ることはなく、特に話題も盛り上がらないまま業務が終わった。

 外は薄紫色に染まっていて、辺りには人はいない。歩道から見える田んぼには、点々と空に浮かぶ星が映り込んでいる。


 竜也は沈黙を破ろうと、思い切って詩織に話しかけることにした。


「なあ、詩織––––」


 と、彼が振り返って話しかけた瞬間、彼女の目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。あまりの出来事に、竜也と湊はギョッとした。


「ちょちょちょ、何泣かしてるのさ!」

「いや俺名前呼んだだけなんだけど!?」


 二人は詩織から離れ、しゃがみこんで小声で言い合う。


 そんな中、詩織はポツリと口にする。


「––––ない」


 聞こえなかった二人は、彼女の方を振り返った。


「行きたくない」


 言うと、またボロボロと泣き出す。二人はどうしたらいいかわからずてんやわんやだ。とりあえず近くの公園に移動しようということになり、屋根のついたベンチに座った。


 泣き腫らした詩織を間に挟んで座り、彼女が話すのを待つ。

 しばらくの沈黙の後、詩織がポツポツと話し出した。


「あのね、来週鈴宮で集まるのが決まって……」


 それに行きたくない、ということだろう。


「……どうして行きたくないの?」


 湊が優しく問いかける。


 二人は鈴宮家のことについてはよく知らない。というより、他人の家系のことまで耳に入ってくること自体、稀なこと。明星の事情を他の守人が知っているということが稀有なだけで、それ以外は知らないのは、守人らにとっては普通なことである。


「うちは私だけしか子供がいないの」


 それだけ言われ、竜也には疑問符が浮かぶ。しかし、すぐにその意味を理解した。


「蔑まれんの?」


 彼が言うと、詩織はコクリと頷く。少しばかりの間を開けた後、


「正確に言うと、蔑まれるのはお母さんなの」


 彼女の説明では、鈴宮の一族から冷徹な目で見られると言う。原因は、詩織を––––女一人しか産んでいないことだ。つまり、跡継ぎがいない。


 彼女の家は本家筋だ。彼女の相手に婿入りしてもらうか、彼女自身が当主になればいいかもしれない。

 だが、他の家系に示しがつかなくなるそんなやり方を、誰が肯定するだろうか。


「お母さんが否定されてると、私まで否定されてる気分になっちゃって……」


 自分を産んだ存在の否定と、自分という存在の否定は、彼女の中でイコールになっている。

 幼少から刻み込まれたそれは、簡単に消えてくれることはない。それは、竜也も湊も嫌という程理解している。


 だから、今それを払拭してやることは叶わない。


 そこで湊は、制服のポケットから一つのお守りを取り出した。水色に金の刺繍が施された、巾着型のお守り。


「これ、良かったら持って行ってよ。気休めにもならないかもしれないけど」


 ふわりとした優しい笑み。詩織はその笑みに思わず涙腺が緩んだ。

 自分も何かしてやれないものかと、あわあわとポケットやら鞄やらの中身を探る。


「あっ、じゃあ俺もこれやるよ」


 そう言って渡してきたのは、折りたたまれた一枚の小さな紙切れ。開くとそこに描かれていたのは––––


「……なにこれ、カエル?」


「ちげーよ金魚だよ」


 言うと、「はあ?」という返事が返ってきた。


「これのどこが金魚なのよ。目めちゃくちゃ出てるじゃない。あと足も生えてるし」


「デメキンだし。あとそれヒレな!」


 授業中に健人と絵しりとりをした時に描いたものだ。その時にも、これが金魚だということを全くわかってもらえなかった。

 納得できない詩織と、納得してもらいたい竜也はしばらく言い合いになる。すると、その様子を見ていた湊がプッと吹き出した。


「ごめん、ごめんね。あまりにも金魚に見えなくて」


 そしてまたふふと笑う。そこまで笑われたら、さすがの竜也も恥ずかしくなってきた。


「湊兄まで……ふっ、あはははは」


 つられて笑うと、詩織もまたそれにつられて笑いだした。静かな公園に、三人の笑い声だけが響き渡る。


「あーもう、おっかし」


 目尻に溜まった涙を拭き取る頃には、彼女はいつもの調子に戻っていた。ベンチから立ち上がり、数歩前に進む。そしてクルッと二人の方に振り返り、


「あんたらのおかげで、なんかつらさどっか行っちゃった。……ありがとね」


 いつになく素直な礼。それに二人は微笑みで返した。



「ふう……」


 一週間後、自宅に来る鈴宮の分家たちを待って、詩織は緊張を解すように一つ息を吐く。胸の前に握りしめたお守りと紙切れに、それを託すようにして。


「大丈夫。だって、私だもん」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ