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第37話

アークライト王宮のバルコニーから眺める景色は、数ヶ月前とは劇的に変わっていた。

かつては魔法の灯火が不規則に揺れていた街並みに、今は等間隔で並ぶ街灯が白く安定した光を投げかけている。

それは私がヴァイスランドで完成させ、この都に持ち込んだ電気という新しい力の証明だった。


「リディア先生、また新しい設計図ですか。本当に、お体は大丈夫なのですか」

背後から、温かな気遣いを含んだ声が聞こえた。

振り返ると、そこには白衣を纏ったエリアーデが立っていた。

彼女は今や国立病院の院長として、何千人もの命を救う多忙な日々を送っている。

それでも、私の体調を気遣って毎日こうして顔を出してくれるのだ。


「ええ、大丈夫よ、エリアーデ。むしろ、やりたいことが多すぎて、寝ている時間がもったいないくらいだわ」

私は手元の大きな羊皮紙を広げて、彼女に微笑みかけた。

そこには、巨大な鉄の車輪と複雑なクランク、そして大きなボイラーを備えた機械の図面が描かれていた。

蒸気機関車。

ヴァイスランドで作った装甲馬車をさらに巨大化させ、大量の物資と人を運ぶための鉄の馬だ。


「これは……前の装甲馬車よりもずっと大きいですね。何を運ぶおつもりなのですか」

エリアーデが、興味深そうに図面を覗き込んだ。

「国中のすべての物資よ。これがあれば、辺境の村で採れた野菜を、その日のうちに王都へ届けることができる。飢えに苦しむ人々はいなくなるし、物の値段も安定するわ」


「素晴らしいです。それが実現すれば、人々の生活はさらに豊かになりますね」

「ええ。それに、情報の伝達もさらに速くなる。私たちの電信網と、この鉄道。この二つが合わされば、この国は本当の意味で一つになれるのよ」

私たちの会話を遮るように、廊下から規則正しい足音が聞こえてきた。

現れたのは、大統領府の警備責任者となったアルブレヒトだった。

彼の軍服は、かつての騎士団のものよりも実用的で、かつ洗練されたデザインに変わっている。


「リディア先生、エリアーデ殿。こちらにいらしたのですね」

アルブレヒトは、いつものように丁寧な礼をしてから、一枚の電信の紙テープを差し出した。

「ガルニア帝国からの親書です。先日、我が国の共和制への移行と、科学技術の発展を聞きつけたようでして」

「ガルニア帝国……。王国の東にある、魔法大国ですね」

ジークフリード、いや、今や大統領となった彼が、廊下の向こうから姿を現した。

彼は執務の合間を縫って、私たちの元へやってきたらしい。


「ああ、ジークフリード。電信の内容は何て書いてあるの?」

「彼らの皇帝が、我が国の新しい技術に興味を持たれたそうだ。近々、大使を派遣したいと言ってきている」

ジークフリードの表情は、どこか硬かった。

ガルニア帝国は、長年アークライト王国と国境を争ってきた、いわばライバル関係にある国だ。

彼らが純粋な興味だけで近づいてくるとは、到底思えなかった。


「……技術の偵察、というところかしらね」

私がそう言うと、アルブレヒトも同意するように頷いた。

「おそらくは。彼らは魔導師の軍団を誇る国です。我が国が魔法を捨て、科学という未知の力を使い始めたことを、脅威に感じているのでしょう」

「だったら、見せてあげればいいじゃない。私たちの科学が、どれほど素晴らしいものかを」

私は不敵に微笑んで、手元の蒸気機関車の図面を指先で弾いた。


「見せてあげる、ですか」

「ええ。隠す必要なんてないわ。むしろ、圧倒的な力の差を見せつけることで、余計な野心を抱かせないようにするの。それが、一番の平和への近道だわ」

私の提案に、ジークフリードは少し考え込んだ後、ゆっくりと口元を緩めた。

「なるほど。リディアらしい考えだ。分かった、彼らを受け入れよう」

「アルブレヒト、大使の来訪に合わせて、王都中央駅の建設を急がせて。それと、ギュンターさんには、最初の機関車の完成を急ぐよう伝えてちょうだい」


「承知いたしました。すぐに手配いたします」

アルブレヒトは力強く頷き、足早に立ち去っていった。

これから、王国はまた一つ大きな転換点を迎えることになるだろう。

私はバルコニーから、建設が進む新しい駅舎の方角を見つめた。

そこには、未来へと続く線路が、銀色に輝いて伸びようとしていた。


数日後、王都はガルニア帝国の大使を迎え入れるための準備で活気に満ちていた。

大通りはきれいに清掃され、新しい電気の街灯には歓迎の旗が飾られている。

そして、都の入り口には突貫工事で完成させた、巨大な石造りの駅舎が威容を誇っていた。

まだ線路は数キロしか敷かれていないが、その存在感は十分だった。


「リディア先生、ギュンターさんから連絡がありました。一号機、火入れに成功したそうです」

エリアーデが、嬉しそうに報告に来た。

彼女の手には、ギュンターから届いたという、真っ黒な油のついた紙切れが握られていた。

「そう! よかった。これで、大使を驚かせる準備が整ったわね」

私は白衣を着直し、完成したばかりの駅舎へと向かった。


駅のホームには、すでに見物人の群れができていた。

彼らの前には、これまで見たこともない鉄の怪物が鎮座していた。

黒光りする巨大なボイラー。

力強いピストンと、巨大な動輪。

その上部からは、白い蒸気が生き物のように噴き出している。

蒸気機関車一号機、「リディア号」。

村の職人たちが、私の名前を冠して作り上げてくれた、科学の結晶だ。


「よう、嬢ちゃん! 見てくれよ、この力強い唸りを!」

運転台から、真っ黒に汚れた顔を出してギュンターさんが笑った。

彼は、この鉄の馬を操る最初の機関士としての誇りに満ち溢れていた。

「素晴らしいわ、ギュンターさん。本当に、完璧な仕上がりよ」

「だろう? 石炭の燃え方も最高だ。これなら、何十両もの貨車を引いても、びくともしねえぜ」


そこへ、豪華な馬車に護衛された一団が到着した。

ガルニア帝国の大使、バルトロメウス伯爵とその一行だ。

彼らは馬車から降りると、まず駅舎のコンクリート造りの堅牢さに目を見張った。

そして、ホームに鎮座するリディア号を目にした瞬間、その足を止めて絶句した。


「……な、何だ、この巨大な鉄の塊は。魔導装置の一種か?」

バルトロメウスが、震える指で機関車を指差した。

彼の後ろに控える魔導師たちも、手に持った杖を握り締め、警戒心を露わにしている。

「いいえ、大使。これは魔法ではありません。科学の力で動く、蒸気機関車という乗り物です」

私は彼らに近づき、優雅に一礼して説明を始めた。


「蒸気機関車……。魔法を使わずに、どうやってこれほどの巨体を動かすというのだ」

「水の熱エネルギーを、運動エネルギーに変えているのです。簡単な物理の法則ですよ」

私の言葉に、大使は理解できないといった顔をして首を振った。

彼らにとって、魔法こそが唯一の動力源なのだ。

それを否定する私の言葉は、にわかには信じられないのだろう。


「バルトロメウス殿、ぜひ、このリディア号に乗ってみてください。私たちの科学が、どれほどの速度で未来へ向かっているか、その身で感じていただけるはずです」

ジークフリードが、穏やかながらも自信に満ちた声で誘った。

大使はためらいを見せたが、やがて意を決したように頷いた。

「……分かった。そこまで言うのなら、見せてもらおうではないか。王国の新しい力をな」


大使の一行は、特別に用意された豪華な客車へと乗り込んだ。

私も、ジークフリードやエリアーデと共に、彼らの向かいに座る。

「ギュンターさん、出発して!」

私の合図で、リディア号が巨大な汽笛を鳴らした。

ポォォォォォォッ!!

腹に響くようなその音に、大使たちは驚いて椅子から飛び上がった。

次の瞬間、ガタン、という軽い衝撃とともに、客車がゆっくりと動き出した。


「お、動き出したぞ。魔力の脈動を一切感じないのに……」

魔導師の一人が、床に手を当てて困惑したように呟いた。

機関車は、次第に速度を上げていく。

車窓から見える景色が、これまでの馬車ではあり得ない速さで後ろへと流れていった。

時速四十キロ、五十キロ。

地面を蹴るように回る巨大な車輪の振動が、力強く伝わってくる。


「……速い。なんて速さだ」

バルトロメウスは、窓の外を流れる景色に釘付けになっていた。

魔法による転移は一瞬だが、これほどの大集団を、一度に、かつ安定して移動させることは不可能だ。

それも、マナを一切消費せずに。

彼は、自分たちが信じてきた魔法の限界を、この瞬間、突きつけられていたのだ。


線路はまだ短いため、試乗は数分で終わった。

だが、その数分間が彼らに与えた衝撃は計り知れないものだった。

駅に戻り、客車から降りた大使たちの顔は、先ほどまでの傲慢さが消え、深い驚きと畏怖に包まれていた。

「……リディア殿。私は、認めざるを得ない。この科学という力は、我々の魔法を超えようとしているのかもしれない」


バルトロメウスは、私の目を見て、静かに、しかし重みのある声で言った。

「超える、のではありません。魔法と科学、それぞれの得意な分野で補い合っていければいい。私はそう考えていますわ」

私の言葉に、彼は少しだけ驚いたような顔をしたが、やがて深く頷いた。

「賢明な言葉だ。我が皇帝陛下にも、ありのままを報告しよう。アークライト科学合衆国は、もはや無視できる存在ではないと」


交渉の第一段階は、大成功だった。

ガルニア帝国は、我が国の技術力を認め、正式な国交の樹立を約束した。

それだけでなく、彼らが持つ貴重な魔法の知識と、私たちの科学を融合させる共同研究の提案まで飛び出した。

魔法の特性を科学で分析し、より効率的なエネルギーへと変えていく。

それは、私が予感していた新しい時代の形だった。


大使たちが王宮の迎賓館へと案内された後、私たちはホームに残り、夕日に照らされるリディア号を眺めていた。

「リディア、よくやった。これで帝国の侵攻を未然に防ぐことができた」

ジークフリードが、満足そうに私の肩を叩いた。

「ええ。でも、これは始まりに過ぎないわ。これからもっと多くの国が、私たちの技術を求めてやってくるでしょう。その時、私たちがどう応えるかが試されるの」


「わたくしも、医療の分野で帝国の魔導師たちと情報交換をしたいです。彼らの治癒魔法のメカニズムを、科学的に解明できれば……」

エリアーデの瞳も、新しい希望に輝いていた。

「ええ、きっとできるわ。私たちは一人じゃないもの」

私は、自分たちが作り上げたこの鉄の馬に、そっと手を添えた。

これからも、この機関車は多くの希望を乗せて、この国を、そして世界を駆け抜けていくだろう。




もし次の話が気になるなら、


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次話をお待ちいただけますと幸いです。

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