第36話
光の渦が、王立魔導研究所を激しく揺らしていた。
私は爆風に飛ばされそうになりながらも、足元に力を込めて踏みとどまる。
隣ではエリアーデが、ジークフリードの腕を掴んで必死に耐えていた。
アルブレヒトの部下たちは、即座に隊列を組み、盾で衝撃を防いでいる。
私たちの目の前では、宰相が作り上げた巨大な魔導装置が、制御を失って断末魔の叫びを上げていた。
「馬鹿な……! 私の計算では完璧だったはずだ! なぜだ、なぜ装置が停止しない!」
宰相は狂ったように叫び、装置のレバーを何度も操作した。
だが、彼の指先から放たれる魔法の光は、装置から噴き出す激しい放電によってかき消されていく。
私が投げ込んだ化学薬品は、魔力と電気の循環を根本から破壊していた。
物質の結合を強制的に解く、強力な触媒。
それは魔法という不確かなエネルギーさえも、ただの熱と光へと変えてしまう。
「計算が完璧だったのではないわ、宰相。あなたの基礎が間違っていたのよ。自然の理を無視し、ただ欲望だけを積み重ねた結果がこれよ。エネルギーは無から生まれることはない。そして、無理な変換は必ず破綻を招く。それが、この世界の科学的な真理なのよ」
私は彼に向かって、一歩ずつ歩みを進めた。
地面は激しく振動し、天井からは石材の破片が降り注いでいる。
もはや、この研究所が崩壊するのは時間の問題だった。
だが、決着をつけなければならない。
宰相は、私の言葉を聞いて醜く顔を歪めた。
「黙れ! 無能の令嬢が、知った風なことを言うな! 私は、神の力を手に入れるのだ!」
彼はそう叫ぶと、装置の核に埋め込まれていた巨大な魔石を、自らの手で引き抜いた。
その瞬間、凄まじい量の魔力が彼の体に流れ込む。
彼の体は、バルツァーの時とは比較にならないほど、おぞましい形へと変貌していった。
黒い霧が彼の体を包み、背中からは複数の触手が伸びる。
目は、ドロドロとした血のような赤に染まっていた。
「……怪物、ですね」
アルブレヒトが、剣を構え直して低く言った。
「ええ。魔力を取り込みすぎて、肉体の限界を超えているわ。今の彼は、ただのエネルギーの塊でしかない。でも、だからこそ隙がある」
私はベルトから、特別な弾丸が込められたライフルを抜き取った。
それは、ギュンターと共同で開発した「零度弾」だ。
液体窒素を、極小の魔法瓶状の弾頭に封じ込めた、科学の結晶である。
対象の熱を一瞬で奪い、分子運動を停止させる。
「リディア……! 貴様だけは、殺す! 貴様のその賢しらな知恵ごと、この世から消し去ってやる!」
怪物と化した宰相が、地を這うような声で叫んだ。
背中の触手が一斉に伸び、私たちを貫こうと襲いかかる。
「散開して!」
私の叫びに、部下たちは一斉に左右に分かれた。
触手が地面に突き刺さり、厚い石床を紙のように貫く。
すさまじいパワーだが、その動きは単調だった。
私は、怪物の懐に飛び込む隙を狙った。
ジークフリードが、私の意図を察して前に出る。
「ここは俺が引き受ける! リディア、お前はトドメを刺せ!」
彼は、光り輝く剣を振るい、迫りくる触手を次々と切り落としていった。
「殿下、わたくしもお手伝いします!」
エリアーデもまた、自らが精製した強力な酸の入った瓶を投げつけ、怪物の動きを鈍らせる。
二人の、かつては対立していた者たちが、今は一つの目的のために共闘している。
その光景が、私の胸を熱くさせた。
「……チャンスよ!」
私は、怪物がジークフリードの攻撃に気を取られた瞬間を逃さなかった。
姿勢を低く保ち、怪物の中心部、赤く光る魔石の核へと狙いを定める。
トリガーを引いた。
パァン、という乾いた音が響き、零度弾が正確に核を撃ち抜いた。
命中した瞬間、怪物の動きがぴたりと止まった。
核を中心に、白い霜が急速に広がっていく。
「な、何だ……!? 体が、動かん……凍りついていく……!」
摂氏マイナス百九十六度の極寒が、怪物の魔力循環を凍結させていた。
魔力というエネルギーも、それを伝える肉体が凍りついてしまえば、流れることはできない。
怪物の体は、脆い氷の彫刻のように変わり果てた。
「これで、終わりよ。宰相」
私は、さらに追い討ちをかけた。
重い鋼の棒を、凍りついた核に向かって力一杯叩きつける。
パリン、という硬い音とともに、核となっていた魔石が粉々に砕け散った。
「ぐ、あああああああ……っ!」
宰相の断末魔の叫びが、研究所に響き渡った。
彼の巨体は崩れ落ち、そこから真っ黒な霧が噴き出して霧散していく。
後に残されたのは、ボロボロの法衣を纏った、痩せ細った老人の死体だけだった。
野望に囚われ、自然の理を汚した男の、あまりにも惨めな最期だった。
静寂が、部屋を支配した。
装置の唸り声も、魔力の放電も消え、ただ崩壊しつつある研究所の音だけが聞こえる。
「……終わったんですね、先生」
エリアーデが、震える声で尋ねた。
「ええ。王国の闇は、今、晴れたわ」
私はジークフリードに向き直った。
彼は、剣を鞘に納め、静かに私のことを見つめていた。
「リディア。お前がいなければ、俺は今頃、あの化け物の一部になっていたかもしれない。ありがとう」
「礼を言うのは、私の方よ、ジークフリード。あなたが立ち上がってくれたから、民衆も私たちを信じてくれた。さあ、地上に戻りましょう。新しい王の誕生を、みんなが待っているわ」
私たちは、崩れゆく研究所を後にして、地上へと続く階段を駆け上がった。
王宮の廊下に出ると、そこには朝日が差し込んでいた。
夜が明け、新しい一日の光が、王都を照らし始めていた。
王宮のバルコニーに、ジークフリードが姿を現した。
広場には、不安げに事の成り行きを見守っていた数千人の民衆が集まっていた。
彼らは、王子の姿を見ると、一瞬の静寂の後、雷鳴のような歓声を上げた。
「ジークフリード殿下だ! 殿下が生きておられた!」
「魔女リディア様が、悪い宰相を倒してくださったぞ!」
ジークフリードは、静かに右手を挙げた。
広場が、水を打ったように静まり返る。
彼は、私が一緒に考えた演説を、力強い声で始めた。
「王都の民よ! 私は今日、ここに宣言する! 長く暗い夜は終わった! 私たちは今日から、古い魔法と独裁の鎖を断ち切り、新しい時代へと歩み出す!」
「私たちは、科学という新しい光を手に入れた。それは一部の者が独占する力ではない。すべての民が、豊かに、健康に、そして自由に暮らすための道具だ!」
民衆の歓声が、再び空を震わせる。
ジークフリードの隣には、私が、そしてエリアーデが立っていた。
私たちは、新しい王国の象徴として、民衆の前に姿を晒した。
そこには、身分も魔力も関係ない、一つの確かな絆があった。
その後、王都の復興は驚異的な速さで進んでいった。
私が、ヴァイスランドで培った技術を惜しみなく提供したからだ。
街灯には、魔石の代わりに電気が灯った。
汚染されていた井戸水は、浄化装置によって安全な水に変わった。
病に苦しんでいた人々には、エリアーデが開発した薬が配られた。
ギュンターの指揮のもと、壊れていた建物は、じょうぶなコンクリートで建て直されていった。
アークライト王国は、その名を「アークライト科学合衆国」と改めた。
ジークフリードは初代大統領として、民のために尽くすことを誓った。
私は、最高科学顧問として、国の発展を技術面から支えることになった。
そしてエリアーデは、国立病院の院長として、多くの命を救い続けている。
ある日の夕暮れ。
私は、新しく建設された国立科学研究所の屋上から、王都の夜景を眺めていた。
街には、暖かなオレンジ色の電気の光が満ち溢れている。
かつての、冷たい紫色の魔力の光とは違う、人々の営みを支える優しい光だ。
遠くの広場からは、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「先生、こちらにいらしたんですね」
エリアーデが、温かい飲み物の入ったカップを二つ持ってやってきた。
「ええ。この景色を見ていると、私たちのしてきたことが、間違いではなかったと確信できるの」
「わたくしも、そう思います。先生が教えてくださった科学は、ただの知識ではありませんでした。それは、人の心を繋ぎ、希望を生み出す力でしたわ」
エリアーデは、私の隣に立って、同じ景色を見つめた。
不意に、背後から足音がした。
振り返ると、そこには公務を終えたばかりのジークフリードが立っていた。
彼は、少し疲れた顔をしていたが、その瞳には充実感があふれていた。
「リディア。また新しい提案が届いているぞ。隣国との間に、電信網を引きたいという内容だ。彼らも、科学の力に気づき始めたらしい」
「それは、素晴らしいことね、ジークフリード。私たちの光が、世界中に広がっていく。それは、争いのない平和な世界への第一歩だわ」
私たちは、三人で夜空を見上げた。
そこには、変わることのない美しい星々が輝いている。
かつて、私が夜空を見て世界の理を求めたあの日と同じ光だ。
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