第16話
燃え盛る炎の壁が、谷間を真っ赤に染め上げていた。
ロックボアは、最後の叫びを上げている。
燃え盛る地獄の中で、もがき苦しんでいた。
やがてその巨大な体は、動きを止めた。
黒い炭の塊へと、姿を変えていった。
あれほど私たちを恐怖に陥れた魔獣が、あっけなく命を落としたのだ。
「終わった、のか。」
若い騎士が、信じられないといった様子でつぶやく。
彼の顔は、炎の照り返しで赤く染まっていた。
その瞳には、おそれと興奮が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。
他の騎士たちも、同じだった。
彼らは、剣を握りしめたままぼうぜんとその光景を見つめている。
「皆さん、何をぼんやりしているのですか。」
私は、落ち着き払った声で彼らに呼びかけた。
「火が消えないうちに、やるべきことがありますよ。」
私のその言葉に、騎士たちははっと我に返る。
アルブレヒトが、すぐに私の考えを察して指示を飛ばした。
「そうだ、いつまでも感心している場合ではない。作業を再開するぞ。この炎は、リディア先生が我々に与えてくださった好機なのだ。」
私たちは、燃え続ける原油の炎を巨大なコンロとして利用することにした。
採取した原油を満たした樽を、火の海から少し離れた場所にいくつも並べる。
そして長い鉄のパイプを、樽に差し込んだ。
そのパイプのもう一方の端を、川の水で冷やした冷却槽へとつないだ。
即席の、巨大な蒸留装置の完成だ。
原油の樽は、炎の熱によって温められていく。
やがて、沸点の低い成分から順に気体となる。
パイプの中を通り、冷却槽へと送られていく。
冷やされた気体は、再び液体に戻る。
管の先から、ぽたぽたと滴り始めた。
最初に取れた液体は、無色透明だった。
強い匂いを、放っていた。
前の世界でガソリンやナフサと呼ばれる、非常に燃えやすい成分だ。
「これは、とても危険な液体です。火に近づけると、爆発するように燃え上がりますから取り扱いには十分に注意してください。」
私は騎士たちに注意をうながし、その液体を厳重に保管させた。
これは、ランプの燃料として使えるだろう。
これまでの獣の油とは、比べ物にならないほど明るい光を放つはずだ。
あるいは私の「秘密兵器」の材料としても、大いに役立つだろう。
次に取れたのは、少し黄色みがかった灯油に近い成分だった。
これもまた、優れた燃料となる。
そして、さらに蒸留を続けると粘り気のある重油が取れた。
最後に樽の底に残ったものこそが、私たちの目的である黒くてどろどろとしたアスファルトだった。
「見てください、これが私たちの学び舎を守る魔法の盾となります。」
私は、熱で溶けて水あめ状になったアスファルトを騎士たちに見せた。
彼らは、その黒く輝く物質を見つめている。
まるで、奇跡でも見るかのような目だった。
一日で、彼らはあまりにも多くの「奇跡」を目撃しすぎた。
彼らの常識は、もう完全に崩壊していることだろう。
私たちは、大量のアスファルトと副産物である様々な種類の油を樽に詰めた。
そして、意気揚々と村への帰り道についた。
炭になった魔獣の体は、貴重な素材の宝庫だ。
その硬い甲羅は、加工すれば最高の盾や鎧になるだろう。
体内に残された魔石は、この世界では高い値段で取引される。
私たちは、一石二鳥どころではない。
三鳥も四鳥も、得てしまったのだ。
村に帰ると、私たちの帰還は熱狂的な歓迎で迎えられた。
ギュンターさんは、私たちが持ち帰ったアスファルトを見る。
まるで、子供のようにはしゃいでいた。
「すげえ、すげえじゃねえか嬢ちゃん。本当に、あの黒い水からこんなもんを作り出しちまうとは。」
屋根の防水工事は、すぐに開始された。
校舎の屋根には、まず頑丈な木の板がすきまなく張り巡らされる。
その上に、私たちが持ち帰った熱いアスファルトを丁寧に塗り広げていくのだ。
作業は、村人総出で行われた。
元騎士たちが屋根に登り、村人たちが下からバケツリレーで熱いアスファルトを運ぶ。
その協力体制は、もはや完璧と言うしかなかった。
黒く輝くアスファルトが、屋根全体を覆っていく。
その様子は、学び舎に黒い竜の鱗をまとわせているかのようだ。
数日後、屋根は完全に完成した。
太陽の光を浴びて、鈍く黒光りするその屋根は異様なほどの存在感を放っている。
試しに水をかけてみると、水滴は玉のようになった。
屋根の上を、滑り落ちていった。
一滴たりとも、内部に染み込む様子はない。
「やったぞ、完璧な防水だ。」
「これなら、どんな大雨や大雪にも耐えられる。」
村人たちの、歓声が空に響き渡る。
これで、校舎の最も重要な部分が完成した。
コンクリートの壁と、ガラスの窓。
そして、アスファルトの屋根だ。
この学び舎は、もはやただの建物ではない。
私の科学知識と、この村の人々の労働が生み出した技術の結晶だった。
外側の工事が終わると、私たちの仕事は内装へと移った。
子供たちが学ぶための、机と椅子が必要だ。
そして、私が教えるための黒板もいる。
机と椅子は、森から切り出した木材を使って騎士たちが製作を担当することになった。
彼らは、私の描いた簡単な設計図をもとに木材を切り出していく。
黙々と、組み立てていった。
その手つきは、もはやベテランの職人のようだ。
彼らは、剣を置いたその手で道具を作り上げる。
未来を担う子供たちのための道具を、一つ一つ丁寧に作り上げていく。
その姿には、戦士としての姿とは違うものがあった。
穏やかで、しかし確かな誇りが感じられた。
問題は、黒板だ。
ただの木の板に、黒い塗料を塗っただけではだめだ。
すぐに、表面がはがれてしまうだろう。
チョークの乗りも、きっと悪い。
私は、より本格的な黒板を作ることにした。
「ギュンターさん、スレートという石を探しています。薄くはがれる性質のある、黒っぽい石です。」
粘板岩とも、呼ばれる石だ。
「スレートねえ、ああそういや西の山にそんな感じの石が取れる場所があったな。屋根瓦なんかに使われるやつだ。」
「それです、それをできるだけ大きく薄く切り出してきてください。」
ギュンターさんが切り出してきてくれた粘板岩の板を、私たちは時間をかけて丁寧に磨き上げた。
砂を使い、水の力を借りる。
その表面を、鏡のように滑らかにしていく。
最後に、私が精製した油を薄く塗り込んで仕上げた。
するとそこには、深く吸い込まれるような黒色の美しい板が完成した。
チョークも、もちろん手作りだ。
この辺りで採れる石膏を、焼く。
粉にして、水で練って固めるのだ。
そうして出来上がった白いチョークで、完成したばかりの黒板に一本の線を引いてみた。
さらさらと、心地よい音がする。
驚くほど、くっきりとした白い線が描かれた。
書いた文字は、布で拭けば跡形もなくきれいに消すことができた。
「完璧ね。」
私は、満足のいく出来ばえに思わず笑みを漏らした。
こうして、学び舎の内部も着々と整えられていった。
明るい光が差し込む、ガラス窓がある。
きちんと並べられた、温かみのある木の机と椅子もある。
そして、知の扉を開くための漆黒の黒板がそこにあった。
その空間は、とてもおごそかだ。
これから始まるであろう、新しい時代への期待に満ち溢れていた。
そして、ついにその日がやってきた。
ヴァイスランド初の、鉄筋コンクリート造りの校舎が完成したのだ。
村人たちは、広場に集まった。
その立派な姿を、ただ息を呑んで見上げていた。
灰色の、しかし力強い壁だ。
太陽の光を反射して、きらきらと輝く巨大な窓がある。
空の青を映して、堂々とたたずむ黒い屋根もあった。
それは、周りの素朴な丸太小屋とはあまりにも違う。
まるで未来の世界からやってきたかのような、圧倒的な存在感を放っていた。
「これが、俺たちの村にできたのか。」
「まるで、王都のお城みたいだ。」
「いや、お城よりもずっと立派に見えるぜ。」
村人たちの声は、感動と驚きで震えている。
彼らの目には、うっすらと涙さえ浮かんでいた。
私は、その輪の中心にいた。
ギュンターさんとアルブレヒトと共に、完成した学び舎を眺めていた。
私たちの、長いようで短かった共同作業の成果がそこにある。
今、目の前に形となって存在しているのだ。
感動、という言葉では到底言い表せないほどの気持ちが胸に込み上げてきた。
「やったな、嬢ちゃん。」
ギュンターさんが、私の肩を大きな手で優しく叩いた。
その目も、少し赤くなっている。
「ええ、やりましたねギュンターさん、アルブレヒト。」
「先生、私は言葉が見つかりません。」
アルブレヒトが、感動で声を詰まらせながら言った。
「我々は、ただ剣を振るうことしか知らなかった。だがあなたは我々に、無から有を生み出すことの尊さと喜びを教えてくださった。この学び舎は、我々にとって再生のしるしです。」
彼の言葉に、私はうなずきを返した。
この学び舎は、子供たちのためだけのものではない。
過去にとらわれ、未来を見失っていた人々が新しい生き方を見つけるための場所でもあるのだ。
村長が、震える足取りで私の前に進み出た。
彼は、深く深く私に向かって頭を下げる。
「リディア様、いや我らが聖女よ。この御恩は、村人一同未来永劫忘れることはございません。」
「つきましては、この学び舎にあなた様のお名前をいただくことをお許しいただけないでしょうか。」
「私の、名前ですか。」
「はい、『リディア記念学術院』。これ以上の名は、考えられません。」
その申し出に、村人たちから賛同の大きな拍手と歓声が湧き上がった。
私は、少し戸惑った。
しかし、彼らの純粋な感謝の気持ちをありがたく受け取ることにした。
空は、どこまでも青く澄み渡っている。
その青の下で、私たちの学び舎は希望の象徴として力強く建っていた。
私は、これから始まる授業のことを考える。
胸が、高鳴った。
子供たちの、きらきらと輝く瞳が目に浮かぶようだ。
私は隣に立つアルブレヒトに向き直り、最初の授業の計画について相談を始めようとしていた。
このヴァイスランドから始まる大きな革命は、今確かな形となってその第一歩を大地に刻んだのだ。




