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第17話

学び舎の完成を祝う宴の翌日、ヴァイスランドの空はどこまでも青く澄み渡っていた。

村の広場には昨日までと違う、すがすがしい興奮と期待の空気が満ちている。

今日という日はこの村にとって、記念すべき歴史の始まりとなるのだ。


完成したばかりの校舎の前には、村の子供たちが目を輝かせながら集まっていた。

新しくギュンターさんが作ってくれた服に身を包み、少し緊張した面持ちで互いの顔を見合わせている。

彼らの後ろには親たち、そして村の長老たちが感慨深そうな表情で見守っていた。

さらにその後方ではアルブレヒトに率いられた、元騎士団の男たちが整然と隊列を組んでいる。


彼らの服装は、もはや騎士がまとう鎧ではない。

ギュンターさんが特別に仕立てた、動きやすい作業着姿だ。

しかしその立ち姿には、かつての騎士としての威厳と新しい任務への誇りが満ちている。

やがて私が校舎の入り口に姿を現すと、集まった人々から大きな歓声と拍手が湧き起こった。

私はその温かい歓迎に少し照れながらも、胸を張って彼らの前に進み出る。


そして、この日のために用意された小さな演台の上に立った。


「皆さん、おはようございます」

私の声はマイクなどないのに、不思議なほどよく通り広場の隅々まで響き渡った。


「本日、ここに『リディア記念学術院』の開校を宣言します」

その言葉に、再び大きな拍手が広場を包み込む。


「この学び舎は、誰のものでもありません。ここに集う、皆さん一人一人のものです」

私は子供たちの顔を、そして大人たちの顔をゆっくりと見渡しながら続けた。


「これまで知識というものは、一部の特権階級だけが独占するものでした。しかし、それは間違っています」


「学ぶ権利は生まれや身分に関係なく、誰もが平等に持つべきものです」

「知識は一部の人間が他者を支配するための道具ではなく、全ての人間がより豊かな生活を送るための翼なのです」

私の言葉に、村人たちは固唾を飲んで聞き入っている。

アルブレヒトと彼の部下たちも、真剣な表情で私の言葉を一つ一つ噛み締めているようだった。


「ここで皆さんが学ぶのは、難しい魔法の呪文ではありません。この世界が、どのような仕組みで動いているのかという『理』です」


「なぜ、種をまくと芽が出るのでしょうか。なぜ、人は病気にかかるのでしょうか」

「なぜ、たくさんの星は夜空で輝くのでしょうか。その一つ一つの『なぜ』を解き明かしていくことこそが、学問の本当の楽しさです」


「そして、その知識は必ずや皆さんの生活を、そしてこのヴァイスランドの未来を明るく照らす光となるでしょう」


「さあ、皆さん。一緒に、新しい時代の扉を開きましょう」

私の短いスピーチが終わると、今度こそ割れんばかりの拍手と歓声が空高く響き渡った。

村人たちの顔には、もう何の迷いもない。

そこにあるのは、未来への揺るぎない希望だけだった。


開校式が終わり、いよいよ最初の授業が始まる。

子供たちは興奮を隠しきれない様子で、新品の木の扉を開けて教室の中へと駆け込んでいった。

「うわあ、すごい」

「窓が大きくて、お日様の光がいっぱい入ってくる」


「この机、木の良い匂いがする」

教室の中は、子供たちの歓声で満ち溢れていた。

彼らは整然と並べられた机と椅子に、目を丸くしている。

その後ろから、騎士たちも静かに入ってきた。

彼らは子供たちの邪魔にならないように、教室の後方の壁際にずらりと並んで立つ。

その真剣な眼差しは、これから始まる授業への並々ならぬ覚悟を示していた。


私は教壇に立つと、出来立ての黒板に白いチョークで自分の名前を大きく書いた。

リディア、と。


「今日から、皆さんは私の生徒です。そして、私は皆さんの先生です。分からないことがあれば、いつでも何でも質問してくださいね」


「はーい、リディア先生」

子供たちの、元気で素直な返事が教室に心地よく響く。

最初の授業は、この世界の共通言語である文字の読み書きから始めた。


「いいですか、この文字は『A』です。果物のリンゴの『A』ですね」

私は黒板に大きく文字を書き、その横に可愛らしいリンゴの絵を添えた。

子供たちは私が配った紙の上に、一生懸命その形を真似て書き写している。

その様子を後方から見ていた騎士たちも、懐から小さな手帳と木炭ペンを取り出し必死に私の書く文字を書き留めていた。

体格のいい男たちが小さな手帳に、窮屈そうに文字を書いている姿はどこか微笑ましい。

しかしその目は、子供たち以上に真剣だった。


文字の授業が一通り終わると、次は算数の時間だ。


「では、皆さんに問題です。ここにリンゴが一つあります。そこへ、もう一つリンゴを持ってくると全部でいくつになるでしょう」

私がそう言うと、子供たちの中から元気よく手が挙がった。

「はい、ふたつ」

「その通りです、正解」

私は黒板に『1 + 1 = 2』という、この世界で最も単純で美しい数式を書いてみせた。

子供たちはその記号の意味を、すぐに理解したようだった。

だが後ろに控える騎士たちの中には、その数式の持つ本当の意味に気づき息を呑んでいる者もいる。

アルブレヒトも、その一人だった。

彼はその単純な数式が、この世界の森羅万象を記述するための基本言語であることを理解し始めていたのだ。


授業は、驚くほど和やかな雰囲気で進んでいった。

子供たちの純粋な好奇心と、学ぶことへの喜びが教室全体を温かい空気で満たしている。

彼らの吸収力は、乾いた砂が水を吸うように凄まじいものがあった。

きっと数ヶ月もすれば、彼らは簡単な文章を読み書きし基本的な計算をこなせるようになるだろう。


午前の授業が終わり、昼休みになった時だった。

教室の扉が、勢いよくバンと開かれた。

そこに立っていたのは、村の見張りをしている若者の一人だった。

彼の顔は真っ青で、肩で大きく息をしている。

その様子から、ただ事ではないことがすぐに分かった。


「た、大変です。リディア先生」

彼の声は、切羽詰まっていた。

「西の谷間にある、隣の開拓村から助けを求める使いが来ました」


「落ち着いてください。何があったのですか」

私が冷静に問いかけると、若者はぜえぜえと息を切らしながらも必死に言葉を続けた。


「それが、村で原因不明の奇病が流行っていると」


「奇病、ですか」


「はい。高熱が出て、体に紫色の斑点が浮かび上がりそのまま数日で衰弱して死んでしまうそうです」

「村の祈祷師が、あらゆる回復魔法を試したそうですが全く効果がないと」

「このままでは、村が全滅してしまう。どうか、ヴァイスランドの聖女様のお力をお貸しくださいと」

その報告に、教室にいた全員が息を呑んだ。

子供たちの顔にも、不安の色が浮かんでいる。

奇病、呪い、そして死。

それらはこの科学の光がまだ届いていない世界において、人々が最も恐れるものだった。


アルブレヒトが、厳しい表情で一歩前に進み出た。


「紫色の斑点、だと。それは、まさか」

彼は、何か心当たりがあるようだった。

「かつて、王国を襲ったという『黒死病』の症状によく似ている。だが、あの病は百年以上前に根絶されたはず」

だが私の思考は、彼らとは全く違う方向を向いていた。

高熱、発疹、そして急速な衰弱。

それらの症状から私が連想したのは、呪いや古い病ではない。

もっと現実的な、科学的な原因だった。


ウイルス性の感染症か、それとも何か強力な毒素による中毒症状か。

祈祷師の回復魔法が効かないというのも、重要な情報だ。

この世界の魔法は、細胞の再生を促すことで治癒を行う。

もしその再生能力を上回る速度で、細胞が破壊されているとしたら。


「分かりました。私が行きましょう」

私は、きっぱりと宣言した。

「それは、呪いなどではありません。必ず、原因があるはずです。そして、原因が分かれば必ず対処法も見つかります」

私のその冷静な言葉に、教室に満ちていた不安の空気が少しだけ和らいだ。

子供たちが、尊敬と信頼の眼差しで私を見つめている。

彼らにとって私はもう、どんな困難をも解決してくれる絶対的な存在なのだ。


「先生、お待ちください。危険です」

アルブレヒトが、私の前に立ちはだかった。

「病の原因が分からない以上、先生ご自身がその病に感染してしまう可能性もある」

「どうか、我々偵察隊が先に村の様子を確認して参ります」


「いいえ、それでは手遅れになります」

私は彼の申し出を、静かにしかし断固として退けた。


「一刻も早く、患者を直接診て症状を正確に把握する必要があります」

「それに、私には病から身を守るための知識がありますから」

私は、自分の手を彼に見せた。

石鹸で清潔に洗われた、私の手だ。

「目に見えないほど小さな病原体、それこそが多くの病の正体です。そして、それを防ぐ最も有効な手段は体を清潔に保つこと、ただそれだけなのですよ」

私のその言葉に、アルブレヒトはもはや反論することができなかった。

彼は私の科学という未知の力が、自分たちの常識を何度も覆してきたのを知っている。

彼はしばらく考えた後、やがて固い決意を込めた顔で私の前に膝をついた。


「承知いたしました。ならば、このアルブレヒト・フォン・クラウゼヴィッツ、命に代えてもリディア先生をお守りいたします」

「部下の中から、精鋭を選りすぐり護衛として同行させていただきます」


「ありがとうございます、アルブレヒト。頼りにしています」

こうして、開校初日の授業は思わぬ形で中断されることになった。

だがこれは、ある意味で最高の「課外授業」となるだろう。

教室で学んだ知識が、いかに人々の命を救い現実世界で役立つ力となるか。

それを私の生徒たちに、身をもって示すための絶好の機会なのだから。


私は、工房へと急いだ。

これから始まる未知の病との戦いに備えて、いくつかの「武器」を準備する必要があった。

顕微鏡、蒸留水、そして消毒用のアルコール。

私の頭の中では、すでに原因究明と治療法確立のための道筋が描き上がっていた。

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