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黒い領域が展開された瞬間、広間の景色は歪み、色彩がすべて奪われたかのように沈んだ。床は墨を流し込んだような黒へと変わり、空気そのものが重力を持ったかのようにまとわりつく。
悠真の視界には、もはや騎士以外の存在は映っていなかった。
「また、俺か」
外側ではレオンたちが何かを叫んでいるはずだったが、その声はここには届かない。完全に切り離された空間。黒い騎士が静かに剣を構える。
「ここは私の支配領域だ。魔力の流れも、時間の感覚も、すべて私に最適化される」
その言葉と同時に、騎士の姿が消えた。
否、消えたように見えただけだった。
次の瞬間には、すでに悠真の懐に入り込んでいる。剣が横薙ぎに振るわれる。その速度は先ほどまでとは明らかに別次元だった。
しかし悠真の視界では、その一撃は“遅い”。
ゼロシンクがさらに深く沈み込み、世界のすべてが粘ついたように引き延ばされる。刃の軌道が線ではなく面として見える。どこに当たるのか、どの瞬間に最大の威力が乗るのか、そのすべてが手に取るように理解できた。
悠真はわずかに体を傾けるだけで、その一撃をかわす。
騎士の目が細くなる。
「……なるほど。時間認識の異常か」
今度は連撃だった。上下左右から途切れなく繰り出される斬撃が、黒い残像を残しながら空間を埋め尽くす。普通の人間であれば、一瞬で肉片になっている密度の攻撃。
だが悠真は、そのすべての“間”を縫うように動いていた。
一歩。
半歩。
最小限の移動で、致命のラインだけを外していく。
そして、隙が生まれた一瞬に踏み込む。
拳が放たれる。
騎士はそれを剣で受け止めたが、衝撃までは殺しきれない。金属が軋み、騎士の体がわずかに後退する。
初めて、騎士の表情に明確な変化が浮かんだ。
「この領域内で……押される、だと」
その言葉と同時に、騎士の魔力がさらに濃くなる。領域そのものが応じるように脈動し、空間の圧力が一段階上がった。
床が軋み、空気が沈む。
だが悠真は、その変化すら観測していた。
むしろ、感じ取っていたのは別の違和感だった。
領域の“中心”が騎士にあるのではない。
もっと奥。
この空間を支えている核が、別に存在している。
悠真の視線が、わずかに騎士の背後へ流れる。
黒い騎士がその意図に気づいた瞬間、動きが変わった。
「見せるわけにはいかないな」
今度は正面からではない。空間そのものを歪ませ、斜め上から刃が落ちてくる。回避の軌道を潰すような、領域と一体化した攻撃。
だが悠真は止まらない。
一歩、前に出る。
刃を避けるのではなく、踏み込むことで軌道を外す。
そのまま、懐へ。
拳が、騎士の胴へと叩き込まれる。
鈍い衝撃音とともに、騎士の体が大きく歪む。
さらに追撃。
間を置かず、もう一撃。
今度は顎へ。
騎士の体が浮き、そのまま数メートル吹き飛ばされる。
領域の中で、初めて明確な“支配の揺らぎ”が生まれた。
黒い空間が、わずかにひび割れるように揺れる。
悠真はゆっくりと息を吐いた。
「……やっぱりな」
小さく呟く。
「お前が本体じゃない」
倒れかけた騎士が、ゆっくりと顔を上げる。
その口元に、薄く笑みが浮かんだ。
「そこまで見えるか」
剣を支えに立ち上がる。
「ならば、隠す意味もない」
騎士の背後。
黒い空間が裂けるように開いた。
その奥から、さらに濃密な魔力が滲み出てくる。
領域の“核”が、姿を現そうとしていた。




