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魔王領中枢。
黒曜石で組み上げられた一本の塔が、沈黙の中で脈打っていた。
塔の内部――
無数の魔導円と水晶盤が宙に浮かび、世界の境界を常時観測している。
そのすべてが、同時に――震えた。
「……っ」
監視にあたっていた魔族たちが、一斉に顔を上げる。
水晶盤に走るノイズ。
魔力の流れが、ありえない角度で歪んでいく。
「境界反応か……」
「一箇所じゃないな、複数だ」
誰かが息を呑んだ。
それは、門が開いたときの反応とは似て非なるものだった。
単発ではない。
侵入でも、召喚でもない。
――“重なった”のだ。
世界と世界が、複数の地点で、同時に。
「……地球由来の反応です」
解析担当の魔族が、震える声で告げる。
「ですが……通常の人間ではありません。
魔力密度、存在圧……すべての質がいい」
塔内に、ざわめきが広がる。
人間自体は、珍しくない。
だが――この反応は、あまりにも重すぎた。
「ゼロか……?」
誰かが、そう呟いた。
しかし、次の瞬間、否定するように別の声が上がる。
「違う……ゼロの反応とは、質が異なります」
「数が……多すぎる」
複数。
同時。
しかも、属性も傾向も一致しない。
――雷。
――闇。
――砂。
――精神。
それぞれが、別々の“歪み”として観測されていた。
そして、魔族たちは悟る。
これは単なる侵入ではない。
“世界が動き始めた”兆しなのだと。
「……深淵姫に、報告を」
その言葉と同時に、塔の最奥。
闇そのもののような玉座へと、魔力の波が走った。
漆黒の玉座に座る女が、ゆっくりと目を開いた。
深淵姫リグレア。
魔王領を束ねる存在でありながら、前線に立つことのない魔王。
彼女の視線が向けられただけで、空間が静まり返る。
「……報告を」
淡々とした声。
だが、その一言で、塔内の空気は一段階引き締まった。
参謀役の魔族が、一歩前に出る。
「世界境界に、複数の地球由来特異反応を確認しました」
「侵入地点は散発的。
いずれも、ゼロ級ではありませんが……
通常の人間とは明確に一線を画しています」
リグレアは、わずかに目を細めた。
「……そう」
驚きはない。
怒りもない。
むしろ――その表情は、どこか納得しているようだった。
「ゼロ“だけ”では、終わらなかった……ということね」
参謀が続ける。
「属性も思想も、統一性がありません。
雷、闇、砂、精神干渉……
まるで、別々の意志を持つ存在が、同時に門を越えたかのような……」
「いいえ」
リグレアが、静かに否定した。
「彼らは“同時に来た”のではないわ。
“道ができたから、歩いてきた”だけ」
参謀が息を呑む。
「……道、ですか?」
「ええ」
リグレアの指先が、宙に浮かぶ観測像をなぞる。
歪みの中心。
世界の継ぎ目。
そこには――かつて観測された、ただ一つの特異点があった。
「ゼロが、壊したのよ。
世界の“境界”を」
淡々とした声で、決定的な事実を告げる。
「だから、道が生まれた。
彼らは、その道を選んだだけ」
参謀は、言葉を失った。
それは侵略でも、偶然でもない。
必然だった。
「では……迎撃を?」
恐る恐る問う参謀に、リグレアは首を振る。
「不要よ。
彼らはまだ、“侵略者”ではない」
そして、静かに続けた。
「むしろ――
世界が、ゼロの影響をどう受けていくのか。
それを測るには、ちょうどいい」
深淵姫の瞳が、わずかに光を宿す。
「……あの世界が、本当に動き始めたのね」
魔王領は、まだ動かない。
だが――確実に、観測は始まっていた。




