244
最初に異変を感じたのは、結界だった。
アルセリア外縁部――
都市を覆う巨大結界が、軋むような音を立てた。
「……?」
警備塔の観測員が、顔を上げる。
「結界圧、急上昇――!?
侵入反応、なし……!?
な、何だこれ……!」
次の瞬間。
空が、割れた。
比喩ではない。
雲が裂け、空間が歪み、巨大な“何か”が落下してくる。
轟音。
衝撃。
地面が震え、郊外の荒野にクレーターが穿たれる。
煙が晴れた、その中心。
立っていたのは――
一人の男だった。
裸の上半身。
無数の古傷。
背負った異形の武具。
闘天王《ガル=ヴァルド》。
「――はは」
男は、深く息を吸う。
次の瞬間、魔力が爆発した。
だがそれは、暴走ではない。
整えられ、研ぎ澄まされた、戦うためだけの魔力。
「……あぁ」
楽しそうに、呟く。
「いいな。
ちゃんと“世界”がある」
視線が、結界都市アルセリアへ向く。
「ゼロ……
お前はこの中か?」
その瞬間――
結界の“奥”。
アルセリア市内。
同時に、別の男が顔を上げていた。
冒険者連盟の訓練場。
レオンは、急に拳を止めた。
「……」
周囲の喧騒が、遠のく。
理由は分からない。
だが――身体が先に理解した。
「……チッ」
歯を鳴らす。
空気が、違う。
魔力の“圧”が、今までとは質が違う。
「……来やがったな」
隣にいた冒険者が、怪訝そうに見る。
「どうしたんだ? レオン」
「いや」
レオンは、ゆっくりと笑った。
だがその目は、まったく笑っていない。
「久しぶりにさ」
拳を握る。
「殴り合わなきゃ終わらねぇタイプの奴が来た気がしてな」
次の瞬間。
遠方から、衝撃波が届く。
建物が揺れ、警報が鳴り始める。
《警告。結界外縁部に未確認高位存在を確認――》
レオンは、即座に理解した。
「……あぁ、なるほど」
小さく、しかし確信を込めて呟く。
「相原」
脳裏に浮かぶ、あの顔。
「あれは――お前の客か」
レオンは、武器を手に取った。
「悪いな。
今回は“静観”できそうにねぇ」
闘争の気配。
それは侵略でも、戦争でもない。
“戦いたいだけの存在”が、
ついに世界へ降り立った合図だった。
最初に気づいたのは、胸の奥だった。
アルセリアの宿舎。
夜。
窓の外では、都市の魔導灯が静かに瞬いている。
――なのに。
「……?」
悠真は、無意識に胸を押さえた。
痛みじゃない。
鼓動が速いわけでもない。
ただ――“引っ張られる”感覚。
まるで、見えない糸が胸の奥に結ばれていて、
それが遠くから、ゆっくりと張り詰めていくような。
「……なんだ、これ」
息を整えようとしても、落ち着かない。
不安……ではない。
むしろ、逆だ。
胸の奥が、妙に静かで、澄んでいる。
その感覚に、覚えがあった。
(……門の前に立ったときと、似てる)
異世界へ初めて足を踏み入れた、あの瞬間。
恐怖よりも先に、“理解”が来た感覚。
――ここは、行くべき場所だ。
あれと、同じだ。
「……来た、のか?」
誰が、とは言わない。
だが、答えは分かっていた。
悠真は立ち上がり、ゆっくりと外へ出る。
夜風が、頬を撫でた。
都市の結界は、いつも通り空を覆っている。
だが――“音”が違う。
魔力の流れが、ざわついている。
横に立つ黒瀬が、眉をひそめた。
「……おい。
結界、鳴ってねぇか?」
「鳴ってる、というより……
押されてる感じだな」
神谷が、低く答える。
レオンは、既に遠くを見ていた。
「……来てるな」
その一言で、空気が締まった。
「魔王、か?」
悠真の問いに、レオンは首を横に振る。
「違ぇ。
あれは……戦うためだけに来た奴だ」
その瞬間。
――悠真の世界が、切り替わった。
視界が、わずかに“深く”なる。
魔力の流れが、線として見える。
空間の歪みが、呼吸のように脈打つ。
ゼロシンク。
発動した自覚はない。
だが、“繋がった”のは分かった。
遠い。
だが、はっきりと――視線を感じる。
「……見られてる」
ぽつりと、悠真は言った。
黒瀬が振り向く。
「は?」
「俺を、探してる」
理由は分からない。
名前も知らない。
だが、確信だけがある。
――あいつは、俺と戦うつもりだ。
恐怖は、ない。
代わりに、胸の奥が静かに熱を帯びていく。
「……不思議だな」
悠真は、自分でも驚くほど落ち着いた声で言った。
「逃げなきゃ、とは思わない」
レオンが、口元を歪めて笑う。
「だろうな」
そして、言った。
「それが“本物”ってやつだ」




