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チャイムの音が、やけに遠く聞こえた。
いつもと同じ校舎。
いつもと同じ廊下。
いつもと同じ朝の風景。
――なのに。
(……戻ってきたはずなんだけどな)
相原悠真は、自分の足元を一度だけ見下ろしてから、教室へ入った。
ざわつきは、隠そうとしても隠しきれなかった。
「あの会見見た?」
「異世界ってマジで存在してたんだな」
「門の向こう、行けるらしいぞ」
「選ばれたやつだけ、って話だけどな」
話題は、そればかりだ。
異世界。
門。
新しい世界。
そして――
悠真が席に着いた瞬間、
いくつもの視線が、ほんの一瞬だけ彼に集まった。
露骨ではない。
だが、確実に“以前とは違う”。
(……まだ、理由は知られてない)
それでも、
何かが違うと、空気が教えていた。
「なぁ相原!」
真田が、机に身を乗り出してくる。
目が、いつもより輝いていた。
「異世界だぞ!?
門だぞ!?
人生変わるチャンスじゃねぇか!」
「……そうかもな」
曖昧に返すと、真田は拳を握る。
「俺さ、行けるなら行きたい。
強くなれるかもしれねぇし、何か変われる気がすんだよ」
その言葉に、
悠真は何も返せなかった。
(“変われる”か……)
確かに、向こうでは変われる。
強くもなれる。
でも――
(それだけじゃ、済まない)
「……悠真くん」
昼休み、朱音がそっと声をかけてきた。
「最近、少し……雰囲気が変わったよね」
「そう?」
軽く返したつもりだった。
けれど、朱音は首を振る。
「ううん、見た目じゃなくて……中」
朱音は言葉を探すように、少し間を置く。
「前より、遠くにいる感じがする」
胸の奥が、わずかに痛んだ。
「……気のせいだよ」
そう言うしかなかった。
朱音は、それ以上追及しなかったが、
その視線には、納得していない色が残っていた。
「なぁなぁ相原!」
外村が、いつもの調子で肩を組んでくる。
「異世界行ったらさ!
俺の結界、無双できんじゃね!?
守るぞ!守るぞ俺ぇ!!」
「……壊される未来しか見えない」
「ひどっ!?」
教室に笑いが起きる。
いつも通りのやり取り。
いつも通りのノリ。
それが、逆にきつかった。
(みんな、“行きたい”って言う)
(でも……)
異世界は、確かに魅力的だ。
力があり、
冒険があり、
選ばれた者だけが踏み込める世界。
けれど――
(本当に行けば、戻れなくなるものがある)
日常。
友人との距離。
当たり前だった時間。
そして何より、
「知らないままでいられた自分」。
悠真は、窓の外を見た。
校庭では、生徒たちが何も知らずに笑っている。
(……俺はもう、同じ場所には立てない)
異世界を知ってしまった。
世界の“境界”を越えてしまった。
それでも――
この場所を、
完全に捨てることもできなかった。
チャイムが鳴る。
歪み始めた日常は、止まらない。




