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厠の華子さん(5)

 ――そして、時間は現在に戻る。

 暗い闇に中。

 鼻をくすぐる芳しい花の香り。

 雅琥はゆっくりと目を覚ました。

「どこだ、ここ?」

 辺りを見回した。見覚えがあるような、ないような場所。女子厠だ。

 ――なぜ、自分がこんなところに?

 雅琥の目に風彦と茜の姿が映った。二人とも厠の個室の中を見ている。二人がなにをやっているのかさっぱりわからない。

 雅琥はゆっくりと立ち上がり、二人の後ろから個室の中を覗き込んだ。

 黒地に紅い蝶の舞う着物が揺れる。

 着物の裾はミニスカートのように短く、そこから覗く長い脚はとても美しく悩ましく、スレンダーな立ちポーズは、まるでファッションモデルのようだ。彼女と見たとたん、世界中のカメラマンたちは瞬時にシャッターを下ろすだろう。それほどまでに絶世の美女がそこにはいた。

 しかも、靴下は流行のルーズ白足袋だ。

 茜は厠の個室に現れた美女を目の当たりにして、頭が大混乱してしまっていた。

「なんでこんなところに人がいるの。あなた誰ですか?」

「わたくしが誰かですって? 人様を呼び出しておいてそれはないんじゃないかしら」

 濡れた唇が玲瓏たる声を響かせた。そして、その声はどこか殺気を孕んでいる。

「どうなってんだよ?」

 雅琥の呟きに気づき、風彦と茜が後ろを振り向いた。

「六道殿、目を覚ましたんござるね」

「あ、起きたんだ」

 茜の態度は素っ気無いものだった。それにたいして雅琥が食って掛かる。

「なんだよ、起きちゃいけなかったのかよ」

「別にぃ。ただ、怪物見てビビって失神しちゃうなんて、情けないなと思って」

「オレがビビって失神だと!? んなわけねーだろ!」

 ガタガタガタと厠の扉が揺れた。その音を聞いた雅琥は恐怖に顔を引きつらせて、茜の背中の後ろに身を潜めた。

 それを見た茜は呆れたように、

「情けないわね」

「ちげーよ、別にオレは……」

 それ以上、雅琥は反論できず、口を閉ざして茜の後ろに隠れたままだった。

 茜の中では恐怖心や不安感といったものが、だいぶ和らいでいた。それというのも、自分よりも弱い人間がこの場にいるからだろう。雅琥がいることによって、茜の気持ちはだいぶ楽になっていた。

 ガタガタガタと再び厠の扉が揺れた。

 雅琥は身を強張らせ、さすがに茜も恐怖に苛まれる。あんな戸などいつ壊せれてもおかしくない。この中に鬼が入って来たら、自分たちは逃げ場がないのだ。

 二人の恐怖を察したように、厠の個室に召喚された美女が個室の中から出てきた。その腰には一振りの刀が差してある。

「平気よ、この厠の中にいる限り、奴はあなたたちに手出しができないわ。それよりも、わたくしと『お遊び』をしたいのは誰かしら?」

「あ、あの、拙者があなた様を召喚したでござる」

 申し訳なさそうに風彦が手を上げた。

「そう、あなただったの。ところでお腹の具合はよくなったかしら?」

「へっ?」

 風彦は眼鏡の奥で目を丸くした。そして、すぐに気が付いたのだった。

「あ、えっと、拙者に紙をくれたのはあなた様だったんでござるか?」

「ええ、とても不憫に思ったから、トイレットペーパーを投げてあげたのよ」

「そうだったんでござるか。その節はお世話になったでござる」

「いいえ、困ったときはお互い様ですもの」

 日常会話レベルの話が進む中に、茜が割って入った。

「そんなことよりも、外にい――」

「そうね、そんなことよりも、わたくしたち、まだ自己紹介もしてなかったわね」

 茜の会話は途中で遮られ、完全にこの美女のペースに呑まれていた。

「わたくしの名は華やかの華と書いて華子。厠の華子さんと呼んで頂戴。では次、そこの眼鏡君?」

「せ、背者の名は蓮田風彦でござる」

「はい、次はそこの女子」

「え、えっと、あたしの名前は稲葉茜」

「はい、次」

「オレの名前は六道雅琥」

 完全に華子さんペースだった。

「さてと、自己紹介も終わったことだし、わたくしのことを召喚した風彦くん。いざ尋常に勝負なさい!」

 煌きを放ち華子さんの腰に差してあった鞘から刀が抜かれた。

「えっ? どういうことでござるか?」

 抜かれた刀の切っ先は風彦の鼻先に突きつけられていた。

「わたくしを召喚した者は、わたくしと一対一の果し合いをするのが掟なのよ」

「そ、そんなこと聞いてないでござる!」

 切っ先を向けられた風彦が一歩後ろに引いたと同時に、ガタガタガタと再び厠の扉が揺れ、外から野獣の鳴き声のような雄叫びが聞こえた。

 三人は自分たちの置かれている危機的状況を思いだし、茜が金切り声を上げた。

「勝負なんてどうでもいいのよ、そんなことより外にいる鬼をどうにかしないと!」

 取り乱しそうになっている茜をよそに、華子さんは平然と静かな笑みを浮かべていた。

「平気と申し上げているでしょう。奴はこの中には入って来れないわ。ここはわたくしの聖域なのよ」

「あ、あの、そういうことはもしかして、外にいる鬼よりも華子さんのほうが、力が上ということじゃござらぬか?」

 風彦の指摘を後押しして茜が華子さんに詰め寄った。

「だったら、外にいる鬼を倒して、お願い!」

「嫌よ」

 瞬時に華子さんはあっさり、きっぱり、断った。

「だってめんどくさいんですもの。それにこの愛刀胴太貫で、あんな怪物を斬るなんて耐え難いわ。刀が穢れる」

 なにかに気づいた茜の視線が泳いだ。

「六道くんは?」

「六道殿なら、奥の個室に入って行ったでござるよ。きっと用でも足しているのでござらぬか?」

 そう言いながら風彦は厠の奥を指差した。

 すぐさま茜は奥の個室に駆け寄る。すると、そこには厠の個室の隅でうずくまり、身体を震わせている雅琥の姿があった。

「なにやってんのあんた?」

「こっち来るなよ、ほっといてくれよ!」

「また、ビビってんの?」

 悪戯に茜が聞くと、雅琥は拳を振り上げて立ち上がったが、すぐにまたうずくまってしまった。

「うるせーよ、悪いかよ、オレは幽霊とかそういったもんが苦手なんだよ」

 震える雅琥に茜が止めの一撃と言わんばかりにあることを言った。

「そこにいる華子さんも人間じゃないわよ」

 ガタン! と雅琥は壁に後頭部を打ちつけながら後ろに退いた。

「く、来るなバケモノ!」

「あら、わたくしがバケモノですって?」

 恐怖に駆られる雅琥に華子さんがそっと詰め寄る。そして、雅琥の頬に軽く指先で触れ、自分の顔をすっと近づけて呟く。

「六道学園の白虎とまで言われた喧嘩の大将が、もののけが怖い? 教師たちの手を焼かせ、去年は教師の一人を病院送りにして落第したと噂に聞いたわ」

「うるせー黙れ、来るなバケモノ!」

「あなたがなぜもののけを怖がるかも知っているし、なぜ教師を病院送りしたかも知っているわ。稲を植えれば稲が育ち、恐れを植えれば恐れが育つ。もっと器用に生きなきゃだめよ。それから、この学園内でわたくしに知らないことはないわ……風彦くん、あなたのこともね」

 突然、話を振られた風彦は驚いて身体をビクつかせた。

「せ、拙者のことでござるか?」

「そうよ、それに茜ちゃんのこともね。厠は噂話の宝庫なのよ、うふふ」

 華子さんは雅琥の胸倉を片手で掴むと、その細腕からは考えられない力で、雅琥の身体を無理やり持ち上げて立たせた。

「男なら自分の足でお立ちなさい。もう時間がないわ」

 時間がない?

 ガタガタガタと厠の扉が揺れ、なにかがひび割れる音がした。

 風彦はまさかと思い、華子さんに尋ねた。

「もしかして、奴が中に入って来るのではござらぬか?」

「そうよ」

 微笑を湛えながら華子さんは正直に認めた。

「どういうことなの、ここにいれば安全なはずじゃなかったの!?」

 血走った目で茜は華子さんに掴みかかろうとしたが、華子さんは軽くそれを蝶のように舞って躱した。

「日が落ちたときこそ、奴の力は本領が発揮されるのよ。そうね、あと五分くらいかしらね」

「五分ですって!?」

 茜は驚いて自分の腕時計を見たが、不思議な顔をした後すぐに怒鳴り散らした。

「もうやだ、なんで壊れてるのよ!」

 時計の針が明らかにでたらめな時刻を指していたが、その腕時計を茜の背後から背後霊のように覗き込んだ風彦は、納得したようにうなずいた。

「違うでござるよ、壊れているのではなく、磁場や霊気などによって狂わせれてしまったのでござる。稲葉殿の時計はおそらく魔導式時計の最新型でござるね?」

「そうだけど」

「魔導式時計は精確な時を刻み、半永久的に電池交換もいらないことが売りでござるが、このような場所には向かないでござる。拙者なんかは、ねじ巻き式の時計を使ってるでござるよ」

「そうなんだ、知らなかった。蓮田くんってあたしと同じ一年生なのに、いろんなこと知ってるみたいだし、魔導力もスゴイのね」

「あはは、そうでござるかぁ、そんなこと言われると照れるでござるよぉ」

 普段から蒼白い風彦の頬に少し赤みが差した。だが、その頬もすぐに蒼白く戻る。

 ガタガタガタと今度は厠全体が揺れ、天井から細かい木片や埃が落ちてきた。

「呑気に話してるヒマじゃなかったわ!」

 茜は自分の置かれている状況を再度思い出し、周りにいる人たちの顔を眺めた。

 華子さんは外にいる鬼を倒してくれそうもなく、雅琥はかろうじて立ち上がりはしたがうつむいて身体を震わせている。残るはただひとり、茜は風彦に顔を向けた。

「蓮田くん、どうにかして、あたしまだ死にたくない!」

「どうにかと言われても……」

「あたしまだ死ねない。明日は友達と学園の近くにできた甘味処に行くって約束してるし、それに……」

 茜が言葉に詰まったところで、華子さんが言葉を続けた。

「お父上が病に臥して、藩は危機的状況ですものね。自分がどうにかしなきゃいけないと思っているのでしょう?」

「なんであなたがそんなこと?」

 驚きのあまり茜は目を大きく開けて息を呑んだ。

「この学園のことはなんでも知っていると申したでしょう。わたくしは江戸中期に武家の長女として生を受けたの。お父上は男子を望んでいたし、あの時代は女が侍になれなかった。けれど、わたくしは独学で剣を学んだわ……という身の上話はどうでもいいわね。とにかく、今はいい時代になったわ、女のあなたでも藩主になることができるもの――っ!」

 ガタガタガタと厠全体が大地震に見舞われたように揺れ、華子さんも思わず状態を崩して床に膝を付いてしまった。

「時間がもうないようね。外の奴が中に入って来たら、きっとおもしろいことになるわね。八つ裂きにされて腸を抉り出されて食われるのかしら、あなたたち?」

 残酷なことを微笑みながら平気で口にする華子さんの傍らで、同じく揺れでバランスを崩して床に倒れてしまっていた風彦が立ち上がった。

「まずはここから逃げるでござる。その前に六道殿を正気に戻さねば……」

 なにか妙案でも浮かんだのか、風彦は雅琥の傍らに立つと、呪文でも唱えるように囁きはじめた。

「華子殿をしっかり見てくだされ。あの人のどこがオバケなんでござるか。足もちゃんと生えてるし、なかなかの別嬪さんでござるよ」

 風彦に促され、雅琥は華子さんのことを恐る恐る見た。これはしめたと風彦が押しの一手を決める。

「どっからどう見ても人間でござるよ」

「華子さんが人間……人間……あそこにいるのは人間……」

 雅琥は風彦の口車……暗示に乗せられようとしていた。

「そうだよな、人間に決まってんじゃんか、オレがどうかしてたぜ!」

 雅琥復活!

 凛々しく立ち誇る雅琥の姿は、まるで白虎のようだ。

 ――だが。

「わたくし、もののけよ」

 さらっと放たれた華子さんの攻撃!

「ぐはーっ!」

 雅琥に精神的ダメージをくらわせた。

「だめだ、オレはやっぱりだめだ……だめなんだ……」

 再び弱気になる雅琥。

 せっかくいい調子だったのにと、茜の怒り爆発!

「もうなにってんのよ、華子さんのバカ!」

「バカとは失礼ね。厠に長いこと住んでいたから、性格が少し陰湿で意地悪になっただけよ」

 と、微笑で返す華子さん。

「みなさん、あの、そんなことをしている場合ではないと思うのでござるが……」

 と、この場で一番冷静だったりする風彦。

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