第四幕 ― 名簿の廊下
逆さ階段は、最後の一段だけがなかった。
足を下ろしたはずの場所に床はなく、風彦はそのまま前のめりに落ちかけた。
「うわっ」
情けない声が出る。
直後、襟首を掴まれた。
華子だった。
「足元を見なさい」
「見たら余計に落ちそうだったのでござる!」
「それは見方が悪いわ」
「足場のほうが悪い可能性も考慮していただきたい!」
風彦が必死に抗議している横で、雅琥が片足を強く踏み込んだ。
白い虎の紋が、存在しない床へ広がる。
ぐ、と空間が軋み、何もなかったはずの場所に薄い石畳が浮かび上がった。
それは床というより、床だったと決められたものだった。
「ほらよ」
雅琥が息を吐く。
額には汗が滲んでいる。
茜がすぐに気づいた。
「雅琥、無理してるでしょ」
「してねえ」
「嘘が雑」
「じゃあしてる」
「開き直りも雑!」
アサミが端末の残骸から組み直した記録札を手に、周囲を見回した。
「ここから先、空間の定義が曖昧。雅琥が固定しないと足場も信用できない」
「俺を床扱いすんな」
「現世定着の錨」
「言い直しても床だろ、それ」
「高機能な床」
「殴るぞ」
そのやり取りに、茜は少しだけ笑いそうになった。
だが、笑う前に、目の前の景色がそれを奪った。
逆さ階段の先にあったのは、廊下だった。
長い、長い廊下。
左右の壁が見えないほど高く、天井は闇に沈んでいる。床は白い石のようで、ところどころに古い木板、畳、校舎の床材、病院の廊下のようなリノリウム、地下道のコンクリートが継ぎはぎに混ざっていた。
学園の地下のようでありながら、六道魔導学園のどの地下区画にも似ていない。
《向こう側》のようでありながら、完全な異界でもない。
卒業式場の裏側。
あるいは、式に出ることができなかった者たちが並ばされる、白い待合室。
その両側の壁一面に、名札が並んでいた。
小さな木札。
金属のプレート。
紙の名簿片。
生徒手帳の切れ端。
卒業証書の一部。
割れた名札。
古い軍票のようなもの。
教師用の職員札。
七不思議の怪異名を書いた護符。
それらが、びっしりと壁に貼りつけられている。
風彦は、思わず息を止めた。
数えきれない。
名札の多くは、白紙だった。
名前が消えている。
一部には、一文字だけが残っていた。
「ミ」
「宗」
「澪」
「カ」
「二年西組」
「卒業処理中」
「死亡未確定」
「在籍記録なし」
「封門協力者」
「校域残留」
「不明」
顔写真が貼られているものもあった。
だが、写真から顔だけが消えている。
制服だけが残っている。
髪型だけが残っている。
あるいは、背景だけが残っている。
茜は、壁に近づこうとして、途中で足を止めた。
触れていいものではない気がした。
「これ……全部、名前?」
声が自然と小さくなる。
アサミは、記録札をかざした。
札の文字が不安定に揺れる。
読み取りきれないのだ。
「名簿、卒業記録、死亡記録、封門協力者台帳、怪異化記録、事故未処理者一覧……複数の記録系統が混ざっている」
「つまり?」
雅琥が聞く。
アサミは壁に並ぶ白紙の札を見た。
いつもより声が低い。
「ここは、名簿に載せられなかった人たちの保管場所」
廊下の奥で、卒業式の拍手が聞こえた。
ぱち。
ぱち。
ぱち。
乾いている。
誰かを祝う音ではなく、記録の処理が終わったことを知らせる音のようだった。
風彦は腹を押さえた。
痛みが強くなる。
「死亡者でも、卒業者でも、在校生でもない。どこにも分類できなかった人たちを、ここへ押し込めたのでござるか」
「たぶん」
アサミは答えた。
「でも、最初から悪意で作られた場所ではないかもしれない。名簿から漏れた人を、一時的に保管するための救済装置だった可能性がある」
「一時的、ね」
華子が低く言った。
その声には、硬いものがあった。
彼女は壁の名札を見ている。
顔色は変わらない。
だが、黒い袖の下で、指先がわずかに震えていた。
アサミは続ける。
「卒業処理。死亡処理。在籍処理。封門処理。どれにも入らない者を、いったん保留にする。そういう仕組みなら、事故時には有効だったかもしれない」
「でも、保留のまま忘れられた」
茜が言う。
アサミは頷いた。
「あるいは、隠された」
その言葉に、全員が黙った。
隠された記録。
隠された事故。
隠された名前。
それは、ここまで何度も見てきたものだった。
返り鏡の事故。
教師傷害事件の真相。
鬼契りの全文。
華子の生前名。
そして今、卒業できなかった者たちの名札。
六道学園は、生徒を守る場所であると同時に、都合の悪いものをしまい込む場所でもあったのだ。
雅琥が壁を睨む。
「玄斎は、これを知ってたのか」
アサミはすぐには答えなかった。
「全部は知らなかったかもしれない。でも、存在の一部は知っていた可能性がある」
「……戻ったら聞く」
雅琥の声は低い。
怒りはある。
だが、今はその怒りを前へ進む力に変えようとしているようだった。
茜は、壁の名札を一つ見た。
そこには、かすれた文字で「三崎」とだけ残っていた。
由衣。
返り鏡に引き込まれかけた生徒。
完全にはここへ来なかったはずだ。
なのに、もう名札の一部が作られている。
臨時卒業式が進めば、彼女もここに回収されるのだろう。
茜は奥歯を噛んだ。
「急がないと」
「うん」
アサミが頷く。
「全校生徒の名前が流れ込み始めたら、ここはさらに混ざる。本人へ返せなくなる可能性がある」
「本人へ返せなくなるって、どういうこと?」
「名前が、誰のものだったのか分からなくなる」
風彦の腹が、さらに痛んだ。
自分の名前が誰のものか分からなくなる。
それは、ほとんど死よりも恐ろしい。
そのとき、華子が足を止めた。
廊下の右側。
壁の中ほど。
古い木札が一枚、他の名札に半分隠れるように貼られていた。
華子は、そこから目を離せなくなっていた。
茜が気づく。
「華子さん?」
華子は答えない。
ゆっくり手を伸ばし、その名札の上に重なっていた白紙の札をどける。
木札には、かすれた文字があった。
ほとんど消えている。
それでも、読めた。
小夜。
たった二文字。
華子の指が止まる。
風彦は息を呑んだ。
アサミも、何かを言おうとして言葉を飲み込んだ。
小夜。
華子が生前、井戸の人身供犠から逃がした少女。
助けたはずの子。
華子が自分の命と引き換えに、外へ逃がしたはずの子。
その名が、ここにあった。
名簿の廊下に。
卒業できなかった者たちの中に。
「……どうして」
華子の声は、ひどく小さかった。
いつもの艶やかさも、皮肉も、笑みもない。
ただ、一人の女が、過去の傷を突然開かれた声だった。
「小夜」
その名を華子が呼んだ瞬間、廊下のすべての名札が震えた。
白紙の札が鳴る。
顔のない写真がこちらを向く。
卒業処理中の文字が黒く滲む。
そして、廊下の奥から、白い影が現れた。
◇
最初は、一人に見えた。
古い制服。
黒い頭巾。
顔のない白い面。
いつもの顔のない卒業生。
だが、その影は歩くたびにぶれた。
一人ではない。
無数の卒業生が重なっている。
同じ制服を着ているようで、よく見ると時代が違う。
袴姿の少女。
旧制制服の少年。
現代のブレザー。
教師の白衣。
作業着。
祭祀装束。
水干。
病衣。
封門作業用の黒衣。
顔はない。
名もない。
それらが重なり、一つの白い影になっている。
中心に、小さな少女の影があった。
黒い髪を肩で切りそろえた、幼い少女。
白い着物ではない。
古い六道封魔塾の生徒服を着ている。
胸元には、かすれた名札。
小夜。
華子は動けなかった。
小夜の影が、こちらを見ている。
目はある。
けれど、その目の奥には、無数の顔のない卒業生たちの空白が重なっている。
「華さん」
少女の声がした。
それは幼い小夜の声でもあり、長い年月を廊下で過ごした亡霊の声でもあり、名を消された者たち全員の声でもあった。
華子は刀へ手を伸ばさなかった。
ただ、名札を見つめたまま、かすかに息を吐いた。
「小夜」
「その名前で呼ぶんだ」
少女は微笑んだ。
泣きそうな笑みだった。
「まだ、覚えていたんだね」
「忘れるはずがないでしょう」
「でも、私はここにいたよ」
小夜は言った。
その背後で、顔のない卒業生たちが揺れる。
「ずっと」
華子の喉が動いた。
言葉が出てこない。
小夜は、静かに歩み寄る。
その足音はない。
代わりに、名札が鳴る。
かた。
かた。
かた。
卒業できなかった者たちが、小夜の一歩ごとに名前を求めて震えている。
「華さんが助けたから、私はまた犠牲になった」
その言葉に、茜が反射的に声を上げかけた。
「そんな言い方――」
華子が片手で制した。
茜は息を呑む。
華子は小夜から目を逸らさない。
「続けなさい」
声は静かだった。
苦しいほどに。
小夜は頷いた。
「華さんが、私を井戸から逃がしてくれた。私は生きた。榊原の家を離れて、遠い親戚のところで暮らして、それから六道封魔塾に入った」
アサミの目が鋭くなる。
「六道封魔塾……学園の前身」
「そう」
小夜はアサミを見た。
顔のない卒業生たちの視線も、一斉にアサミへ向く。
「私は、華さんみたいな子をもう出したくなかった。家や土地や封門のために、子どもが生贄にされるのを止めたかった」
華子の指が、小さく震えた。
「小夜……」
「だから勉強した。名前を記録すること。卒業すること。学園に入った子が、ちゃんと外へ出られること。閉じ込められず、大人になって、自分の道を選べること」
小夜の声に、微かな誇りがあった。
それは華子の知らない小夜だった。
泣き虫だった幼い少女ではない。
自分の命を救われ、その先で何かを成そうとした一人の生徒。
六道封魔塾の初期生。
卒業記録制度の設計に関わった者。
アサミが小さく呟く。
「卒業者を、安全に学園外へ出すための記録制度……」
「うん」
小夜は頷いた。
「卒業は、外へ出るための儀式だった。学園に登録された名を、学園の外の社会へ返すための手続きだった。生徒を閉じ込めないための仕組み」
茜は息を呑んだ。
今、第七怪が使っている臨時卒業式とは真逆だ。
卒業は本来、閉じるためではなく、外へ出すためのものだった。
それが、いつの間にか裏返された。
小夜の表情が暗くなる。
「でも、黄昏災の前後で封門事故が起きた」
廊下の壁に、映像のようなものが浮かび上がった。
古い校舎。
まだ六道魔導学園ではなく、六道封魔塾と呼ばれていたころの建物。
夜。
空が裂けている。
学校、病院、駅、地下道。
現世と《向こう側》をつなぐ異界門が全国で一斉に開いた黄昏災。
その余波が、六道の校舎にも届いている。
若い小夜が、名簿を抱えて走っていた。
生徒たちを外へ出すために。
名前を消さず、魂を迷わせず、卒業処理を正しく行うために。
だが、廊下が裂けた。
卒業名簿が落ちた。
封門の術式が暴走した。
外へ出すための道が、内側へ閉じる檻へ変わった。
小夜は、その中に飲み込まれた。
「私は、自分が作った仕組みの中に取り込まれた」
小夜の声は淡々としていた。
淡々としているからこそ、痛かった。
「卒業のための仕組みの、最初の犠牲者になった」
壁の映像が変わる。
事故後の会議。
公儀の者たち。
学園の前身に関わる大人たち。
書類に朱印が押されていく。
事故扱いにしない。
名簿不備として処理。
封門網の安定を優先。
該当生徒名、卒業名簿より削除。
小夜の名前が、紙の上から消された。
華子は、唇を引き結んだ。
茜はもう何も言えなかった。
雅琥が低く唸る。
「また隠蔽かよ」
アサミは、記録札を握りしめる。
「小夜は、死亡者でも卒業者でも在校生でもなくなった。だから、ここに保留された」
「保留」
小夜は微笑んだ。
「便利な言葉だよね」
背後の顔のない卒業生たちがざわめく。
小夜の声に、別の声が重なり始めた。
「私だけじゃない」
教師の声。
生徒の声。
子どもの声。
老人の声。
怪異の声。
封門のために役割へ変えられた者たちの声。
「事故で消えた子」
「封門のために名前を削られた先生」
「土地の守護者にされた人」
「死亡扱いにも卒業扱いにもされなかった者」
「記録の都合で消された者」
「残された者」
「卒業できなかった者」
小夜の背後に、無数の白い顔が広がった。
それは一つの怪異ではなかった。
名を消され、卒業できなかった者たちの集合体。
その中心に、小夜の痛みが残っている。
小夜は華子を見る。
「外へ出ても、誰も子どもを守ってくれなかった」
華子は、何も言わない。
「華さんは私を井戸から逃がしてくれた。でも、その先の世界でも、私はまた仕組みに食べられた」
茜の胸が痛む。
家に食われる娘。
華子が言った言葉が戻ってくる。
小夜もまた、別の家、別の学園、別の制度に食われたのだ。
「だから、もう誰も卒業させない」
小夜の声が、顔のない卒業生たち全員の声になった。
「ここにいれば、失われない」
廊下の名札が一斉に光る。
白紙の札。
一文字だけの名。
顔のない写真。
卒業処理中。
それらが、まるで小夜の言葉に賛同するように震える。
茜は、思わず叫びそうになった。
違う。
閉じ込めることは救いではない。
そう言いたかった。
だが、その前に華子が手を上げた。
制止だった。
茜は唇を噛む。
華子は、一歩前へ出た。
黒い着物の裾が、白い廊下に静かに広がる。
「そうね」
華子は言った。
声は、痛いほど穏やかだった。
「わたくしは、あなたを最後まで守れなかった」
小夜の表情が、わずかに揺れた。
華子は否定しなかった。
言い訳もしなかった。
「井戸からは逃がした。けれど、その後のあなたを知らなかった。生き延びたことも、封魔塾に入ったことも、仕組みを作ろうとしたことも、その仕組みに飲み込まれたことも」
華子の指が、刀の柄に触れる。
しかし抜かない。
「知らなかったのではなく、知ろうとできなかった。わたくしは死んで、学園の礎へ埋められて、守護神として閉じ込められていたから」
小夜が言う。
「なら、華さんも閉じ込められていたんだね」
「ええ」
「じゃあ、分かるでしょう」
小夜の声が強くなる。
「外へ出ると、また閉じ込められる。生きても、役割にされる。大人は守ると言って、子どもを使う。家も、学園も、公儀も、みんな同じ」
華子は目を伏せた。
「分かるわ」
「だから、ここにいればいい」
小夜は両手を広げた。
名簿の廊下が白く光る。
「ここにいれば、誰も外で傷つかない。名前はここに保管される。顔も、記録も、思い出も、全部ここに残る。卒業しなければ、失わない」
風彦は、その言葉に胸を刺された。
公儀の研修室で見た幻が戻る。
安全に保管される自分。
誰にも恐れられない代わりに、誰にも覚えられない自分。
アサミは、無限の図書館を思い出していた。
全てを記録し、分類し、閉じておけば誰も傷つかないという誘惑。
茜は、父が救われる代わりに自分が消えていく水田を思い出す。
雅琥は、母が生きている幻の学園を思い出す。
華子は、小夜が生きていた庭を思い出す。
小夜の言葉は、ただの悪意ではなかった。
痛みから出ている。
置き去りにされた者の、あまりに長い恐怖から出ている。
だから、簡単に否定してはいけない。
華子は、小夜へ向かって歩いた。
顔のない卒業生たちがざわめく。
風彦が一歩前へ出ようとするが、華子は小さく首を振った。
来るな、という意味だった。
華子は小夜の前で止まる。
手を伸ばせば届く距離。
けれど触れない。
「小夜」
「何」
「あなたが怒るのは当然よ」
小夜の目が揺れる。
「あなたが恨むのも当然。わたくしを責めるのも、学園を責めるのも、公儀を責めるのも、全部当然」
華子の声は、少し震えていた。
茜は初めて聞いた。
華子の声が、こんなふうに震えるのを。
「でも、小夜」
華子は顔を上げた。
「守るために閉じ込めるなら、それはあなたを井戸へ沈めようとした者たちと同じよ」
小夜の表情が凍った。
顔のない卒業生たちが、一斉にざわめく。
「違う」
小夜の声が低くなる。
「私は、誰も死なせたくないだけ」
「彼らも、そう言ったわ」
華子は静かに言った。
「土地を守るため。家を守るため。皆を守るため。だから小夜を井戸へ入れるのだと」
「違う!」
小夜が叫んだ。
廊下全体が揺れる。
名札が壁から剥がれかける。
「私は、あんな人たちとは違う!」
「違いたいのでしょう」
華子は退かなかった。
「なら、本人の意思を聞きなさい」
小夜の唇が震える。
「聞いたら、外へ出るって言う」
「ええ」
「外へ出たら、傷つく」
「ええ」
「死ぬかもしれない」
「そうね」
「また役割を押しつけられるかもしれない!」
「そうよ」
華子は頷いた。
「それでも、選ぶのは本人よ」
その言葉が、名簿の廊下へ深く響いた。
小夜の顔に、幼い少女の表情が一瞬戻る。
泣きそうな顔。
助けを求める顔。
けれど、その表情はすぐに白い面で押し潰された。
小夜の背後から、無数の顔のない卒業生たちが重なる。
「卒業させない」
「失わせない」
「外は危険」
「残せ」
「記録しろ」
「閉じろ」
「卒業できない者は、学園に残されます」
集合意識が、小夜の揺らぎを飲み込んだ。
少女の輪郭が薄れ、再び顔のない卒業生の中心核へ戻っていく。
小夜は苦しそうに胸を押さえた。
華子が一歩踏み出す。
「小夜!」
だが、白い壁が二人の間に立ち上がった。
名札の壁。
卒業できなかった者たちの記録。
それが盾になって、華子を阻む。
アサミが叫ぶ。
「集合意識が小夜の個別意識を押し戻している!」
「どうすればいいの!」
茜が聞く。
「名札を返す必要がある。小夜だけではなく、ここにいる全員の記録を」
「全員って、何人いるのよ!」
「分からない。数百、数千、あるいはもっと」
風彦の腹が、ねじれるように痛んだ。
名簿の廊下の奥から、白い光が押し寄せてくる。
新しい名札だ。
全校生徒の名前が、ここへ流れ込み始めている。
壁に新しい札が次々と現れる。
高等部一年。
二年。
三年。
中等部。
教職員。
寮生。
端末登録名。
部活動名簿。
座席表。
それらが白い光の粒となって廊下へ降り注ぎ、壁へ貼りついていく。
茜は、自分の名前を見つけた。
稲葉茜。
まだ黒い文字が残っている。
だが、端から白く滲み始めていた。
その隣に、新垣アサミ。
六道雅琥。
蓮田風彦。
そして、三番目の華子。
華子の札の下には、もう一つ薄い文字が浮かんでいる。
榊原華。
華子が鋭く目を細めた。
「名前を混ぜる気ね」
アサミが端末を構える。
「臨時卒業式の処理が進行している。ワタシたちの名前もここへ回収される」
雅琥が壁へ拳を叩きつけた。
白虎の紋が名札の増殖を一瞬止める。
だが、すぐにまた新しい札が生えてくる。
「きりがねえ!」
風彦は黄風を抑えながら、廊下の奥を見た。
そこには、卒業式場の光が見える。
講堂のような場所。
壇上。
校旗。
卒業証書授与台。
その奥に、零時の鐘が揺れている。
小夜を中心にした第七怪は、そこへ向かって下がっていく。
まるで、式の開始位置へ戻るように。
校内放送が流れた。
> 「在校生名簿、回収中」
> 「卒業処理、進行率四十二パーセント」
> 「卒業できない者は、学園に残されます」
茜は召喚杖を握りしめた。
「止めるわよ」
「方法は?」
雅琥が聞く。
「今から考える!」
「雑!」
「でも止める!」
アサミが素早く言う。
「小夜と集合意識を分離し、名札を本人へ返し、卒業式の意味を反転させる必要がある」
「それを五分以内に?」
風彦が青い顔で聞く。
「正確には、残り二分弱」
「無理では?」
「無理に近い」
「そこは嘘でもできると言ってほしいでござる」
「できる可能性を作る」
アサミは茜を見た。
「茜。契約を書き換えたときと同じ」
茜は頷いた。
「命令じゃなくて、同意」
華子は小夜が消えていった方向を見つめていた。
その瞳に、迷いはもうなかった。
「小夜は、まだあの中にいる」
風彦が言う。
「迎えに行くのでござるな」
「ええ」
華子は花切の柄へ手を添えた。
「今度こそ、最後まで」
零時の鐘が鳴った。
ごおん。
名簿の廊下へ、全校生徒の名前が雪のように降り始める。
白い札が、壁を埋めていく。
卒業式は、止まらない。




