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厠の華子さん―ネオ江戸魔導学園怪異録―  作者: 秋月キアラ
第4話 ― 華子さん、遊びましょう
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第三幕 ― 最終封印命令

 逆さ階段は、降りているのに上へ進んでいるような感覚を残した。


 一段下りるたびに、頭上の天井が遠ざかる。


 けれど足元の階数表示は、地下へ向かっていない。


 三階。


 四階。


 五階。


 存在しないはずの階へ、数字だけが増えていく。


 茜は手すりを掴みながら、息を整えようとした。


 契約蔵での疲労が、まだ身体の奥に残っている。手首の包帯は汗で湿り、指先がじんじんと痛んだ。けれど足を止めれば、そのまま階段そのものに飲まれそうな気がした。


 前を歩く雅琥は、時々床を踏み直している。


 階段がふっと浮き上がるように揺れるたび、白い虎の紋が彼の足元に一瞬だけ広がり、階段を現世へ押し戻す。


 そのたびに、雅琥の肩がわずかに沈んだ。


 まだ無理をしている。


 でも、言えば怒る。


 茜はそれが分かっていた。


「雅琥」


「言うな」


「まだ何も言ってない」


「どうせ、休めとか言うんだろ」


「言うわよ」


「じゃあ言うな」


「言わない代わりに、倒れたら引きずるから」


「おまえが?」


「アサミと蓮田くんと華子さんもいるし」


「それはもう搬送だろ」


 風彦が腹を押さえながら、弱々しく手を上げた。


「拙者は、引きずる側より引きずられる側に近い状態でござる」


「役に立たねえな」


「返す言葉もないでござる」


 華子が階段の中ほどで、黒い袖を揺らした。


「風彦は役に立たないのではなく、役に立つときにだいたい倒れるだけよ」


「それは褒めておられるので?」


「ええ。半分くらい」


「残り半分が気になるでござる」


 アサミは端末を見つめたまま、短く言った。


「会話は可能な限り継続して」


 茜が振り返る。


「どういう意味?」


「この階段は、沈黙すると位置認識を奪う。互いの声で存在を固定したほうがいい」


「なら、雅琥の悪口でも言う?」


「ふざけんな」


「ほら、固定された」


「おまえな」


 そのやり取りの途中で、階段の先が白く光った。


 卒業式場の入口かと思った。


 だが、光の向こうに見えたのは、講堂ではなかった。


 重い木の扉。


 磨かれた床。


 古い結界図。


 壁一面の書棚。


 六道魔導学園の校章が刻まれた大きな机。


 学園長室だった。


「……ここに出るの?」


 茜が呟く。


 アサミが端末を確認する。


「逆さ階段が、本来の目的地へ行く前に経由点を挟んだ。学園長権限、または外部命令系統の干渉」


「分かりやすく」


「誰かが、ワタシたちをここへ呼んだ」


 扉は開いていた。


 その奥に、六道玄斎が立っていた。


     ◇


 少し前。


 学園長室には、誰の声もなかった。


 校内放送は、すでに顔のない卒業生に乗っ取られている。教師たちとの通信も途切れ、教職員用端末は卒業処理中という白い文字だけを表示していた。


 玄斎は、結界図の前に立っていた。


 六道魔導学園全域の見取り図。


 地下封門網。


 旧藩霊脈。


 神社仏閣との接続路。


 公儀封門線。


 霊的鎖国の一端を担う、学園という名の巨大な封門装置。


 そこに、七つの赤い光点が点滅している。


 北校舎三番厠。


 返り鏡。


 稲葉鬼契り。


 無人音楽室。


 図書塔。


 逆さ階段。


 零時の鐘。


 七つの怪談。


 七つの錠前。


 そのすべてが、今は第七怪の臨時卒業式へ組み込まれていた。


 ただし、完全ではない。


 三番厠の黒い水は、華子の意思の残滓によって命令に従いきれていない。


 返り鏡は、雅琥の白虎踏地の痕跡で増殖が阻害されている。


 稲葉鬼契りは、所有契約から協力協定へ変わったため、旧式の命令回路として機能しない。


 それは希望だった。


 同時に、危険でもあった。


 古い錠前が命令を受け付けないからこそ、学園全体の封門網は不安定になっている。


 異界化は進む。


 校門の外は白い廊下に変わり、生徒たちの名前は回収されつつある。


 放置すれば、学園は《向こう側》へ沈む。


 そのとき、学園長端末ではなく、机の奥に封じられていた公儀直通の黒い石板が鳴った。


 玄斎は顔を上げる。


 石板に、白い文字が浮かぶ。


> 公儀怪異対策局・緊急封門命令。

> 六道魔導学園、校域全体の異界化を確認。

> 周辺封門網への波及危険、極大。

> 学園長・六道玄斎は、以下の最終封印案を即時実行せよ。


 玄斎は、文字を追った。


> 一、学園守護怪異《三番目の華子》を、生前名により再拘束。

> 榊原華の名を起点として守護神契約を強化し、北校舎水脈封鎖の錠前とする。


 玄斎の目が細くなる。


 アサミが見つけた名。


 華子が本人の手で受け取った名。


 それを、公儀はすでに把握している。


 完全ではないにせよ、学園の結界台帳へ残っていた名だ。公儀が深層記録へ接続すれば、いずれ分かる。


 だが、その名を使うということは、華子を再び守護神として縛るということだった。


> 二、六道雅琥を現世固定錨として登録。

> 白虎踏地の能力を常時展開させ、校域の現世定着を維持する。


 玄斎の手が、わずかに動いた。


 雅琥。


 血の繋がらない息子。


 守ると言って何も知らせず、傷つけた子。


 その力を錨として使う。


 合理的ではある。


 白虎踏地なら、鏡界だけでなく学園全体を現世へ踏み留められる可能性がある。


 ただし、それは雅琥の自由を奪う。


 動けない錨として、学園のどこかに固定するという意味だった。


> 三、稲葉茜を鬼契り継承者として再登録。

> 再定義された協力協定を旧式命令契約へ差し戻し、東側封門線を安定化させる。


 玄斎は目を閉じた。


 あの少女は、稲葉家の古い契約を壊さず、命令ではない形へ変えた。


 それは不安定だ。


 だが、未来のある不安定さだった。


 公儀は、それを許さない。


> 四、蓮田風彦を異界門開閉具として暫定封印。

> ハスター血統管理印を起動し、黄風を制御下に置く。


 石板の文字が、冷たく光る。


 風彦はすでに命令不履行者とされている。


 公儀にとって、彼はもう監視任務者ではなく、制御すべき危険な道具に近い。


> 五、新垣アサミへ全契約文統合作業を命令。

> 既存の七不思議契約、校域登録契約、公儀封門命令を統合し、学園長校印により確定させる。


 アサミ。


 好奇心が強すぎるが、知った名を使わないことを選んだ研究者。


 彼女に、すべての契約を統合させる。


 それは、彼女が最も恐れたことに近い。


 知ることを、閉じ込めるために使わせる。


> 六、六道玄斎は、学園長校印を用いて上記命令を確定せよ。

> 本案により、学園および周辺地域の封門安全率は九割以上回復する。


 玄斎は、石板を見つめた。


 安全率九割以上。


 公儀らしい言葉だった。


 確かに、合理的だ。


 この案なら、学園は閉じられる。


 周辺地域への被害も抑えられる。


 全校生徒が名簿へ回収される前に、臨時卒業式を強制停止できる可能性が高い。


 五人を装置へ組み込めば。


 華子を縛り直し。


 雅琥を錨にし。


 茜を契約者に戻し。


 風彦を道具にし。


 アサミに記録を統合させ。


 玄斎が命令する。


 学園長として、最も安全な判断。


 大人として、被害を最小化する判断。


 霊的鎖国を守る者として、正しい判断。


 玄斎は机の上の校印を見た。


 六道学園長印。


 何度も封印命令に使ってきた印。


 生徒を守るため。


 学園を守るため。


 日本を守るため。


 そのたびに、誰かの意思を後回しにしてきた。


 自分では、それを必要なことだと思っていた。


 守るためだと。


 玄斎の脳裏に、雅琥の声がよみがえる。


 ――あんたはいつも、オレを守るって言って何も話さねえ。


 次に、茜の声。


 ――守るって、何も知らせないことじゃないでしょ。


 玄斎は校印へ手を伸ばした。


 手が止まる。


 学園の揺れが大きくなった。


 迷う時間はない。


 生徒たちの名前は今も消えている。


 誰かが決めなければならない。


 誰かが命令しなければならない。


 その誰かが自分であることを、玄斎は長い間疑わなかった。


 指が校印へ触れる。


 その瞬間、学園長室の扉が開いた。


     ◇


 五人が、扉の向こうに立っていた。


 茜は息を切らし、包帯を巻いた手で召喚杖を握っている。


 アサミは端末を抱え、目だけが鋭く光っている。


 雅琥は血の滲む拳を握り、玄斎を睨んでいた。


 風彦は腹を押さえ、顔色を失っている。


 華子は黒い着物の裾を揺らし、腰の刀へ手を添えている。


 玄斎は、校印に触れたまま固まった。


 茜の視線が、机の黒い石板へ向く。


 そこに並ぶ最終封印案を、彼女は一瞬で読み取ったわけではない。


 だが、いくつかの単語だけで十分だった。


 稲葉茜。


 鬼契り継承者。


 旧式命令契約へ差し戻し。


「……何、それ」


 声が低くなった。


 アサミが前へ出て、石板の内容を高速で読み取る。


 顔色が変わった。


「公儀の最終封印案」


「分かりやすく」


 雅琥が言う。


 アサミは短く答えた。


「ワタシたち五人を、封門装置へ組み込む案」


 部屋の空気が凍った。


 華子の目が細くなる。


「わたくしの名も、使うつもりなのね」


 アサミは頷いた。


「榊原華の名で、守護契約を強化するとある」


 華子は微笑んだ。


 その笑みは、美しいが、ひどく冷たかった。


「ずいぶんと礼儀知らずね」


 風彦は黒い石板を見て、唇を噛んだ。


 そこには自分の項目もある。


 蓮田風彦。


 異界門開閉具。


 ハスター血統管理印。


 暫定封印。


 その文字を見た瞬間、懐の端末が震えた。


 いや、震えたというより、暴れた。


 黒い端末がひとりでに開き、画面全体が黒い泥のように染まっていく。


 白い文字が浮かぶ。


> 命令不履行者、蓮田風彦を封印対象へ移行。

> ハスター血統管理印を起動。


 風彦の身体が跳ねた。


「っ……!」


 声にならない悲鳴が漏れる。


 腹痛ではなかった。


 全身の血管に冷たい針を通されるような痛み。


 背骨の奥から、黄色い風が吹き上がる。


 風彦の影が床で膨らんだ。


 人の影ではない。


 長い腕。


 裂けた翼のような輪郭。


 頭部の形が曖昧になり、背後へ黒い異相肢が伸びかける。


「蓮田くん!」


 茜が駆け寄ろうとする。


 だが、風彦の足元から黒い封印円が広がった。


 公儀の術式。


 彼を中心に、黄風を縛るための白い釘が床へ突き立っていく。


 風彦は膝をついた。


「近づかないで……」


 声が、いつものござる口調から外れていた。


 苦痛で、仮面が剥がれている。


「今、僕に触ると……巻き込む……!」


 華子が一歩前へ出る。


 だが、彼女の足元にも別の封印紋が走った。


 黒い石板から、公儀の音声が流れる。


> 学園守護怪異、三番目の華子を再拘束せよ。

> 新垣アサミ。対象の生前名を読み上げ、守護契約を強化せよ。


 アサミの端末が、勝手に白い画面へ切り替わる。


 そこには、彼女が紙へ書いて華子に渡したはずの名が、空白の形で表示されていた。


 榊原華。


 文字そのものは伏せられている。


 だが、アサミには読める。


 記憶している。


 声に出せば、術式は発動する。


 華子の身体から、黒い水の気配が強くなる。


 北校舎三番厠と学園守護契約が、公儀の術式に引っ張られている。


 華子はアサミを見た。


 責める目ではなかった。


 試す目でもない。


 ただ、静かに待つ目だった。


 アサミは、胸元から折りたたんだ紙を取り出した。


 華子から預かっていたわけではない。


 正確には、写しを持っていた。


 読むためではない。


 忘れないために。


 その紙を握る手が震える。


 読める。


 読めば、華子を止められる。


 今ここで華子を守護神として固定すれば、北校舎の黒い水は安定するかもしれない。


 全校生徒が助かる可能性も上がる。


 公儀の命令は合理的だ。


 だが。


「名前を知っていることと、使う権利があることは別です」


 アサミは言った。


 声は震えていなかった。


 紙を、端末の上に置く。


 そして、自分の手で端末の音声入力を切った。


「ワタシは、その名を読み上げません」


 公儀の音声が冷たく響く。


> 命令違反。研究協力者、新垣アサミを補助封印対象へ移行――


「させない!」


 茜が茜縄を飛ばした。


 赤い縄がアサミの端末へ絡みつき、公儀の術式を物理的に引き剥がす。


 端末は火花を散らして床へ転がった。


 アサミの手が少し焦げたが、彼女は顔を歪めるだけで悲鳴を上げなかった。


 華子がわずかに笑う。


「よろしい。あなたを研究者として認めた甲斐があったわ」


「あとで、無断で写しを持っていたことを謝る」


「そうね。あとで少し叱るわ」


「少し?」


「たぶん」


「たぶん」


 こんな状況で、二人はそんな会話をした。


 茜は玄斎へ向き直った。


 怒りで、胸が熱い。


 恐怖よりも、疲労よりも、怒りが上回っていた。


「学園長先生」


 玄斎は何も言わない。


 茜は一歩踏み出した。


「守るって、何も知らせないことじゃないでしょ」


 玄斎の指が校印から離れかける。


 茜は続けた。


「あたしに鬼契りを戻して、雅琥を錨にして、蓮田くんを道具にして、華子さんを縛って、アサミにそれを書かせる。そうすれば安全なんでしょうね」


 声が震えた。


 だが、引かなかった。


「あんたまで、あたしたちに勝手な役割を押しつけるの?」


 玄斎は息を呑んだ。


 雅琥も前へ出た。


 彼の足元に白虎の紋が浮かぶ。


「玄斎」


 学園長ではなく、名で呼んだ。


 それだけで、玄斎の表情がわずかに変わる。


「また守るって言って、オレたちを何も知らないまま使うのか」


「雅琥」


「公儀が何を言おうが知るか。学園が危ねえのも分かる。だけど、また黙って押し込むなら、おまえもあいつと同じだ」


 あいつ。


 顔のない卒業生。


 守るために閉じ込める怪異。


 玄斎は、黒い石板を見た。


 次に、校印を見る。


 そして、五人を見る。


 華子を、守護神へ戻す。


 雅琥を、現世固定錨にする。


 茜を、鬼契り契約者へ戻す。


 風彦を、異界門開閉具にする。


 アサミを、契約統合作業者にする。


 名前を役割へ変える。


 本人の意思を後回しにする。


 守るという名で閉じ込める。


 それは、第七怪と何が違うのか。


 玄斎は、目を閉じた。


 長い沈黙だった。


 公儀の黒い石板が警告を繰り返す。


> 命令を確定せよ。

> 学園長校印を使用せよ。

> 周辺封門安全率が低下中。

> 命令を確定せよ。


 玄斎は校印を持ち上げた。


 茜が身構える。


 雅琥の拳に力が入る。


 アサミが端末の残骸から顔を上げる。


 華子が刀の柄に手をかける。


 風彦は苦痛に耐えながら、床に両手をついた。


「……玄斎先生」


 風彦がかすれた声で言った。


「僕は……道具には、戻りたくない」


 その声が、最後の一押しになった。


 玄斎は、校印を床へ叩きつけた。


 鋭い音が、学園長室に響いた。


 六道学園長印が、真っ二つに割れた。


 公儀の石板が一瞬、沈黙する。


 玄斎は低く言った。


「学園長としての命令を、ここで終わらせる」


 割れた校印から、白い光が噴き上がる。


 同時に、学園全体の命令系統が軋む音がした。


 校内放送が途切れる。


 無人音楽室の拍子が一拍ずれる。


 図書塔の出席簿が一瞬閉じる。


 黒い水が止まる。


 返り鏡の増殖が鈍る。


 卒業処理の白い文字が、ノイズにまみれる。


 だが、公儀の石板もすぐに再起動した。


> 学園長命令系統、破損。

> 代替封門命令へ移行――


 玄斎は、自分の右手のひらを割れた校印の破片へ押しつけた。


 血が滲む。


 茜が息を呑む。


「学園長先生!」


「責任は捨てない」


 玄斎の声は、痛みに歪んでいた。


 だが、決意は揺れていなかった。


「命令者を降りるだけだ」


 血が校印の破片へ染み込む。


 六道学園の校章が、赤ではなく白く輝いた。


「五分だけ、学園の命令系統を止める」


 玄斎は五人を見た。


「その間に、おまえたちの方法を通せ」


 雅琥が目を見開く。


「五分?」


「それ以上は、学園の封門網が崩れる」


「短すぎるだろ」


「おまえたちなら、文句を言いながらやる」


「何だその信頼」


「信頼だ」


 雅琥は一瞬言葉を失った。


 それから、顔を背ける。


「……気持ち悪いこと言うな」


「すまない」


「謝るな。それも気持ち悪い」


 茜は風彦へ駆け寄った。


 公儀の封印円は弱まっているが、完全には消えていない。


 風彦の影はまだ揺れている。


 華子が刀の鞘で封印円の縁を叩き、アサミが残った端末から公儀術式の接続を遮断する。


 茜は風彦の肩へ手を伸ばした。


「触って平気?」


「たぶん……」


「たぶん禁止」


「今は、それ以上言えないでござる」


 茜は構わず肩を掴んだ。


 黄風が指先を切るようにかすめる。


 痛い。


 だが、離さない。


「道具じゃないって言ったでしょ」


 風彦は目を開ける。


「はい」


「なら、立って」


「……無茶を言う」


「今さらよ」


 風彦は、震えながら立ち上がった。


 華子が横で支える。


「本当に、世話の焼ける子ね」


「申し訳ない」


「謝る暇があれば歩きなさい」


「はい」


 アサミが割れた校印と結界図を確認する。


「命令系統停止、残り四分四十秒」


「もう減ってるの!?」


 茜が叫ぶ。


「発動直後から減っている」


「当たり前みたいに言わないで!」


 雅琥が扉へ向かう。


「逆さ階段へ戻るぞ。名簿の廊下に行くんだろ」


 玄斎が頷く。


「その先に、第七怪の中枢がある」


「一緒に来ないのか」


 雅琥が問う。


 玄斎は割れた校印へ血を注ぎ続けている。


「私はここで、五分を保つ」


「また一人で残るのかよ」


 雅琥の声が尖る。


 玄斎は静かに答えた。


「残る理由を話した」


 雅琥は黙った。


「命令ではない。頼みだ、雅琥」


 玄斎は、初めてはっきりそう言った。


「行ってくれ」


 雅琥は拳を握る。


 怒りたい顔をした。


 でも、怒鳴らなかった。


「……戻ったら、全部話せよ」


「ああ」


「答えられないことは理由を言うって約束、忘れてねえからな」


「忘れていない」


「なら、死ぬなよ」


 玄斎の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「努力する」


「そこは即答しろ」


「生徒の悪癖が移った」


「誰のことだよ」


 そのやり取りに、茜は少しだけ笑いそうになった。


 笑っている場合ではない。


 それでも、空気が一瞬だけ生き返った。


 公儀の黒い石板が、再び警告を発する。


> 命令系統の私的停止を確認。

> 六道玄斎を命令違反者として記録――


 華子が刀の鞘で石板を叩いた。


 石板にひびが入る。


「うるさいわね」


 玄斎が横目で見る。


「それは公儀直通の重要器物だ」


「だから何か?」


「……いや」


 玄斎は諦めたように目を伏せた。


 華子は涼しい顔で笑った。


「弁償は学園長につけておいて」


「私か」


「命令者を降りたのでしょう? なら、責任者として」


 玄斎は苦い顔をした。


「厄介な怪異だ」


「褒め言葉として受け取るわ」


 アサミが短く告げる。


「残り四分十秒」


「行くわよ!」


 茜が叫ぶ。


 五人は学園長室を飛び出した。


 廊下の先には、再び逆さ階段が口を開けていた。


 白い矢印が下を指している。


 名簿の廊下へ。


 卒業式の奥へ。


 顔のない卒業生が待つ場所へ。


 風彦はふらつきながらも、華子に支えられて走った。


 茜は先頭に立ち、召喚杖を握る。


 アサミは端末の残骸から取り出した記録札を走りながら組み直している。


 雅琥は階段の揺れを足で押さえ込む。


 華子の黒い袖が、白い廊下に花の影を落とす。


 背後の学園長室では、玄斎が割れた校印へ血を注ぎ続けていた。


 命令するためではない。


 選択肢を開くために。


 零時の鐘が鳴る。


 ごおん。


 五人は、逆さ階段へ飛び込んだ。

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