第六章 きみ、大志を抱け⑤
静かに緞帳が上がる。
一直線に歩にスポットライトが当てられ、物語が始まった。
何度思い返しても見つけられなかった歩の表情がそこにはあった。
そっと中島を見る。
真剣な眼差しで見つめる中島を見て、奈緒は改めて、自分が置かれている立場にハンカチを握る手に力がこもってしまう。
この日を、どんだけこの人たちは夢を見て来たのだろう。
歩と絡む間宮。
野村の絶妙な表情。
木綿子の衣装を見て、奈緒は顔を綻ばす。
歩と一緒に暮らすきっかけになった、七夕伝説物語の時に作ったドレスだった。
「少し、イメージが違うと言って、お蔵入りしてしまったんだ」
残念がって話す歩に、奈緒は大丈夫よと、微笑んだのを覚えている。
色とりどりのライトに照らされる歩に、胸をいっぱいにした奈緒は、まだ少しだけ迷いがあった。
物語は佳境に入り、誰もが舞台に引き込まれて行く。
息使いでそれは分かる。
突然、奈緒は自分の名前を呼ばれ、目を見開く。
迷いなく舞台から降りて来た歩が、手を引く。
戸惑う奈緒を見て、歩が優しい眼差しで微笑みかけ、唇を寄せて来た。
そっか。
奈緒は、中島を顧みる。
このために、髪をセットしてくれたり、服を選んでくれたんだ。
中島が頷いてみせる。
「しあわせになりなさい」
そう唇が動く。
歩に、ぎゅっと抱きしめられた瞬間、全ての力が抜けて行ってしまうようだった。
お腹の子が、一回強く蹴る。
まるで、先のことなんていいじゃないといわれているような気がして、奈緒は涙ぐむ。
ライトが一度落とされ、奈緒は舞台そでに引き入れられる。
そこには朝、髪をセットしてくれた美容師が、にこにことして待ち構えていた。
歩とあいさつしに訪れた奈緒を、ものの見事に拒否をしたあの由紀子だと、ようやく一致させた奈緒に、舌を出して、えへと笑ってみせる。
「もうまったくあなたたちときたら、見ていられないんだから」
そう言う顔にも見覚えがある。
着せ替え人形のように衣装を変えられ、メイクを直された奈緒は、大粒の涙で前が見えなくなっていた。
「あんたって子は、どこまで心配かければ、気が済むの?」
その声に、奈緒は居た堪れなくなり、抱き付いてしまう。
「母さん。私、幸せになってもいいのかな」
「当たり前でしょ」
涙でぬれる頬をハンカチでぬぐった母親が、微笑む。
「女は意地を張るものじゃないだよ。幸せになりなさい」
「さぁ行った行った」
薫子に背を押され、奈緒は舞台装置へ裏へ、導かれるように進む。
「はい。おねえちゃん」
小さな天使が奈緒に手を差し伸べる。
その可愛らしさに、奈緒は微笑む。
パッと開く扉。
鳴り響く鐘の音に、奈緒は一歩一歩、歩へと足を進めて行く。
それを見届けた中島が、静かに立ち上がり、会場を出て行くのが見えた。
奈緒は胸が詰まる思いで、それを見送る。
にわかに執り行われる挙式。
涙が止まらなかった。
ひょいと歩に抱きかかえられてしまった奈緒は、歩を見詰める。
「重いでしょ。降ろして」
「重くない。ぜってー降ろさない」
目配せをされた観客の一人の手によって、扉を開かれる。
一礼をして、ライトが絞られロビーへと出た二人を待ち構えるように、中島の車が正面玄関に着けられていた。
そこでようやく奈緒を降ろした歩は、満面の笑みで中島に話しかける。
「どうして、わかったんだ? 最後はシークレットだったはずなのに」
中島がにやりとすると、車の扉を開く。
「良いから早く乗れ」
その言葉に促され、二人は後部座席に乗り込んだ。
走り去った会場から、人が出て来るのが見え、歩はニコッとしながら奈緒の手を握る。
本当に、これで良かったのだろうか?
運転する中島に目を向け、奈緒は考えてしまう。
信号待ちで止まった車中から、道を歩く玄さんを見つけ、奈緒は目を見開く。
どんなに探しても見つからなかったのに。
一瞬振り返り、玄さんは奈緒が分かったようで、あの笑顔を見せる。
涙が一気に込み上げてくる。
不安はまだまだたくさんある。
けど、玄さんのあの笑顔を見た瞬間、全て解決されてしまったような気がする。
部屋に入るなり、歩はまた唇を寄せて来た。
「ぜってー放さない」
そう呟くと、ギュッと抱きしめた。
その翌日、奈緒は検診の帰りに、玄さんの店があった場所へ行ってみた。
シャッターが下ろされたままの駄菓子屋。
卒業生らしい団体に、ポツリポツリと歩く親子連れ。
矢張り、玄さんではなかったのかもしれない。
そんな事を思いながら、奈緒はとぼとぼとアパートへと帰って行った。




