第六章 きみ、大志を抱け④
うとうとしてしまった奈緒は、ハッと目を覚ます。
すっかり変身させられてしまった中島が、背中を丸め雑誌をペラペラと捲っているのが見え、奈緒は慌てて居ずまいを正す。
「すいません。私寝ちゃったみたいで」
にっこり微笑んだ中島が、携帯の写真を見せる。
「悪いと思ったけど、歩に送らせてもらったよ」
カーッと顔を赤くする奈緒を見て、中島は少し慌ててしまう。
「怒っちゃった」
首を横に振る奈緒を見て、中島は安心するように笑みを溢す。
「お腹が空きませんか?軽く食事でもしてから、会場に行きましょう」
もう反論する気も起きない奈緒は、それに従う。
中島と、こんな長く話したことはなかった。
他愛もない会話だった。
ほとんどが野村との出合うことになった大学時代の話題ばかりで、歩の話題を避けているようにも思えた。
少し早めに会場入りした二人はロビーのソファーに腰を下ろす。
歩が初めてここで付き合って下さいと言ってくれた場所。
思わず言ってしまった自分の言葉に、身を抓まされてしまう、どうしていいのか分からず、その場から逃げ出したかった。
まさかこんな二人になれるなんて、思えなかったあの日。
中島が腕組みをして目を閉じている。
すべてが間違いから始まってしまった恋。
「中島さん、やっぱり私」
か細い声で言う奈緒を、目をパッと開けた中島が見る。
続々と入ってくる観客の賑やかな声が響き渡り、二人の間に沈黙の時間が流れる。
刻々と、開演時間に迫っていた。
さっきまでいた数名の観客も、もう既に自分の席に着き、今は二人っきりだけだった。
いつの間にか雨が降り出していた。
張り巡らされたガラスに、雨だれが垂れて行くのを中島はぼんやりと眺める。
「あの、中島さん。今日までいろいろお気使いありがとうございました。私もあれからいろいろ考えました。だけど、やっぱりこの子は私一人で育てていこうと思います。その方が、歩にとってもいいことじゃないかと思うんです」
「本気で思っていますか」
そう聞かれ、奈緒は俯いてしまう。
中島に見せてもらった稽古をしている歩の姿が、目に焼き付いていた。
「これだけ頼んでも無理ですか」
ポツリと言う中島を、奈緒は見つめ頷く。
疲れた表情を見せた中島は。ソファーにもたれ掛り腕組む。
そして、ポツリポツリと、二人の高校時代を話し始めた中島の目に、薄っすらと涙が浮かぶ。
友情以上のものを感じてしまっている、自分に気が付いてしまったと話す中島は、苦しそうに目を天井にあげる。
どんな思いで、歩を支えて来たのか痛いほど伝わってくる。
「……俺じゃダメなんだ。あいつをあいつのままでいさせてやれるのは」
奈緒がじっと中島を見詰める。
それは、奈緒も同じこと。
戸惑いを隠せないまま、涙に噎せる中島に奈緒は微笑む。
「この先、どうなってしまうのか分からない。だけど、俺等は待つつもりだから。そん時まで、あんたに歩、預けます」
開始ブザーが鳴り、立ち際にそう言われ、奈緒は頷く。




