2450年4月3日 GMT 09:00 ヴィクター・ハーグレイブ統治監察官
2450年3月8日 JST 12:00
沖縄、旧キャンプ・シュワブの地下施設では、重苦しい空気が漂っていた。
「ランデル少佐、君は昇進だ」
「はっ!」
突然告げられた昇進に、ルシアンは淡々と事務的に拝命した。
つい1か月ほど前の作戦だったというのに、随分と長い時間が経ったように思えた。
RAVEN-9もIRON WOLFのメンバーも、残ったのはたった一人。
何もできなかった。
心の中では、完全な負け戦だった。
自分だけが生き残り、その結果が昇進。
いったい何の功績があったというのだろうか。
「君が持ち帰ったデータによってレジスタンスとの連携は、上手くいっている。我々はこれから大攻勢に出る。君も雪辱を果たしたいであろう。希望があれば参加を認めると、上層部からの意向も受けている」
「参加を希望いたします。仲間の無念を果たしたいと思います」
「作戦開始まで、一旦休暇を与えよう。一旦帰国して英気を養ってくれ。君の古巣で待っていてくれたまえ。また追って命令が発せられるだろう」
ルシアンは何も言わず上官に敬礼し、部屋から出ようとした。
その背中に、上官の声が飛んだ。
「ルシアン君、部隊のことは非常に残念だった。君も思うところはあるだろうが、今回の件は口外無用だ」
ルシアンの脳裏に、あの一瞬の光景が蘇った。
大気圏外から飛来した天箭(Tianjian)が、地上へ叩き込まれた……あれが質量攻撃だったことは間違いない。
だが、あのような兵器が存在するとは聞いていなかった。
おそらく上層部は何かを知っているが、その存在自体を公にするには都合が悪いのだろう。
質量兵器だとすれば、大気圏突入時の発光から着弾まで、おそらく1秒前後。
人為的にあの速度まで加速させたのであれば、減速分を含めても秒速100kmをはるかに超える速度が必要になる。
そんな速度を、化学ロケット推進で実現できるはずがない。
ならば、考えられるのは一つ、タイタンが開発した空間圧縮と空間膨張を利用する技術。
SCD――Spatial Compression Drive、あの天箭は、そのSCDを利用した質量兵器だったと考えるのが妥当だ。
その技術が実際に利用された……その事実だけは、口が裂けても上層部は認めるわけにはいかないのだろう。
2450年4月3日 GMT 09:00
テキサス、フォートブリス基地。
ルシアンは、部屋の隅に置かれた椅子に座り、苛立ちを隠そうともせずに腕を組んでいた。
かつての仲間だった地上メンバーは、誰一人として残っていなかった。どこへ行ったのかと色々な人間に尋ねても、返ってくるのは「知らない」という言葉だけだった。作戦に参加した新型ステルス輸送機も、基地のどこを探しても見つからない。
まるで、最初からそんな部隊も航空機も存在しなかったかのように、すべてが消されている。
ルシアンは、その事実に激しい怒りを覚えていた。
軍人である以上、命令に従うしかないことは理解している。それでも、胸の奥には一つの疑念が残っていた。
自分たちは、いや、仲間たちは――見殺しにされたのではないか。
そんな考えが、日を追うごとに頭から離れなくなっていた。
基地の外では、ルシアンが知らないうちに世界そのものが変わり始めていた。
つい最近まで、各地では市民による抗議活動が続いていた。政府や軍、AIに対する不満を訴える人々が街に溢れていたのだ。
しかし、ここ1か月ほどで、その人々さえ街から消えていった。
理由は単純だった。
各国で大量の餓死者が発生し始めたのである。
AIによって維持されていた物流や食料生産が崩れ、備蓄も底をつき始めていた。
米国も例外ではなく、人々は抗議活動よりも、その日の食料を手に入れることを優先せざるを得なくなっていた。
AIから切り離された生活への移行は、すでに始まっている。
その影響は都市そのものにも及び始めていた。人がいなくなった都市から徐々に生活基盤が失われ、放棄される街が現れ始めている。
そんな状況の中、ルシアンには何の説明もないまま、ただ次の命令を待つことだけが求められていた。
そのとき、部屋の扉が開き、新任の上司が入ってきた。
ルシアンは反射的に立ち上がると、何も言わずに敬礼した。
上司が軽く手を上げ、それに応える。
そのすぐ後ろから入ってきた人物を見て、ルシアンはわずかに眉を動かした。
小綺麗なスーツを着た、年齢の読みにくい男だった。
軍人ではない。それどころか、この基地にいる人間とは明らかに雰囲気が違っていた。
男はルシアンを見ると、まるで以前から知っているかのような口調で言った。
「ルシアン君だね。楽にしたまえ」
そう言うと、男はルシアンの向かいにある椅子へ、どかっと腰を下ろした。
ルシアンもゆっくりと腰を下ろす。
「紹介しておこう。こちらはヴィクター・ハーグレイブ統治監察官だ」
上司から名前を告げられ、ルシアンは男の顔を見た。
統治監察官。
たしか、タイタンに認められた地球側の代表であり、肩書だけの大統領とは違って、実質的にこの国の運営を司る立場の人間であることは、政治などに興味のないルシアンでも知っていた。
上院も下院もはるか昔に消滅した現在のアメリカでは、かつてのような政治家は存在しない。大統領は今も置かれているものの、その役割はすでに限定されており、実際の国家運営は少人数の統治機関によって行われている。
その中でハーグレイブは、統治機関だけではなく、軍や行政組織にまで及ぶ監察権限を持つ人物だという。
ルシアンは、目の前の男を見つめた。
なぜ自分のような一兵士に近い人間と、わざわざ直接会う必要があるのか。
そんな疑問が、頭の中をよぎった。
ヴィクター監察官は、にこやかな笑みを浮かべたままルシアンに話しかけた。
「少佐……いや、大佐に昇進したんだったな。大変だったと聞いている。本当によく帰ってきてくれた」
その言葉を聞きながら、ルシアンは何も答えずに男の顔を見つめていた。
こいつは、おそらく全部知っている。
自分たちが何に襲われ、どうやって部隊が壊滅したのか。その詳細まで知っているのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
「今回のことは申し訳なかった。鸿蒙AGIの動きがあまりにも早く、対応が後手に回ってしまったのだ」
その言葉に、ルシアンの表情がこわばった。
怒りが込み上げる。
目の前の男を殴り飛ばしたい衝動を必死に抑え込み、ルシアンはゆっくりと口を開いた。
「私は、いや……我々はSCDを利用した質量兵器を受けて全滅しました」
部屋の空気がわずかに変わった。
「奴らは、タイタンしか持っていないはずの新型兵器を所有しています」
ヴィクター監察官の笑みが、一瞬だけ消えた。
ほんのわずかな変化だったが、ルシアンは見逃さなかった。
次の瞬間には、何事もなかったかのように元の笑顔へ戻っている。
「我々も現在、調査中なのだ。君がもたらしてくれた貴重な――」
「リバモア核融合発電施設の破壊で使用されたものと、同一です」
ルシアンの言葉に、ヴィクター監察官の隣に立っていた新任の上官が声を荒らげた。
「ランデル大佐、いい加減にしたまえ! 余計な発言は君のためにもならんぞ!」
張り詰めた空気が、一気に重くなる。
だが、ヴィクター監察官は慌てる様子もなく片手を上げた。
「まあまあ」
それだけで、上官は口を閉ざした。
ヴィクターは再びルシアンへ向き直る。
その表情には、先ほどまでと変わらない穏やかな笑みが浮かんでいた。
「ルシアン君、我々も苦しい立場なのだ。全世界で、今この瞬間にも大勢の人々が苦しんでいる。もちろん、君を助けてくれた中国の人々もだ」
ルシアンは黙って聞いていた。
「我々の敵は鸿蒙AGIなのだ。それに対して、タイタンも我々も全力で対応に当たっている。そのことを、ぜひ理解してほしいのだ」
穏やかな口調だった。
まるで、ルシアンを責めるつもりなどないかのように。
だが、その言葉を聞いても、ルシアンの胸に渦巻く疑念は消えなかった。
むしろ、目の前の男が何かを隠しているという感覚だけが、はっきりと残った。
「ルシアン君。鸿蒙AGIに対抗するため、我々は新しい部隊を準備している」
ヴィクターは穏やかな口調でそう告げた。その表情には、これから話す内容が極めて重大なものであることを感じさせるものはない。まるで、これから新しい任務を説明するだけのようだった。
「君に参加するか、しないかを聞く前に、一つだけ条件がある」
ヴィクターはそこで言葉を切り、ルシアンを見つめた。
「参加する場合、我々が編成しようとしている部隊と、その作戦について、一切口外することは許されない」
「……一切、ですか」
「そうだ」
ヴィクターの返事は即答だった。
「これは通常の軍事機密とは違う。君が参加を決めた時点で、これまで知らされていなかった情報を知ることになる。その情報を、いかなる理由があろうとも外部へ漏らしてはならない。約束が守られなかった場合、大変厳しい結果となることを覚悟してほしい」
ルシアンは、脅しとも取れる言葉を淡々と発する男を見つめた。
ヴィクターの口調には怒気も威圧感もない。ただ事実を説明しているだけだった。
「もちろん、今なら断ることができる。参加しなければ、君がその情報を知ることもない」
ヴィクターはそう言って、再び穏やかな表情を浮かべた。
「だが、一度参加を決めれば後戻りは許されない」
その言葉だけは、妙に重かった。
「すでにタイタン側とも同意を取り付けている。作戦も立案中だ。それほど我々は追い詰められているのだ」
ヴィクターはルシアンの目を見たまま、最後に静かに告げた。
「すべてを覚悟して受けるのか、それとも、ここで断るのか。決めてくれたまえ」




