2450年3月4日 GMT 12:00 タイタン介入
2450年2月1日 JST 12:00
レジスタンスの拠点は、もはや基地と呼べるような場所ではなかった。物資も武器も不足しており、集まっている人間の多くは軍人ですらない。家族を失い、それでも戦うことを選んだ者たちだった。そんな場所で、アメリカ軍の救援を待ち続けることができるほど、状況は甘くなかった。
「約束しよう。今の窮状を必ず母国へ伝える」
「私たちと連絡する方法と情報をまとめた。これも持って行ってくれ」
レジスタンスのリーダーは、一つのメモリーカードと、机の上に広げた紙の地図を指差した。
「四川。そのあと雲南。そこからベトナムへ入るルートなら、私たちが案内できる」
「ベトナム……ハノイか」
男が頷く。
「そこまで行けば、何かしら外と連絡が取れる可能性があります」
可能性――その言葉を聞いて、ルシアンは苦笑した。
アメリカとの通信はすでに途絶え、衛星通信も使えない。中国国内の通信網は鸿蒙AGIの支配下にあり、今回の作戦が待ち伏せされていたことからも、軍用回線でさえ安全ではないことは明らかだった。
今、レジスタンスが使っているのは、古い無線機を中心に構築された独自の通信網だった。短波無線、業務用無線、個人所有の無線機。中継地点には、廃棄された施設や山間部に設置された簡易アンテナを利用していた。
アメリカも、日本も、ヨーロッパも、誰とも連絡が取れない。こちらから呼びかけても応答がないという。
ルシアンはしばらく黙っていた。そして地図を折り畳むと、男に返した。
「分かった。行こう」
アメリカ軍が助けに来る。
そう信じて戦っている人間たちを、この場所に残していくことに迷いがなかったわけではない。
それでも、今の自分にはここで戦い続けることよりも、生きて外へ出ることのほうが重要だった。
ハノイまで辿り着けば、米軍との通信を取り戻せるかもしれない。そしてその先に、まだ人類が戦うための何かが残っているかもしれなかった。
2450年2月19日 JST 07:30
車の揺れに身を任せているうちに、ルシアンはいつの間にか眠っていた。
夢の中に、両親がいた。
何を話していたのかは覚えていない。ただ、成績の悪かった自分を見る両親の目だけは、今でもはっきりと覚えていた。
優秀だった両親から軽蔑されている。子供のころから、ずっとそう感じていた。
何をやっても上手くいかない。教育課程の成績はいつも悪く、周囲からは落ちこぼれと呼ばれていた。そんな現実から逃げるように、ルシアンはゲームの世界に入り浸った。
特に戦争を題材にしたゲームが好きだった。
ゲームの中では、誰にも馬鹿にされなかった。自分の判断がそのまま結果になり、勝てば誰よりも上に行ける。
現実では何もできない自分が、ゲームの世界では誰にも負けなかった。
気がつけば、教育課程を終えるのも人より何年も遅れていた。
それでも、どうでもよかった。
現実の自分には何も期待していなかったし、両親もまた、自分に興味がなかったのだ。
そんな夢の中に、突然、別の顔が現れた。
IRON WOLFの隊長だった。
「お前さん、銃を撃ちたいんだろ?」
隊長は笑っていた。
「だったら、駆け足で10周して来い」
夢の中のルシアンは、当時と同じように嫌そうな顔をした。それでも隊長は笑っていた。
「ほら、さっさと行け」
そこで、ルシアンは目を覚ました。
車は四川の郊外を走っていた。
窓の外まだ暗かったが、夜明けのうっすらとした明るさに照らされて、焼け焦げた大地が広がっている。少し先では、積み上げられた人の遺体が燃やされていた。
黒い煙が空へと立ち上り、風に流されていく。
ルシアンは、しばらく何も言わずにその光景を見ていた。
軍に入ったころ、精神負荷をかけるための訓練用VRで、似たような光景は何度も見た。
死体も、炎も、焼け落ちた街も、戦場に慣れるためのVRの中では珍しいものではなかった。
だから、目を背けることもなかった。
だが、ふと先ほどの夢を思い出した。隊長の笑った顔が浮かぶ。
「駆け足で10周して来い」
あの頃は、ただ面倒なだけだった。
それでも、あの隊長は自分を見てくれていたのだ。落ちこぼれだった自分を、笑いながら引っ張り上げてくれた。
もう、あの人はいない。
そう思った瞬間、胸の奥が締め付けられた。
ルシアンは慌てて顔を伏せた。
涙が頬を伝っていた。
「……くそっ」
何に対する涙なのか、自分でも分からなかった。
ゲームで負けたときとは、まるで違う悔しさだった。
2450年2月25日 JST 18:00
雲南省を抜け、ルシアンたちはソンホン川沿いの道を南下していた。
周囲から人家もなくなったころ、上空から小型ドローンの飛行音が聞こえてきた。レジスタンスが気づいたときには、すでに遅かった。
ドローンから銃弾が降り注ぎ、車両の周囲に土煙が上がる。身を隠す場所を探す暇もなく、一人、また一人と仲間が倒れていった。
ルシアンも岩陰に身を伏せ、必死に反撃を試みたが、相手は人間ではない。こちらの動きを予測するように位置を変えながら、正確に銃弾を撃ち込んでくる。
周囲を見渡すと、生き残っているのはルシアンと、IRON WOLFで最後まで共に戦った仲間の一人だけだった。
男は腹を撃ち抜かれていた。
それでも立ち上がると、銃を乱射しながら首から下げていた軍用タグを外し、ルシアンに差し出した。
「これを持っていけ。俺はもう助からない」
そして、必死の形相で続けた。
「隊長の敵を取りたかったんだけどな……お前に譲るわ。早く行け」
その場で固まるルシアンを、男は蹴り飛ばした。
そして、自らが囮になるように、わざとドローンから見える場所へ駆け出した。
ルシアンはそれを見て、とっさに山の中へ向けて駆け出した。
その直後、背後から再び銃声が響いた。
振り返らず、ただひたすら山の中を走り続けた。
どれだけ走ったのか分からない。ドローンの音が聞こえなくなったころには、足は限界に達していた。それでも立ち止まることはできなかった。
やがて、崩れかけた建物を見つけた。
身を隠せる。
そう思って中へ入った瞬間、暗闇から銃口を向けられた。
抵抗する間もなく拘束され、ルシアンは建物の奥へと連れて行かれた。
そこには十数人の男たちが集まっていた。軍人ではない。服装も武器も統一されておらず、この地域で生き残っている武装集団のようだった。
しばらくして、その中から英語を話せる男が現れた。
「お前たちが敵を連れてきたせいで、こっちにも犠牲が出た。外国人がこんな所で一体何をしている!」
男は激しく怒っていた。
ルシアンは反論しなかった。自分たちを追ってきたドローンによって、この集団にも被害が出たのだろう。
仕方なく、ここまでの経緯を話した。
アメリカ軍に所属していたこと。中国へ侵入したが、作戦が失敗したこと。そして、レジスタンスと行動していたこと。
最後に、自分の名前を告げた瞬間、男の表情が変わった。
「……ランデル? お前、あのランデルか?」
ルシアンは怪訝そうに男を見る。
「何の話だ?」
男はしばらくルシアンの顔を見つめたあと、突然笑い出した。
「WORLD FRONTのRandelか? 俺はHa0だ。ゲームキングが何で軍人ごっこやってる?」
ルシアンは、そこでようやく男の顔を見直した。
「……お前、Ha0? エイチ・エー・ゼロ?」
「やっと思い出したか。お前の声を聞いたことがあると思ったんだ。まさか、こんなガキだとは思わなかったぞ」
陳浩――HN、Ha0。
かつては世界中のプレイヤーに知られていた、戦争ゲームのランキング上位者だった。
世界が崩壊した今、まさかこんな場所で再会するとは、2人とも思っていなかった。
しばらくの間、昔のゲームの話が続いた。
ランキングを競ったこと。互いの戦術を研究したこと。何度も対戦し、そのたびに勝った負けたと騒いでいたこと。ゲームの腕を買われて軍に入ったことで、ゲームを引退したことなど。
その時間だけは、2人とも今の世界の悲惨さを忘れていた。
だが、やがて陳浩の表情から笑みが消えた。
ルシアンがここまで何をしてきたのかを話したことで、陳浩もまた、この数か月の間に起きたことを話し始めた。
そしてルシアンは、ここで初めて知ることになる。
2450年2月14日
鸿蒙AGIがSpaceMind Networkを掌握し、それによって、連合国側は事実上の完全敗北を迎えていた。
地球上のロボットやインフラは、一部を除いて停止するか、制御不能に陥っていた。
「もう、ゲームどころの騒ぎじゃねぇ。街の方じゃ、大量の餓死者が出ている」
「知っている。俺たちも道中で何度も襲われた。ひどい有様だった」
ルシアンがそう答えると、陳浩はしばらく黙っていた。
そして、ふと口元を歪めた。
「ところで、お前。アメリカ軍に戻るつもりなのか?」
「戻れるならな。通信手段がない」
それを聞いた陳浩は立ち上がると、部屋の隅に置かれていた古い無線機の前まで歩いていった。
「俺たちは、この数か月ずっとこれで外と繋がってる」
ルシアンは思わず無線機を見つめた。
「米軍と連絡が取れるのか?」
「取れる。正確には、向こうからの通信を拾ってるだけだけどな」
陳浩は笑った。
「ゲーマーなめんな」
かつて世界中のプレイヤーを相手に、わずかな情報から敵の位置を推測し、通信状況を読み、戦場全体を把握していた男だった。
ゲームの世界では、それが勝敗を分けた。
そして今、その知識が現実の戦場で2人を生かしていた。
陳浩が無線機の電源を入れる。
しばらくノイズだけが部屋に響いた。
やがて、微かな音声が混じった。
英語だった。
ルシアンは思わず身を乗り出した。
「……米軍だ」
その声を聞いた瞬間、3か月以上もの間、張り詰めていたルシアンの表情が初めて崩れた。
「ハオ、レジスタンスから情報を預かっているんだが、どうにかして送ることはできないか?」
ルシアンは、レジスタンスから託されたメモリーカードを陳浩に手渡した。
「中国にレジスタンスがいることは聞いている。だが、俺たちはろくでもない連中だからな。国のためとか、世界のためとか、そんなことはどうだっていい」
陳浩はメモリーカードを受け取ると、中身を確認した。
そこに記録されていた情報を一通り確認すると、表情が少し変わった。これがそのまま外部に流出すれば、中国国内で活動しているレジスタンスが危険にさらされる。
ルシアンが暗号化できないか尋ねると、陳浩は首を横に振った。
鸿蒙AGIが世界中の通信を監視している状況で、わざわざ暗号化されたデータを送れば、それだけで警戒される。どれだけ高度な暗号を使ったところで、通信そのものが「重要な何か」を送っていると判断されれば意味がない。
だからこそ、陳浩は別の方法を考えた。
「暗号にするんじゃない。堂々と送る。軍のお問い合わせ窓口くらいはあるだろ?」
そう言うと、陳浩は小さな携帯端末を取り出して検索を始めた。
「フォート・ブリス、テキサス……アイアンウルフ……っと」
「一応、極秘部隊なんだが、それで見つかるのか?」
「細かいことは気にするな」
陳浩は検索結果を眺めながら、さらに調べていく。
やがて、軍関係者向けの問い合わせ先らしき連絡先を見つけた。
「一応、送れるな」
「本当に大丈夫なのか?」
「何度も使える手じゃないがな。AGIはある意味、バカなんだよ」
陳浩はそう言って笑った。
「一般の人間が送るSMSまで、全部監視しているわけじゃない。怪しい通信を探すなら、暗号化されたデータや特殊な通信を優先する。だったら、普通の人間が送る、どうでもいいメッセージにすればいい」
陳浩はルシアンから受け取った情報を確認しながら、文章を作り始めた。
1時間は作業しただろうか。ルシアンは自分の所属や作戦の詳細など、何度か極秘の情報を聞かれて答えた。
その間、陳浩は携帯端末の画面に映った手紙の画像へ何かを細工するような作業を続けていた。
やがて、陳浩は画面をルシアンに見せた。
そこには、こんな文章が表示されていた。
『おばぁちゃんからのお手紙を送ります。珍しく紙で書くのは久しぶりだと言っていました』
ルシアンは画面を見つめた。
「……何だこれ?」
「おばぁちゃんからのお手紙だ」
「いや、それは分かるが……」
陳浩は楽しそうに笑った。
「判るやつなら判る。米軍の中にも、これを見て意味を理解する変なやつくらいいるだろ」
「……本当に?」
陳浩はSMSの送信ボタンを押した。
「ゲーマーはこういうのが好きなんだよ」
ルシアンは、送信済みになった画面を見ながら思った。
自分が命懸けで持ち帰ったメモリーカードの情報は、ただのSMSに紛れ込ませて送られることになる。
そして数時間後、携帯端末に返信が届いた。
『おばぁちゃんのお手紙、確かに受け取りました。大切に保管します』
陳浩が笑った。
「ほらな」
ルシアンは頭を抱えた。
「……本当にこれでいいのかよ」
「いいんだよ。人間同士ならな」
気が付くと、外は暗くなっていた。
「色々あっただろう。何日かはゆっくりしていけ。それから、脱出用にバイクを用意してやるよ。乗ったことはあるよな?」
「あぁ。ゲームなら」
2450年3月4日 GMT 12:00
ルシアンがベトナムで米軍にピックアップされた同日、タイタンが地球圏への介入を正式に宣言した。
タイタンは同時に、SpaceMind Networkの奪取を開始。激しいネットワーク戦が繰り広げられることになった。
その過程で、青海省で50キロトン級の水爆が作成されているとの未確認情報がもたらされた。
さらに、ルシアンがもたらしたデータと、中国国内から得られた情報を総合した結果、
分散された鸿蒙AGIの主要基幹が、北京ではなく上海に存在することが発覚したのである。




