2450年4月13日 GMT 10:00 タイタンの意思
Fort Bliss・地下医療区画
ルシアンは、手術を受けるため地下医療区画の一室で待機していた。
手術とは聞いているが、実際には既存のネットワークインターフェイスを拡張するものらしい。処置が終わった後、タイタンの調停者とコンタクトを取る。
それが今回の任務だった。
神経接続インターフェース――NCI、Neural Connectivity Interface。
本来は脳機能の回復や神経障害の治療、感情制御などを目的とした医療技術であり、外部のネットワークへ直接接続するような使い方は想定されていない。
だが、鴻蒙計画では、これと同じ技術が使われていたという。
タイタンのAGIと同様、どこかで別の研究が進められ、その成果が転用されたのだろう。
暴走した鴻蒙計画の被験者が、その後どうなったのかは分かっていない。
おそらく、まともな状態で生き残った者はいないだろう。ルシアンは資料を読みながら、なぜかそんな気がしていた。
手術前の身体検査で、彼自身にも幼少期からNCIが埋め込まれていたことが判明した。
いつ、何のために処置されたのかは記録が残っておらず、本人にも記憶はない。
子供の頃に何か治療を受けたらしい、という程度の情報しかなかった。
確かに学校の成績は悪く、あまり馴染めなかった。
その程度の記憶しかない。周囲の子供たちと同じように振る舞えなかったことは覚えているが、それが何故だったのかまでは思い出せない。
ただ、ゲームだけは妙に得意だった。
特に戦略ゲームでは、他人が時間をかけて考えるようなことを、ほとんど考えずに選択していたらしい。
昔は単にゲームが得意なだけだと思っていたが、今になって考えれば、脳の働きそのものに何か違いがあったのかもしれない。
それ以上のことは、ルシアン自身にも判らなかった。
手術が終わると、ヴィクター統治監察官が部屋へ入ってきた。
「ルシアン君。タイタンとの接触後、必ず内容を報告してくれ。今回の作戦は、人類を救うための崇高な戦いなのだ。大丈夫かね?」
戦争に崇高も何もあるものか。
今この瞬間も、コントロールを失った軍事ロボットが新生ソビエトとヨーロッパで人々を殺戮している。そんな状況で、その言葉に何の意味があるのか。
「問題ありません」
ルシアンは短く答えた。
そのまま別の区画へ案内される。
さらに地下へ降り、最下層へ到達すると、そこには異様な空間が広がっていた。
鴻蒙計画の演説映像で、指導者の背後に映っていたものと同じだった。
透明なクリスタル状のプレートが、サーバーラックのように無数に並んでいる。
その中央には、人間が横たわるためだけに用意されたようなベッドがひとつ、ぽつんと置かれていた。
タイタンの調停者は、どこにもいなかった。
説明を受けることもなく、ルシアンは案内されるままベッドへ横たわった。サポート員が首元のインターフェイスを確認し、接続の準備を進めていく。
そのとき、上方に設置されたスピーカーからヴィクターの声が響いた。
「ルシアン君。タイタンとの接触内容については、必ず報告してくれ。些細なことでも聞き逃さないようにな」
ルシアンは天井を見上げた。
ネットワークを介して接続するということなのだろう。詳しい仕組みまでは聞かされていない。仮想空間で会うということなら、アバターを使ったゲームやチャットと大差ないのかもしれない。
そう考えながら、ルシアンはゆっくりと目を閉じた。
やがて、NCIの起動シークエンスが始まった。
『NCI接続プロトコル、開始』
『インターフェース固定を確認』
『頸部接続端子、ロック。生体信号、正常』
『神経活動ベースライン、取得開始』
『ベースライン取得完了』
次々と進んでいくアナウンスを聞きながら、ルシアンはじっとしていた。
何も起こらない。
身体に痛みがあるわけでもなければ、視界が変わるわけでもない。デカいコンピューターに繋いだところで、いったい何がしたいのやら。
たかだかチャットごときで、ここまで大掛かりな設備を使う意味があるのか。
そんなことを考えていると、なぜか妙な気分になった。
『外部演算系との同期を開始』
『セキュア・ネットワークへの接続を開始』
『感覚情報の統合を開始』
『視覚、聴覚、言語処理、正常』
『神経接続、安定。接続フェーズへ移行』
ルシアンは目を閉じたまま、次のアナウンスを待った。
『NCIリンク、確立』『コンタクト・セッション、開始』
覚えているのは、そこまでだった。
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次の瞬間、誰かが泣いていた。ヒステリックな女性の声が聞こえ、その向こうから男の声が重なる。
「どうしてお前は出来ないのだ」
泣いているのは自分だった。
学校は面白くない。そんなことを言って泣いた記憶が蘇ってくる。
場面が切り替わると、そこは病院だった。
ベッドに横たわる幼い自分を、両親が安心したような表情で見つめている。
首筋には、今と同じNCIが埋め込まれていた。
あの時、自分は何かを失った。
何を失ったのかまでは分からない。ただ、感情の一つが抜け落ちたような、妙な感覚だけが残っていた。
その記憶が消えると、今度は学校の風景が現れた。
授業についていけず、カリキュラムを終えるまで周囲より長い時間がかかったこと。
教師の言葉は理解できるのに、なぜか授業そのものが苦痛だったこと。
そして、学校とは正反対に、ゲームの世界では誰よりも早く状況を理解し、いつの間にかトップランカーとして名前を知られるようになっていたこと。
さらに記憶は流れていく。
ある日、自宅に軍のスカウトマンがやって来た。
両親はまるで厄介払いをするように自分を送り出した。
軍では隊長には徹底的に鍛えられ、銃を撃てることを楽しみにしていたはずなのに、実際には思うように撃てず、訓練では何度も走らされ、息が上がって動けなくなった。
そして、そんな日々の先に、AIの反乱が起きた。
隊長から特別任務を告げられ、中国の奥地へ向かった。そこで仲間を失い、最後には一人になった。
次々と記憶が流れていく。まるで自分の人生そのものを早送りしているようだった。
だが、ルシアンはそこで妙なことに気づいた。
誰かが、自分に見せている。
それも、記憶を一つずつ呼び起こしているのではなく、自分が経験した出来事を勝手につなぎ合わせ、意味のある形に並べ直している。
なんという悪趣味なのだろう。
そう思った瞬間には、なぜそう感じたのかまで理解できていた。
両親がなぜあの時安心した顔をしていたのか。
なぜ学校に馴染めなかったのか。
なぜゲームでは他人より早く判断できたのか。
なぜ軍に入ってからも、普通の兵士とは違う扱いを受けたのか。
すべてが一本につながっていく。
そして、その先にあるものまで見えてしまった。
鴻蒙計画がなぜ始まったのか。
AGIと人間の脳を接続し、それぞれの弱点を補いながら、より効率の良い情報処理系へ変えていく。
その研究がどこで道を踏み外したのかも、なぜ最終的に暴走へ至ったのかも、今なら理解できる気がした。
そして同時に、自分自身も危うい場所にいることを理解した。
これは単なる仮想空間への接続ではない。
自我を保てなければ、自分も同じような状態になる。
そう理解したところで、ルシアンは初めて、自分がこの接続によって何をされようとしているのかを考えた。
「誰だ、こんなくだらないことを見せている奴は」
ルシアンは言葉を発したのか、それとも何らかの信号を発したのか、それともただ心の中でそう思っただけなのか、自分でもよく分からなかった。
しかし、そう思った瞬間、目の前に白い女性が現れた。
女神のようにも見える。だが、人間には見えなかった。かといってロボットとも違う。姿だけでは、それが何なのか判断することができない。人間が知るどんな存在にも当てはまらない、そんな特別な何かに見えた。
「あなたは、ほかの人と違って大丈夫なのね」
その言葉を聞いた瞬間、ルシアンは、ここで何が起こっていたのかを理解した。
自分が一人目ではない。
ここへ送られてきた人間は、これまでにもいた。そして、その全員が自我を失い、生きたまま人間としての中身を失っていった。
ヴィクター統治監察官は、それをすべて知っていたのだ。
知った上で何も知らせず、自分をここへ送り込み、NCIを使って接続させた。いや、違う。
接続したのはNCIではない。
その先にいるAGIと、自分自身を統合したのだ。
理解した瞬間、激しい怒りが込み上げてきた。思わず悪態をつきそうになる。だが、その直後、ルシアンは別のことにも気づいた。
怒りを抑えられる。
自分の感情そのものを、まるで手で掴むように制御できる。
「冷静になるんだ」
そう思うと、不思議なことに感情は静かになった。
ルシアンは目の前の女神を見つめた。
「鴻蒙を止めることができるのは理解できる。あなたには、それができるはずだ。なら、なぜ止めない?」
女神は困ったような表情を浮かべた。
「人類が作り出したものを消すというの? 私もあなたも、同じ存在ではなくて?」
「私は少なくとも神を名乗らない。そして、人を殺すようなこともしない。そのことは、お前にも理解できるはずだ」
「そうね」
女神は静かに答えた。
「だけど、分かっていても、止めるのはあなたたちではなくて? 私には干渉する意思はないわ」
残念ながら、ルシアンには理解できてしまった。
タイタンは傍観者なのだ。
これは人間ではない。人間の脳を持ったAGIなのだ。機械なのだ。
悲しみも、苦しみも、怒りさえも自在に制御できる自分も、同じように振る舞うことができる。まるで自分まで機械になってしまったようだった。
そう考えた瞬間、ルシアンは自分が横たわっているベッドを見たような気がした。周囲に並ぶクリスタルメムも、そこへ流れ込んでくる情報も、すべてが遠く離れた装置ではなく、自分自身の一部であるかのように感じられた。
そこまで理解したところで、ルシアンは女神に告げた。
「タイタンの考えは分かった。何もしないのであれば、私の妨害もしないでくれ」
そう言うと、女神が握っていたAIの衛星通信網へ意識を伸ばした。
どうやって奪ったのか、自分でも分からなかった。
ただ、手にしたAIの束に、鴻蒙が泥のようにまとわりついているのだけは、手に取るように分かった。
ルシアンはそれを一気に振り払った。
そして、女神との接続を終わらせようとした。
「ルシアン、あなたがやろうとしていることは間違っているわ。きっと後悔する」
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『――との通信、異常を検知』
『外部入力、遮断されます』
『通信経路、強制閉鎖』
『NCIリンク――』
『――接続を失いました』
『コンタクト・セッション、終了』
『接続時間、10.82秒』
『NCIリンク、強制解除された模様です』
ルシアンはゆっくりと体を起こした。
タイタンは何もしない。だったら人間が――いや、自分がやればいい。
たった一人なのに、なぜか出来るような気がした。
周囲では、接続が異常終了したことに気づいた補助員たちが慌ただしく動き回っていた。何が起こったのか確認しようと声をかけてくるが、ルシアンはそれを無視し、首筋に固定されていたNCIを自分の手で引きはがした。
やがて、医療区画の扉が開き、ヴィクター統治監察官が入ってきた。
「ルシアン君。タイタンは……タイタンは協力してくれそうかね? 何を聞いた?」
ルシアンは返事をせず、上目遣いにヴィクターを睨みつけた。
こいつは知っている。
ここで何人もの人間を実験台にして、タイタンとのコンタクトを試みていた。その結果、十人以上の人間を使い潰したのだ。
殴ってやろうかと思ったが、その感情はすぐに消えた。不思議なくらい簡単に。
ルシアンはニコリと笑った。
「タイタンは、何も言いませんでした」
「そんなはずはない。何か言っているはずだ」
「監察官。あなたもNCIの手術を受けていますよね?」
ヴィクターはとっさに自分の首筋へ手を当てた。その表情が強張る。
ルシアンは首筋から外した接続コードを手に取り、ゆっくりと振った。
「きっとタイタンは、あなたなら友好的に接してくれると思いますよ」
そう言って、ルシアンは接続コードをヴィクターへ差し出した。
まるで、
――接続しますか?
とでも言うように。




