第6話「日常の終わり」
学園祭を明日に控えた夕暮れ時。
空は血のように赤く染まり、長く伸びた影がグラウンドの土を黒く塗りつぶしていた。
生徒たちの活気ある声が校舎のあちこちから響き渡り、祭りの前の特有の浮ついた空気が学園全体を包み込んでいる。
レオンは中庭の片隅で、段ボール箱に詰められた紙細工の花を数える作業を押し付けられていた。
「57、58……」
単調な作業の繰り返しに、思考がゆっくりとまどろみへと落ちていく。
セリアやガイルは別の場所で買い出しや立て看板の設置に追われており、ここにはレオン以外の人影はなかった。
平穏で退屈な時間がただ過ぎていくことに、彼は安堵にも似たため息を漏らす。
その直後、足元の地面が爆発したかのように跳ね上がった。
耳をつんざく轟音が空から降り注ぎ、空気を物理的に叩きつけるようなすさまじい衝撃波が中庭を駆け抜ける。
レオンは咄嗟に姿勢を低くし、飛んできた木の破片を左手で弾き落とした。
上空を見上げると、学園を外界から隔てていた強固な魔力結界が、巨大な氷の塊が砕け散るように無数の光の破片となって降り注いでいた。
夕焼けの空に、黒い穴がぽっかりと空いている。
「結界が、外部から物理的に破られただと……」
信じられない光景に、レオンの目が細められる。
特務高等学園の結界は、王宮の防衛陣にも匹敵する強度を持っているはずだ。
それを一撃で粉砕できる力など、個人の魔法使いが出せる領域を遥かに超えている。
けたたましい警報の鐘が鳴り響き、校舎の奥から生徒たちのパニックに陥った悲鳴が連鎖的に上がり始めた。
空の穴から、次々と黒い影が学園の敷地内へ降下してくる。
黒装束に身を包んだ数十人の武装集団。
そして、彼らに鎖で繋がれた異形の魔獣たちだ。
以前グラウンドに現れた土魔獣とは比較にならないほど凶悪な気を放ち、鋼鉄のような鱗に覆われたその獣たちは、着地と同時に鎖を引きちぎって暴れ始めた。
「散開しろ! 生徒たちを校舎内に退避させ、防衛線を構築するんだ」
遠くからリリスの張りのある声が響いた。
教師陣が即座に対応に動き、炎や雷の攻撃魔法が武装集団に向けて放たれる。
だが、敵は素早く散開し、魔法の威力を殺す特殊な防壁を展開して反撃を仕掛けていた。
連携の取れた動きと躊躇のない殺意は、彼らが熟練の暗殺者や傭兵であることを示している。
「きゃあああっ」
レオンの鼓膜が、すぐ近くで上がった甲高い悲鳴を拾い上げた。
視線を向けると、中庭の入り口付近で、装飾品を抱えた数人の生徒が巨大な魔獣に退路を塞がれているのが見えた。
四つ足のその魔獣は、全身がぬらぬらとした黒い甲殻に覆われ、口からは緑色の毒液を滴らせている。
「下がってろ」
横合いから凄まじい速度で飛び出してきたのはガイルだった。
彼は魔力で極限まで強化した拳を握りしめ、魔獣の横腹をめがけて渾身の一撃を叩き込む。
肉と甲殻が激突する鈍い音が響き、魔獣の巨体が大きく横に流された。
「今です! 早く逃げて」
セリアが金属製の杖を構えながら駆けつけ、生徒たちの背中を押して安全な方向へ誘導する。
彼女の指先から鋭い氷の矢が次々と放たれ、魔獣の目を的確に狙い撃った。
だが、氷の矢が魔獣の甲殻に触れた瞬間、パキンと乾いた音を立てて砕け散り、魔獣には傷一つ付かない。
「魔法が……反射されている」
セリアの顔色が一瞬で青ざめた。
彼女の魔法は王都でも屈指の威力を持つはずだ。
それが全く通用しない相手など、これまでの人生で遭遇したことがなかった。
ガイルの物理攻撃も、魔獣の表面を覆う粘液に威力を殺され、決定打には至っていない。
怒り狂った魔獣が長い尻尾を鞭のようにしならせ、ガイルの足を薙ぎ払う。
「ぐはっ」
姿勢を崩されたガイルが地面に転がり、魔獣の巨大な顎が彼の頭上へ迫る。
セリアが悲鳴を上げて前に出ようとするが、足の震えがそれを許さない。
圧倒的な暴力と死の恐怖が、彼らの心を完全に支配しようとしていた。
「……やれやれ。どこまで行っても面倒事が付きまとう星回りらしい」
深く、重いため息が戦場の喧騒を切り裂いて響いた。
声のした方へ視線を向けたセリアの瞳に、ゆっくりと歩みを進めるレオンの姿が映る。
彼は焦る様子もなく、散らばった紙細工の花を踏まないように器用に足を運びながら、腰の木刀をゆっくりと引き抜いていた。
「ガイル、頭を下げろ」
冷たく、感情の抜け落ちたその声に、ガイルは反射的に地面へ顔を伏せた。
直後、レオンの姿が中庭の景色からブレて消える。
セリアの目には、黒い線が一直線に魔獣の懐へ吸い込まれていくようにしか見えなかった。
風の唸りすら置き去りにする極限の歩法。
レオンの木刀が、下段から逆袈裟の軌道を描いて跳ね上がった。




