第5話「穏やかなノイズ」
防衛テストが終了を告げる銅鑼の音が鳴り止んだ後も、訓練施設には異様な熱気が燻っていた。
上級生たちの放つ高火力の魔法を、たった3人の新入生が完全に凌ぎ切ったのだ。
特に、魔法適性ゼロであるはずのレオンが、純粋な身体能力と木刀のひと振りで致命的な雷撃を逸らした光景は、生徒たちの常識を根本から揺るがしていた。
あの日を境に、レオンに向かう視線の質は劇的に変化した。
侮蔑や嘲笑は影を潜め、代わりに畏怖と強烈な好奇心が入り混じった眼差しが四六時中つきまとってくる。
「……本当に、面倒なことになった」
初夏の陽気が満ち始めた中庭の隅で、レオンは木の幹に背中を預けて空を仰いだ。
葉の間からこぼれる日差しが顔を刺すが、動く気力すら湧いてこない。
数日後に迫った学園祭の準備で、周囲の生徒たちは色とりどりの装飾品や木材を運びながら慌ただしく行き交っている。
彼らもまた、作業の合間にチラチラとレオンの方へ視線を送ってくるのが鬱陶しい。
「兄貴、こんなところでサボってちゃ駄目だぜ」
ドンと重い足音を響かせ、両腕に山積みの角材を抱えたガイルがやってきた。
彼は顔中を汗まみれにしながらも、屈託のない笑みを浮かべている。
あれだけ実力主義をひけらかし、他者を威圧していた男が、今やクラスの力仕事を進んで引き受ける気のいい大型犬のようにすっかり丸くなっていた。
「俺は実行委員じゃない。お前こそ、無理に荷物を抱えすぎて腰の回転が死んでいるぞ」
「うぐっ、やっぱりバレるか」
ガイルは角材を地面にドサリと下ろし、肩の筋肉をほぐすように腕を回した。
「でもよ、兄貴に言われた通りに重心を意識して歩くだけで、荷物の重さが半分くらいに感じるんだ」
魔法による筋力強化に頼りきりだった彼が、身体の構造そのものに目を向け始めたのは大きな進歩だと言える。
だが、その指導の成果が学園祭の準備という肉体労働に活かされている現状には、なんとも言えない滑稽さがあった。
「バルディアくん、ガイルくんの言う通りですよ」
透き通るような冷たい声が響き、セリアが記録用の羊皮紙の束を抱えて歩み寄ってきた。
彼女の銀糸のような髪が微風に揺れ、ほのかに甘い香水のような花の匂いが鼻先を掠める。
完璧な公爵令嬢としての振る舞いを崩さない彼女だが、レオンと接する時だけはわずかに肩の力が抜け、年相応の柔らかな表情を覗かせるようになっていた。
「クラスの代表として、あなたにも模擬店の飾り付けを手伝ってもらいます」
「俺は裏方で十分だ。目立つ場所に立つ気はない」
「そう言って、いつも美味しいところを持っていってしまうのはあなたではありませんか」
セリアは小さく唇を尖らせ、羊皮紙の角でレオンの肩を軽く小突いた。
以前の彼女なら絶対にしないであろう、親愛の情を含んだくだけた仕草だった。
クラスメイトたちも、学園の頂点に立つ公爵令嬢がレオンにだけ心を開いている事実を敏感に察知し、彼への扱いに戸惑いながらも敬意を払わざるを得なくなっている。
結果として、レオンの周囲には彼を慕う者たちが自然と集まり、彼が口を開けば誰もが静かに耳を傾けるという奇妙な生態系が完成しつつあった。
『前世では万年係長だったというのに、変なところで人望のパラメーターがバグっている』
レオンは内心で毒づきながらも、どこか心地よさを感じている自分に気づいて小さく息を吐いた。
彼らの真っ直ぐな向上心や、若者特有の不器用な情熱は、前世で擦り切れてしまった感情のひだを静かに撫でてくれる。
木刀を握る手に力を込め、立ち上がろうとしたその時だった。
肌を撫でていた柔らかな風が、唐突に生温かく湿ったものに変わった。
レオンは視線を鋭くし、学園の敷地を覆う透明な結界の天井へ目を向ける。
肉眼では見えないはずの魔力のドームが、陽炎のように不自然に歪んで見えた。
耳を澄ますと、遠くでガラスが軋むような、微かで不快な高音が連続して鳴っている。
「どうしたんだ、兄貴」
「……いや、気のせいならいいんだが」
ガイルの問いかけに曖昧に答えながら、レオンは周囲の空気に混じる異物感を探った。
遠くの渡り廊下を見ると、リリスがいつもくわえている煙草を指に挟んだまま、険しい表情で空を睨みつけているのが見えた。
彼女もまた、この平穏な風景の裏側でうごめく不穏なノイズを確実に感知している。
レオンは帯に差した木刀の柄を親指で軽く弾き、いつでも引き抜けるように位置を微調整した。
長く続いた凪の時間は、どうやら終わりを迎えようとしているらしい。




