第九話. 黒きメイドと黒衣の聖騎士
食堂でのひと悶着の後、わたしはシルフィに傷を診てもらった。
グラスをぶつけられた痕を見て、その腫れ具合からシルフィは一瞬顔を顰めたものの、手持ちのポーションを使って懸命にわたしの治療をしてくれたのである。
ひとしきり回復魔法で額の治療に努めた後、
「よかったぁ……これなら、傷が残ることもありません」
と、心底安堵した表情を浮かべたのだった。
そうして、夜も遅くなったため、わたしたちはそれぞれの部屋に戻ることとなった。
シルフィと別れ際に、彼女からポーション一式を持たされる。
「大丈夫だとは思いますけれど、もし傷が開いたり痛み出したりしたら、すぐに使ってください」
と、言われて渡されたのだった。
多少過保護な気がしたけれど、彼女の心配ようから無下に断るのも躊躇われたので、シルフィの厚意に甘えることにした。
「ありがとう、シルフィ」
「あの……テイル、大丈夫ですか?」
おずおずと、わたしを気遣って声をかけるシルフィの声。
大丈夫も何も、シルフィの治療のお蔭で、今や傷は跡形もなく消えている。
「? 大丈夫だけど。おかげで傷もすっかり治ったし。今は痛みもないから」
「いえ……そうじゃなくて」
シルフィは言い淀む。
彼女は言いにくそうに俯いていたが、意を決したように顔を上げた。
「今のテイル……とても落ち込んでいるように見えたので」
泣きそうなほどに心配して顔を覗き込んでいるシルフィの視線。
それを真正面から受けて、他ならないわたし自身がハッと気が付いた。
――そうか、わたし、そこまでハッキリと判るくらい落ち込んでいるのか、と。
わたしはふっとシルフィに微笑みを返した。
「うん、平気だから……。おやすみなさい、シルフィ」
――そうして、宿舎の自室へと戻る。
「ふぅ……」
息を吐いて、ベッドに腰を掛ける。
今日一日で、実にいろんなことがあった。
それらの疲れが、どっと押し寄せてきたような感じだ。
「ベッド、ふっかふかだ……」
太陽の光を十分に吸い込んだ寝具の感触に、心はほーっと明るむ。
わたしは自分の額をそっと手で抑えた。
シルフィのポーションと回復魔法のお蔭で、グラスをぶつけられた痕はすっかり完治している。
けれど、グラスをぶつけられた痛みと、浴びせられた憎しみの視線の重さは、今もまざまざと思い出せる。
――ドミニクの事を恨む気持ちは微塵もない。
わたしには、彼女の苦しみが痛いくらいに感じられたのだった。
異世界転生者に大切な人を奪われたというドミニクの過去。
それを聞いて、彼女がわたしに憎しみを向けたのは当然と思ってしまったのだ。
同時に――『セフィラの盾』が異世界転生者を放置できない理由も理解できた。
この世界の異世界転生者が、例外なく強大な力をもって生まれてくるのならば、この世界の住人にとっては、そんなのは野放しにできるはずもない。
異世界転生者の持つ強大な力が、いつ善良な人々に危害を加えるか分からないのだ。
もちろん、異世界転生者の全てが悪人というわけじゃない。
その力を上手く使えば、多くの人を幸せにすることができると思う。
けれど、それまでただの平凡な人として暮らしていた者が、いきなりそんな力をポンと渡されたとしても、はたして全員がその力を有効に扱えるだろうか。
例えるなら、全くの素人に原子力発電所の制御を委ねるようなものだ。
多くの人間はその力を使いきれずに持て余してしまうだろうし、中にはとんでもない悪人が私欲のためにその力を暴走させてしまうかもしれない。
常人離れした力を持って生まれた事、果たしてそれは罪なのだろうか――
それを考えると、与えられたこの部屋も、まるで虜囚に割り当てられた牢屋のように思えたのだった。
ぽふり、とわたしは自分の尻尾を動かす。
わたし自身、この尻尾の力を完全に使いこなすことはできないけれど、一つの盗賊団を易々と叩き潰し、高位の魔法すら無力化せしめた不可解な尻尾。
彼女たちからすれば――わたしも帝国の異世界転生者と同じように、強大な力を持った侵略者も同然のように見えるのだろうか。
「――――」
そこまで考えて、わたしは考えを振り払うように立ち上がった。
いつまでも落ち込んではいられない。わたしは自分の意思でここに来たのだから。
記憶を取り戻す手がかりを求めてここに来たのだ。むん、と気合を入れて気持ちだけでも前向きにしようとした時である。
――突然、ベッドの下から黒い人影が這い出してきた。
「きゃあああっ!」
にゅっ、と不意に現れたその姿に、わたしはびっくりして尻尾も耳も総毛立ち、ばっと俊敏な動きで後ずさった。
ハッキリ言って、かなりコワい。どこのゴキブリ型火星人か、そうでなければ、呪いのビデオの女幽霊かと思った、本気で。
深夜であることも相まって、シチュエーション的にはシャレにならないほどホラーじみている。わたしは心臓が口から飛び出そうなほど驚いた。
だがしかし、ベッドから這い出た人影は、当然ながらテラフォーマーでも貞子でもなく、歴とした人間であった。
すっくと立ちあがった人影を前にして、わたしは呆然と硬直する。
清楚さを感じられるホワイトプリムに、黒を基調としたエプロンドレス――目の前の人物が身に着けていたのは、三百六十度どこからどう見てもメイド服だったのだ。
ベッドの下に何故にメイドさんが――などと脳ミソが混乱しているが、目の前の人物が振り返ると同時に、わたしはさらなる驚きに思考がシェイクされる。
振り返ったその顔は、わたしと同じくらいの年齢の少女だったのである。
それも大変魅力的な美少女だ。
物憂げな表情に、長く美しい黒髪。立ち上がった姿はモデルもかくやというほどの長身であり、メイド服の上からでも分かるほど見事なプロポーションを誇示している。対照的に、顔立ちはあどけなく、どことなく気品もあり、非常にミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
「こんばんは」
スカートのすそを上げ、優雅ともいえる仕草で少女はお辞儀をする。
一方で私は呆気に取られたまま、古いパソコンもかくやという風にフリーズしている。
「あ、あなたは……だ、だ、だ、誰……?」
かろうじて、なんとかそれだけを口にする。
「見ての通り、メイドさん」
「い、いや、そうじゃなくて……」
そもそも何者で、どうしてベッドの下に忍者よろしく潜んでいたのかとツッコミどころは山ほどある。
「ヴィルヘルミナ」
「ヴィルヘルミナ? ……ああ、あなたの名前ね」
少女の名乗りに、わたしは頷いた。
どうも、会話のピントがずれている気がしたが、驚きにパニック状態だったわたしはそう納得するしかなかった。
「掃除、しておいた」
少女の言に周囲を見渡してみれば、確かに最後に部屋を出たときから綺麗になっている気がした。
だとすると、目の前の少女はこの宿舎で働いている侍女か何かなのだろうか。確かに『セフィラの盾』には貴族も多く在籍しているようだったし、身の回りの世話をする者がいても不思議ではない。
「そうだったの……ありがとう」
「どういたしまして」
そうして、少女はわたしとすれ違うように背後に回り――
いきなりわたしのスカートを捲ってきた。
「――って、なにするのっ!」
「いや、どんなパンツをはいているのかと思って」
少女はしれっと悪びれずに言ってのける。
「ご主人様の下着を確認するのはメイドの務め」
「わたしはあなたの主人じゃないし、どこの変態世界の務めなのよ……」
わたしは脱力する。
今日一日で色んな人と出会ってきたけれど、最後の最後でこんなラスボスが待ち構えていることになろうとは。
「それに尻尾……本物だった」
少女はさらにわたしの尻尾に興味を持ったようで、無遠慮に触り始めた。
犬の背中を撫でまわすように尻尾を触りつつ、観察していた。
「もふもふ……いい」
少女はうっとりとして尻尾の肌触りを堪能している。
「――――」
べし、と尻尾で少女の頭を叩いた。
「……ぶった」
「あたりまえでしょ!」
セクハラには然るべき制裁を下したまでである。
そうして、ふぅ、とわたしは肩を落とす。
「どうしたの? 何か元気ない」
少女がそのように尋ねてくる。
――よほど、精神的に参っていたのかもしれない。
わたしは、先ほど食堂であった出来事を、目の前に少女に話すことにした。
「うん、実はね――」
*
一通り話を聞いた後で、ヴィルヘルミナは感想を漏らした。
「あなたは悪くない。だって、あなたがその人に何かをしたわけじゃない」
わたしはヴィルヘルミナと二人ベッドに腰かけて話し合っていた。
少女の言っていることは正しい。わたしだってそう思う。
けれど――
「そんな簡単には割り切れないよ……」
気持ちの方はそうはいかない。わたしは力なくかぶりを振った。
「だって、あの子が苦しんでいるのは、帝国の異世界転生者のせいだもの。わたしと同じ、異世界転生者の――完全に無関係だなんて、思えないよ」
「あなたは……その人にグラスをぶつけられたことは、怒っていないの?」
「え、うーん、あんまり、かなぁ……」
そう言うと、少女は関心を示したようにわたしを見つめた。
「変わっているね、あなたって」
「そのセリフは、あなたにだけは死んでも言われたくないんだけど……」
憮然としたジト目で返す。
ふと、ヴィルヘルミナの指先に視線を向ける。
少女の指先から、赤く細い線が滲み出ているのを、目ざとく見つけたのだった。
「ねえ、あなた、怪我しているじゃない。どうしたの?」
そう言うと、ヴィルヘルミナも今気づいたとばかりに自分の手に注意を向けた。
「ほんとだ……掃除しているときに切ったのかも」
「ちょっとまってて」
わたしは、シルフィから受け取った医療袋を開く。
ポーションの使い方は一通り説明を受けていた。シルフィの言葉を思い出しつつ、わたしは薬瓶からポーションを一滴掬うと、彼女の傷口に塗り始めた。
その後、薄く切った包帯をバンドエイド代わりにして、彼女の指先に丁寧に巻いた。
「これでよし、と」
わたしは満足そうに頷く。
一方で、ヴィルヘルミナは不思議そうな表情をしていた。
ぽーっとした視線で、包帯の巻かれた自分の指先と、わたしを交互に見つめる。
どうして自分にここまでしてくれるのか――それが分からないような表情だ。
そうして、じっとわたしを見つめた後。
「あなた、とても綺麗ね。私、好きになっちゃった」
「はぁ……またなの、それ」
呆れつつ、わたしは呟いた。
どうして誰も彼も、わたしの外見にしか目がいかないのだろうか。いい加減うんざりとした気分にもなってくる。
「正直、自分ではあまりそこまでとは思わないんだけど……」
「違うの。見た目もだけど、魂が綺麗なの。まるで穢れない宝石みたい」
そうして、メイド服の少女はすっと立ち上がった。
用は済んだとばかりに部屋から出ていこうとする。
「それじゃ――またね、テイル」
去り際に、軽く手を振って少女は静かに出ていった。
部屋に一人取り残される。
わたしは、そこでようやくベッドに身体を預けることができた。
嘆息をついて、瞼を閉じる。
変わった女の子だったなぁ――と思い返しつつ、睡魔はすぐにやってきた。
思考が眠りにつく前に、些細な疑問が脳裏をよぎる。
ハテ、わたし、あの娘に名乗ったっけ――と。
*
次の日、わたしはグレイズ総帥に呼ばれていた。
シルフィと二人で執務室の扉をくぐる。
「おお、来てくれたか」
執務室に座っていたグレイズ総帥は、わたしたちを見るや否や、若々しい外見には似合わず、まるで遠方から訪ねてきた孫たちを出迎えるような表情を浮かべた。
「総帥、今日はどのような用で?」
「うむ、昨日はできなかったが、おぬしたちの護衛を担当する騎士を紹介しようと思ってな」
そう言って、グレイズ総帥は、部屋の隅へと視線を向けた。
わたしたちもそちらへと振り返る。
「あ―――」
思わず、わたしの口から声が漏れた。
そこには、闇を纏ったような黒衣の少女騎士がいたのである。
あらゆる光すら飲み込むような漆黒の軽甲鎧に、同じく黒一色の外套を羽織っている。さながら神に仇なす存在であるかのような彩色であるが、不思議なことに、どこか神聖さすらも感じられる。
まるで某映画の暗黒卿もかくやという装いである。どこのダース・ベイダーかと言いたくなるが、それを纏うのは一人の可憐な少女だ。
凛として佇むその顔立ち――その顔に、わたしは見覚えがあった。
というか、忘れようはずもない。
昨晩メイド服を着ていた黒髪の少女――ヴィルヘルミナだったのだ。
「紹介しよう。クリスティーヌ・ハンネ・ヴィルヘルミナ・キシュワード――『セフィラの盾』でも指折りの実力を持つ聖騎士じゃ」
「クリスティーヌ……それじゃ、みんなの言う『クリス』って、あなたのことだったの!?」
わたしはヴィルヘルミナ――いえ、クリスに対して問いかける。
(この人が――王族で、西方大陸最年少の聖騎士――!)
けど、確かに言われてみれば、表情や佇まいに気品が感じられる。
昨晩のメイド服では気付かなかったが、どこぞの王女といわれても信じてしまいそうだ。
少女は悠然とした足取りでわたしに近づいてくる。
それだけで、まるでここが宮廷かどこかのような錯覚さえ覚えるほどだった。
そうして――呆気に取られるわたしに対し、少女はさらに驚くべき行動に出た。
目の前まで来ると、クリスはわたしの手を取る。
わたしの手を両手で包み、じっとわたしの目を見つめてくる。
「な、なに……?」
なぜだか、ひじょーに嫌な予感がして、若干引き気味になる。
そうして少女は、ポツリと。
「惚れた」
「へ……」
「……好き」
「あ、あの……」
黒髪の美少女騎士は、しっかりとわたしの目を見つめたまま。
「テイル、わたしと結婚して」
――って、なんでやねん!




